Scene.14 高校潜入
円さんが女子高生に口利きしたお陰で校舎に潜入することに成功し、僕らは誰もいない廊下を並んで歩いていた。
「半年くらい前になるかな。さっき会った子に依頼で呼び出されたことがあってね。なんでも彼氏が消えたとかで――今日は俺も気になることがあったから、もう一度会ってみようかと思ってね。彼女に連絡を取ってみたんだ。消えた彼氏くんの痕跡でも残ってないかと思って」
揃って首から下げた「関係者」の名札は女子高生が事務室から拝借してくれたものだ。これのお陰で晴れて僕らは咎められることなく見知らぬ学校を闊歩できているわけだが。
「で、事情を話してくれるよね? 圭一くん」
「そうですね……」
咄嗟のファインプレーによって僕を救い上げた円さんはにやにや笑ってそう言った。窓の外から吹奏楽部の気の抜けたトランペットの音が吹き抜ける。
「君の調べ物は場末の映画館に関することだと思っていたんだけど? まさかこの高校の卒業生ってことはないよね?」
「ええまあ……」
「どうしていい年の君が関係ない高校に忍び込もうとしていたのか、聞いても良いよね? まさか圭一くんに限って、やましいことはないと思うけど……」
左右の耳に悪魔の囁きが揺れる。もはや僕の生殺与奪は彼が握っていると言っても過言ではなかった。
何巡か躊躇い、いくつもの言い訳を考える。が、これ以上はぐらかすのはどうにも無理そうだった。
しばらくの沈黙の後……僕はとうとう観念して口を開いた。
「すみません、正直に言います……映画館のことを調べていたのは確かなんですが……どちらかというと、そこで死んだらしい女子高生について調べていて」
ああとうとう言った。言ってしまった。
ぽつりぽつりと、しかし留めていたものが流れ出すように口は回る。
「生前の彼女の情報を集めて、映画を撮ろうと思って。色々調べていくうちにこの高校に辿り着いて……今に至ります」
どうしてそうしようと思ったのかとか、映画館の地縛霊のことは極力黙っている。そこは最後の生命線だった。もし突っ込まれたらどうしよう……。
内心動揺する心臓をひた隠しながら恐る恐る円さんを見る。しかし彼は怪訝な表情をするでもなく、眉を顰めるでもなく固まっていた。虚を突かれた、が一番近そうな顔だった。
「その……映画館で誰かが死んだっていうのは……誰から」
ゆっくりと僕を振り見て、円さんは聞いた。だが黙り込んだままの僕に、ふっと息を吐く。
「……そう、内緒なんだ」
そこでこめかみに刺すような痛みが走る。ああまただ。細い針が頭蓋に、その中の柔らかい脳に鋭利に刺さるみたいに、きりきりと不快な痛みが襲う。
思わず顔を顰めて額を押さえると、円さんはやれやれとでも言うように肩を竦めた。
「今の君にはそこらの死霊だとかが憑きやすいって説明したと思うけど、こういう学校みたいな人が集まるところは賑やかな反面、色んな思念が寄りやすい……ほら、言ってるそばから」
手を引かれ、僕はそのまま彼の腕の中にすっぽり収まった。拒絶する間もなく抱き止められ、背中と肩をぽんぽんと撫でられる。
僕は決してそっちの趣味はないけれど、何故か落ち着く。悔しいが針で突かれるような片頭痛が軽くなったような気がした。
「あの」
「はい、細かいのは弾いといたから、これで今日は大丈夫」
「……これ毎回必要なんですか?」
「当たり前じゃないか。君に視認できないレベルの塵みたいなものでも、積もり積もれば大きくなるんだから。埃と一緒だよ」
僕はモップか何かか。「定期的に会って憑いているものを祓う」とのことだったが、毎度男同士で抱き合わなければ日常生活を送ることが出来なくなるのだろうか。地味に億劫だし憂鬱だ。
「俺はあまり他人の決めたことにああしろこうしろと言うのは好きじゃないんだけれどね、圭一くん」
さっさと僕から離れ先を歩く円さんは、振り向かずに言う。
「死人にまつわる場所を調べるのはあまりお勧めしないかな。その身体の不調は
背中でさらさらと揺れる黒髪の束を見つめ、僕は後に続く。
知らなかった、といえば噓になる。薄々気が付いてはいた。くじらちゃんと初めて会ってからもうすぐ二ヶ月。日に日に重くなる肩や頻発する偏頭痛は、確実に僕の日常を脅かしつつある。
それでも見て見ぬふりをしていたのは……他でもない彼女にまた会いたかったからだった。くじらちゃんとの映画鑑賞は単なる気まぐれじゃなく、僕のライフワークと化している。彼女の半生を知ろうとすることも、だ。
しかし僕の淡い決意を見透かして打ち砕くように、円さんは視線を寄越した。黒い瞳は珍しく笑っていなかった。
「君の調べ事が誰かに唆されて……ではなく、現時点で君の自由意志によるものだったとしても……もし君が完全に取り込まれたら、俺は多分まとめて消さなきゃならなくなる」
それは覚えておいてね、と彼は再び廊下の奥へ歩き出す。
刺された釘は長く深く、僕に突き刺さる。
分かっているんだ、既に死んでいるくじらちゃんと交流できている今の状態が、客観的に見れば異常だなんてことは。彼女とこのまま関係を続ければ、円さんの言う通りいつか僕は手痛いしっぺ返しを食らい、死者に蝕まれるのだろう。
しかし優柔不断と言われても、僕はまだどうするべきか答えを出したくはなかった。
くじらちゃんのことを知りたい。生きている時のことも、この先もずっと。
虫の良い願いだと思う。それでもこの気持ちが僕の自由な意思だと認識できているうちくらいは、そんな甘い夢だって見ていたい。大丈夫。きっとまだ、僕は大丈夫だから。
口の中で何度も唱えてふと窓の外に目を遣ると、枯れた向日葵が並んで俯き夕焼けに照らされていた。
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