Scene.16 資料室の少女
ダンボール箱に腰掛けた眼鏡の少女は、忌々しいものでも見るような目で円さんを睨んだ。
肩口で切り揃えられた髪を耳にかける所作も涼しい目元も、僕には現実感を伴った少女にしか視えない。
しかし膝丈で揺れる青いスカートには紺青の格子柄が確かに入っていて、僕は口を噤んだ。
僕らを見下ろしながら、少女は大仰な溜息を吐く。
「私はただ……お願いをしたかっただけなんだけどな」
「圭一くんに刃を向けておいて、まだそんなこと言うのかい」
円さんに言われて振り向くと、首元でチキチキと不快な音がした。見れば大振りのカッターナイフが数本ふわふわと浮いていて、その切っ先を等しく僕に並べている。途端に背筋が冷たくなった。
「ねえ怖い顔のお兄さん。私の言う事を聞いておいた方が良くない? このお兄さんのためにも……」
少女は冷たく悪役面をして笑ったその時、僕の耳横で空気を割く音がした。
「いっ!?」
「動かないでね、圭一くん」
そう言い円さんが投げたボールペンほどのサイズの矢が、次々とカッターナイフを撃ち落とす。静電気のような音を立てて弾けた刃物は、微かに煙を上げて足元に転がった。
紅白の房掛けと小さな鈴の付いた矢は、神社仏閣で見るような破魔矢のミニチュア版のようだった。
怪訝な顔を隠さず、少女は呟く。
「あなた、何者……!?」
彼女が慄いた隙を逃さず、円さんは駆け寄って距離を詰める。駆け抜ける最中、僕の背中にびた、と何かを叩き付けて行った。
「今度は剥がさないでよね!」
「これって――」
パーカーの背をたぐって振り返ると、いつかも見た謎の筆文字に囲まれた白い紙が雑に貼られていた。真ん中の「除」の字は、円さん手製の魔除けの札だということを示している。
効力は聞くまでもなかった。少女が差し向ける刃物たちは僕の皮膚に触れた途端、僕を傷付けることなく灰塵となって消えていく。
目前に迫る円さんに、少女は青い鬼火を次々に差し向ける。が、彼が腕を振るうと火種は方々に散っていった。誰も目の前の霊媒師を止められる者はいない。
一瞬、その後ろ姿が揺らいで見えた。すぐそこにいるはずなのに、知覚できるはずの円さんの気配が薄くなった。
「消えた――!?」
少女にとっても同じようで、照準を定められないのか辺りを見回している。
次に円さんが姿を現した時には、少女を見下ろす格好になっていた。彼は白い手のひらを少女の黒縁眼鏡の前で広げてみせる。きっとそのまま触れてしまえば、少女は塵となって消えてしまうだろう。前に夜道で遭遇した、女性の怪異のように。
「さあ、君の帰るべき場所へ、帰ろう――」
「待っ……待ってください、芦峯さん」
容赦なく消そうとするその腕に慌てて取り縋り、僕は二人の間に割って入る。
「邪魔しないでくれる? まさか情が湧いたなんて言わないよね?」
「そういう訳ではないんですが……せめて最後に聞きたくて」
僕の嘆願に円さんは渋々、といった様子で手を下ろした。
怪訝な顔をして僕らを見上げる少女を改めてカメラの画角に収めたが、やはり彼女が写る事はなかった。僕の見間違いじゃなかった。
「さっきのアルバムの子のことを知ってるよね? 一体君は誰? どうして僕らを襲うの? ……僕らに頼みたいことって何?」
どうしても聞いておきたいことが矢継ぎ早に口を飛び出す。
どの道この子が円さんに消されてしまうのなら、その前に聞いておきたい。この子が何を知っているのか、何を伝えようと僕らの前に姿を現したのかを。
不意に親指がシャッターボタンに触れてしまい、カシャ、と乾いた撮影音が資料室に響き渡った。途端にセーラー服の少女の幻影が薄く揺らぎだす。
「あの子を、探して。私の代わりに……」
僕の懇願も虚しく、眼鏡の少女は最期の心残りを手放すように、ゆっくりと瞳を閉じて消えていく。
「待って、まだ何も――」
確かな質感をもってそこに存在したはずの女子生徒は、止める間もなく資料室に舞う埃のように霧散してしまった。
円さんは何が起きたか分からず狼狽する僕の肩を叩く。
「昔の人こそ、カメラは「魂が抜かれる」だなんて言ってたそうだけど……あながち嘘でもないんだよね」
僕がとどめを刺した感じか……。知らなかったとはいえ、悪い事をした。
カメラロールをさらったが、そこには相変わらず何でもない本の山しか写っていなかった。最期に訴えるような、あの涼しい目元が今も心に残っている。
「あの子は何だったんでしょう? 図書室の亡霊……でしょうか」
「いや……死霊にしては手応えが無さすぎるから、多分彼女の思い入れみたいなものだろうね。何か強い気掛かりが思念体となって、ここに留まり続けたんだろう」
死んだ誰かではない、と聞き少しほっとした反面、謎はひとつも解けはしなかった。
彼女は一体何だったんだろう。くじらちゃんによく似た女の子を指差し、何かを知っているようだった。探して、とも言っていた。くじらちゃんと同じ制服を着ていた少女は、何を心残りにこの薄暗い資料室で佇んでいたのだろう。あの制服のまま、何年、いや十何年も。
もう知りようが無くなってしまった分、余計に悔やまれる。
「大丈夫かい。怪我はないみたいだけど」
「僕は大丈夫です……けど」
床に座り込んだまますっかり考え込んでしまった僕に、円さんは手を差し伸べる。
その手を取って立ち上がり、ふと先程の円さんの様子を思い出す。
「芦峯さん、さっき消えてませんでした? 一瞬だけ」
「ん? ああ、そうだね。生きてる気配を殺すと、死者や思念体には知覚できなくなるみたいだから」
除霊する人間にとっては基本だよ、と彼はあっけらかんと言う。そんな霊媒師のいろは、一般人の僕は知らない。スイッチの入り切りみたいに気配って消せるものなのか。
圧倒的強者の弁に頷きかねていると、ふと気がついた。
「何ですか、何か焦げ臭い……」
辺りに立ち込めるのは単なる埃の臭いではなかった。もっと香ばしいような、煤を伴った白い煙は――
「芦峯さん! そこら中燃えてます!」
「あー」
見回すまでもなく、辺りの紙という紙はもうもうと燃え盛っていた。
積み上げられた本も、重ねられたダンボール箱も、巻いて立てかけられた方眼紙も……あらゆるものに着火したのは、多分先程消えた少女が差し向けた鬼火のせいだ。
まあそんなもの、ここにいない者にどう弁明しようと信じてはもらえないだろうが。
「……逃げよっか」
一瞬で同じ結論に至ったらしい円さんと僕は、一目散に資料室を後にした。
正門を出る辺りで火災報知器のベルがけたたましく鳴り「これは訓練ではありません」の放送が掛かったことで校内は蜂を突いたような騒ぎになった。が、僕らは振り返りもせず同じ方向へと走り、近くに停めていた僕の車に飛び乗り、何事も無かったかのように全速力で去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます