Scene.26 決裂
塩見さんの家を後にして、僕は来た時のように車を走らせる。話している最中からずっと頭痛がしていた。
しつこく痛む頭を押さえ、気を紛らわせるためにも聞いた話を思い返していた。
あれから塩見さんは途切れ途切れになりながらも顛末を話してくれた。
要約すると、円さんの母・夕日遥さんは円さんを産んだあと精神的に不安定になり、主に本妻によって森岡家を追い出されてしまったそうだ。
その後モナリ座ができる前にあった廃ビルで、夕日さんは飛び降り自殺を図った。止めに入った塩見さんと大野さんによる説得の甲斐も虚しく、夕日さんは目の前で亡くなってしまう。
塩見さんはそのことを包み隠さず森岡家の当主・正一に報告し、彼の命により夕日さんの遺体は塩見さんと大野さんの手によって跡形もなく片付けられ、密かに火葬されたのだそうだ。
流れはよく分かった。
映画館に縛られた幽霊は……僕がくじらちゃんと呼んでいた少女は、円さんの母親で間違いないだろう。きっと生前の彼女は何らかの未練を残したために、モナリ座から動けない地縛霊となってしまったのだ。
その未練の内容を察するに……あの骨壺の手紙か。
夕日遥、いやくじらちゃんは……円さんの母親は、森岡正一とその子である円さんと映画を観るのが夢だった――という事だろうか。妾でしかなかった女性の儚い夢だったとしても、愛する家族像を追い求めていたかったのだろうか。
考えれば考えるほど、頭痛を通り越して吐き気がした。情緒が不安定で、ではない。物理的にだ。頭蓋をワイヤーできつく縛られているような鋭い痛みに何度も気を失いそうになる。
何とか車を路肩に停め、ハンドルに突っ伏した。
「何だよ……これ……」
視界が明滅する。外が昼なのか夜なのか最早分からない。
頭の中に何かいる。脳髄を握っている誰かが、或いは何かが。
目を開けていられなくてぎゅっと閉じると、瞼の裏の闇で誰かが嗤った。誰だ、お前は……何だ。
肩で息をするも酸素は行き渡らず、冷たい汗ばかりが流れていく。
早く何とかしないと……意識が、食われる……。
脳味噌にぷつり、と爪を立てられる感触がして、思わず叫んで窓ガラスに頭を打ち付けた。
やめろ、頼む、もう、やめてくれ――!
頭の中の何かを振り払おうと、僕は必死に耳を塞いで車外に出ようとして――扉は突如として、外から勢いよく開かれた。
「圭一くん!」
生温い外気とともに運転席に飛び込んできたのは、円さんの声だった。
受け身も取れずに体勢を崩す僕の身体を抱き留め、声の主はそのまま車から僕を引きずり出した。
「酷い顔だ。おいで」
「あ――」
珍しく緊迫した彼に抗うことなく、強ばった身体はその両腕の中にすっぽりと収まった。
するとそれまで頭の中で殺意を振り撒いていた嫌な気配が、サイダーの泡のようにしゅわりと消えていく。ようやくまともに息を吸えた気がした。
「良かった、間に合って……探したよ」
安堵したような声と共に痺れた背中を撫でられると、何かが張り付いていたような厭さは徐々に霧散した。
脱力した僕はそのまま車体を背に座らされた。
辺りは夕暮れを迎えていて、見慣れた商店街のそばまで来ていたことに今になって気付く。
無意識にモナリ座の近くまで車を走らせていたらしい。
「芦峯……さん」
徐々にはっきりと像を結ぶ視界で、円さんが一瞬だけほっとした表情を見せた気がした。
「今のうちに謝っておくよ。これまで全部話さなかったことと、これから話すことのすべてを。ごめんね、圭一くん」
「な、にを」
跪いた円さんは僕を見下ろしている。その目はいつものように笑っていなかった。
「圭一くんは気付いていないかもしれないけど、モナリ座という名の映画館はね、閉館してるんだ。とっくの昔に」
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