Scene.15 図書室へ行こう
斜めの陽が差す教室を後にして、僕は二年三組の戸を後ろ手に閉めた。
先を行く円さんは残念そうに頭を振る。
「さっきの子の彼氏が消えたのが今年の二月。教室に来れば痕跡だとか忘れ物だとかが残ってるかと思っていたけど……甘かったな」
「学生は進級すると教室が変わりますからね」
「高校時代なんて遠い昔のことだからね。すっかり失念していたよ」
失踪したという男子生徒の席は既になくなっていた。というより彼の下級生のための教室に変わっていた、が正しいだろう。
念のため進級後の三年生の教室も回ってみたが、どこにも手がかりはおろか机すら用意されていなかった。それもそうだ。不登校ならまだしも、半年以上行方が分からなくなった生徒のことなど誰も気に掛けてはいないのだろう。
「仕方ないから圭一くん探し物の方に向かおうかな。手伝ってあげよう」
「芦峯さんも行くんですね……」
「誰のお陰で忍び込めたと思ってるんだい?」
円さんは溜息交じりに言う。確かにそれはそう……なのだが。
「卒業アルバムみたいな昔の資料なんてどこに仕舞ってるんだろうね。図書室とかかな」
ふらりと行ってしまう円さんを、僕は追いかけることしかできなかった。
当てずっぽうで歩いた割に、図書室はすんなり見つかった。
ちょうど図書委員と思しき女子生徒が部屋を施錠しようというところだったようで、彼女は駆け寄ってきた僕らをきょとんと見返した。
「もう図書室はお終いかい?」
「……はい、一応十八時までなので」
「俺達、この学校の卒業生でね。久しぶりに中を見させてもらえないかな。先生に許可は取っているから、鍵は代わりに閉めておくよ」
平然と笑顔で嘘を並べる円さん。女子生徒は納得したように頷き、青いスカートを揺らして去っていった。
足音が廊下の角を曲がっていき、僕は耐え切れずに呆れて言う。
「よくもまあ、あんなにすらすらと……」
「嘘も方便と言ってくれ」
円さんは僕の非難にも決して悪びれる様子もなく図書室に入っていく。霊媒師というよりもはや詐欺師の所業だった。
敷居を跨ぐと、本の匂いがふわりと僕を迎え入れた。古い書籍が集まる黴とも埃ともつかない独特の匂いに、心が安らぐような気がする。そうそう、母校の図書室もこんな感じだった。ここは縁もゆかりもない高校だが、何だか懐かしい気持ちになる。
広い図書室を見回すと、貸出カウンターの奥に扉を見つけた。『資料室』と書かれたそこに、二人して向かう。
幸い鍵がかかっていなかった資料室に入ると、図書室より濃い黴の匂いが立ち込めていた。窓は固く閉ざされているようで、普段からろくに換気もしていなさそうだ。
あまり人が入ることはないのだろうその部屋はスチール製の本棚が雑然と並び、いくつかは書籍や大量のダンボール箱に埋もれ傾いていた。棚に置き切らない書籍類が床に高く詰まれ、通路を埋めている。
ぱっと見で二十畳はあろうかというそれなりの広さだが、この本の山をかき分けて探すのはなかなか骨が折れそうだった。
しかしよく目を凝らすと、積まれたダンボール箱には太いマジックで「〇〇年度 体育会資料」等と内容物について殴り書きがされていた。中には古い年度の「卒業式」と書かれた箱もある。
手近な箱に手を伸ばすと、中から真新しいベルベットの表紙がお目見えした。箔押しの文字を指でなぞり読む。
「これ……卒業アルバムですね。去年のですけど」
「毎年余ったやつをここに仕舞ってるみたいだね。こっちの箱は写真だ。整理整頓が面倒臭くなっちゃったのかな」
もしそうだとしたら中々心が挫けそうな量だ。なんせ見渡す限りダンボール箱は積まれている。
「で、何年前くらいのアルバムを探すんだい」
円さんも同じ思いのようで、少しげんなりしたように僕を振り向いた。
くじらちゃんが高校生の姿で地縛霊をやっているということは、モナリ座が今の場所に移転した以降ということになるから……。僕は塩見さんに聞いた話を思い出す。
「……そうですね、今から十八年前くらいまでのものを」
「それは膨大だね……」
聞かなきゃよかった、と零しながら彼は隙間を縫って本棚の奥へ消えていく。どうやら二手に分かれて探そうとしているようだ。文句を言いながらも手伝ってくれるのはありがたい。
僕も意を決して手近な「卒業アルバム」と書かれた箱から取り掛かっていく。
ダンボールを開けてアルバムの表紙を捲り……よし、違う。取り出したばかりの一昨年の冊子をすぐに仕舞い、別の年の箱に手を付ける。
無策に見える捜索作業だが、実は僕にはちょっとした確信があった。
