Scene.25 彷徨う影

 夜十時を回った商店街は軒並みシャッターが降りて、ゴーストタウンのようだった。昼であろうと活気を失った通りには違いないから、例え明るくても人が寄り付くことはないが。

 湿度の高い街を流し、俺は特に宛てもなく歩いている。

 圭一くんと森岡邸に潜り込んだのは正解だった。

 お陰で母のものと思しき骨壺を回収できた。まさか以前探したことのある蔵から出てくるとは思わなかったが……誰かの意図があって隠されていたのだろう。まあ見つかって良かった。

 骨壺は今、駅前の貸しロッカーに入れられている。あれ自体は思念のないただの人骨だからそのまま置いておいて良い。

 遺骨に母のが見当たらなかったのは、ほぼ予想済みだった。問題はどこに行ったのかだが、それもおおよその見当はついていた。

 あとは、だ。

 ポケットから、骨壺に入っていた紙片を取り出す。

『あなたと、子供たちと、あの日みたいに映画を観に行きたかった』

 何度も反芻した文章は、読めば読むほどに引っ掛かる。俺の仮説が当たっていれば、余計にややこしいことになる。

 最悪、圭一くんは命を落としかねない。

「さて、どうしようかね……」

 紙片を再び仕舞うと、足元を小さな魚が泳ぎ抜けていった。思わず目で追うと、今しがた横切った路地裏から声が掛けられた。

「円さん」

 振り向くと、それは紛れもなく一緒に高校と森岡邸へ潜入した不法侵入仲間の圭一くんだった。

 淡い茶髪に少し疲れたような童顔、戸惑いと真面目さが同居する可愛げのある瞳。夜勤明けなのか、肩に背負う鞄からはコンビニの制服の裾がはみ出している。

 急いでここまでやってきたのか、軽く息を切らしているようだった。

「おや、圭一くんかい」

 今しがた思い浮かべていた人物が目の前に現れて、少し意表を突かれたような気分だった。こんな夜遅くに俺を訪ねてくるなんて珍しい。

 彼は息を整えて、暗がりでも分かる真っ直ぐな瞳をこちらに寄越した。

「円さん、僕についてきて貰えませんか。この間のことで、気付いたことがあって」

 上気した頬は、探し当てたばかりの事実を伝えたがっているようだった。

 さて、彼はどうやって俺を見つけたんだろうね。

 近寄ろうとする圭一くんに、俺は手を広げて制止する。

「残念だが、それは無理だ」

「え?」

「調べが甘いね。いや、逆に圭一くんの頭の中しか覗いていなかったのかな」

「何を――」

 ああ、きっと困惑したらそんな顔をするんだろうね。……。

「圭一くんは俺を名前で呼んでくれないんだ。どういう訳か、ね」

 手のひらの二メートル先で立ち止まったは、一瞬びくりと震え――次の瞬間その足元の影が揺蕩い、黒い水溜まりから無数の魚たちが飛び出し、八方から襲いかかってきた。

「君はずっと圭一くんに執着しているようだね。俺が彼と出会うより前から。一体彼の何が気に入ったのかな」

 夜闇より暗くどろりと滑るそれを、集中して払い落す。

 ばちりと手のひらで受け止めた一撃は、瞬時に霧散したものの肘まで痺れるほどの衝撃だった。

 実体を伴い誰かに化けて生者を襲う怨霊だなんて、ましてや彼と見紛うほどのクオリティだなんて経験上そう多くはいない。いないはずなのだが、圭一くんの姿をした何かは明確な殺意を帯びて影を放ってくる。

 この間、夜道で圭一くんを襲った女性の怪異に関してもそうだ。あれだけの殺意の塊をこうも寄せ付ける、その大元にはどれだけの情念が巣くっているのだろう。

 変なのに好かれたな、彼も。

「分かるよ。圭一くんってお人好しだからさ、一緒にいると勘違いしちゃうよね。ちょっと仲良くなったら地獄の果てまでも着いてきてくれそうでさ」

 猛攻の中、ゆっくりとそれに歩み出す。

 さすがにこのまま野放しにはできなかった。

「でもそれは戴けないな。俺は君を彼から引き剥がそうと思っていてね。

 伸ばした手のひらで顔を掴み、余計な声を上げさせないようにして睨みつける。

「消えて」

 指の間で怯えた目をした彼は、泥のように蕩けて零れ落ち、地面に染みを作って消え去った。

 辺りの濃い気配が夜風に流されていく。俺はやっと肩の力を抜いて息を吐いた。

「痛った……」

 手のひらと両腕に焼けた痛みが走る。触手に触れた箇所は火傷のように赤くひりついていた。蛇がのたうち回ったような傷痕は「覚えていろ」とでも言いたげだった。まったく忌々しい。

 会敵した感触では、現れたのは分身とも言うべき何かだ。あまりにも呆気なさすぎる。圭一くんに取り憑くまでは消せていないだろう。

 とうとう俺のところにも出てくるようになってしまった。

「参ったな」

 俺に襲い掛かるのは別に良い。本当に不味いのは、彼を離れてもこれだけの力で襲い掛かることが出来るほどに成長している事実の方だ。放置すれば視えない人間にとっては命を脅かす存在となるだろう。或いはもう周囲に影響を及ぼし始めているのかもしれない。

 跡形もなく消えた気配には覚えがある。

 まだ無事でいてくれたらいいけれど、とスマホを取り出し、電話帳を漁った。

「…………」


 しかし何度かけても、圭一くんは電話に出てはくれなかった。

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