くじらちゃんが着ている制服と、灯和野高校の現行の制服では若干仕様が異なるのだ。セーラー服であるのは間違いないが、最大の違いは青いスカートにチェックが入っているか否か。くじらちゃんのスカートには暗いチェック模様が入っている。ほぼ連日見ているから確かだ。
対して正門前で会った金髪の女子生徒も、先程図書室の前で会った図書委員の子もどちらも無地のスカートを履いていた。
もしくじらちゃんが本当にこの高校に通っていたのだとしたら、スカートの柄が異なる時代ということになる。だからアルバムの適当なページを開いて女子生徒の写真を確認し、チェックが入っていなければ別の年度に移ることができるのである。
うら若き少女たちの脚ばかり見て目が肥えていく自分が情けないので、円さんには黙っているが。
決してやましいことをしている訳ではない、と自分に言い聞かせながらいくつめかの箱を開けると、古い写真が大量に詰まっていた。角がよれて画鋲を刺した痕があるあたり、廊下に掲示でもしていたのだろうか。
写る女子生徒たちを見て、僕はわっと声を上げた。
「これは――!」
あった。少女たちの纏う青いスカートには、確かにくじらちゃんのものと同じように紺色のチェック模様が入っていた。
思わずスマホを取り出し、写真をカメラに収める。くじらちゃんはやはりこの高校に通っていたのか。初めて核心に迫るかもしれない大きな手掛かりに、シャッターを押す指は震えていた。
写真の日付は今からおよそ十年前。モナリ座が今の土地に移転した十八年前以降だから、時系列的にもくじらちゃんが在学している可能性は大いにある。
このままページを捲れば、どこかにいるんじゃないのか。艶めく黒髪を翻して、良く知るあの笑顔で日常を謳歌するあの子の姿が――
隣の箱に手を伸ばし、ひとつ前の年度の卒業アルバムを慌ただしく開く。
「ねえ」
「え?」
手元に神経を注いでいて、真後ろからかかった声に不意を突かれたような思いがした。凛とした声の主を振り返ると、そこには黒縁眼鏡の女子高生が呆れ顔で立っていた。
彼女は傍から見れば怪しい以外の感想を生まないだろう僕の所業を黙って見つめている。
「ごめん、誰もいないと思ってた」
「……良いの。私、地味だってよく言われるから」
図書室の前で会った子とは別の図書委員の子だろうか。彼女は僕が閉じかけていたアルバムに手を伸ばし、細い指で再び開いた。
「君は図書委員かな?」
「そう」
小さな首肯と共に、肩口で切り揃えられた髪がさらりと揺れた。慣れた手付きで、彼女はページをぱらぱらと捲る。
やがて集合写真のページで手を止めると、彼女は僕の方へアルバムを開いて寄越した。
どういうつもりなのだろう、と訝しみ、指された箇所を覗き込む。
視界に飛び込んだ写真に、息が止まりそうになった。
「その子は――!」
「お兄さん、この子のこと知ってる?」
校舎の屋上から校庭を見下ろすようなアングルで撮影された、見開きいっぱいの全校生徒の集合写真。思い思いのポーズでこちらへ視線を寄越す生徒たちの中に、見つけた。
隣の女子生徒の肩を抱き、とびきりの笑顔を向ける長い黒髪の少女。それは紛れもなく、僕がずっと探してきたくじらちゃんに酷似していた。
僕の反応に目を伏せて、図書委員の少女は小さく溜息を吐いた。
「そう……知ってるんだ」
蛍光灯に照らされたアルバムの中の少女を指でなぞり、隣の彼女は眼鏡の奥の目を細める。
「君こそ……この子のこと、何か知ってるの?」
当該のページをスマホで撮影した後、僕は少女を振り見た。が、彼女は俯いたまま何も答えない。
どうして彼女はこのページにくじらちゃんがいると教えてくれたのだろう。そもそもこの子は何者なんだ。くじらちゃんとどんな関係が――
「仲良くお話ししているところ悪いんだけどさ」
物言わぬ少女にどう声をかけるか逡巡していると、円さんが黒いチノパンを埃で白く汚しながら本棚の影から現れた。
ようやく出られた、と服を払い、彼は僕の背中を指差して言い放った。
「圭一くん。それは人間じゃないよ」
「は?」
思考が一瞬停止する。隣の少女は長い溜息を吐き――床を蹴ってふわりと浮いた。
そしてそばのダンボール箱に気怠げに腰掛けると、眼鏡越しに鋭い視線を投げて寄越した。
「だったら、どうする?」
思わず少女にスマホを向けたが、そこには傾いた本棚と床に積まれた本しか写っていなかった。
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