Scene.23 ご一緒にチキンは如何ですか

 いつものように制服に袖を通し、夜勤の店頭コンビニでモップがけに勤しみながらも僕は、昨夜琳太郎から聞いた話が頭を離れなかった。

 ――二十二年前、人が死んでるらしいんだわ。ここで

 それはもうくじらちゃんだろう。移転前にあの場所で死んで地縛霊になった後に映画館が建ったのではないだろうか。

 ほぼ確定だと意気込み、今朝から勇んで地域の図書館へ向かった……のだが、資料室中の古新聞をひっくり返してもそんな事件は見つからなかった。

 ――お袋もうっかり口滑らせたみたいな顔してたし、これ以上聞くな喋るなって釘まで刺されたし……

 恐ろしげに語る幼馴染の顔が忘れられない。身内でも他言無用にするほどの内容、ということは……考えられる可能性がひとつある。

 それは……があった場合だ。映画館ができる前に、くじらちゃんはそこで――

 そこまで考えたところで、頭痛が走った。目の奥から脳に響くような深い痛みに、思わず顔を顰める。後で頭痛薬を飲んでおかないと……。

 モップの柄を握り直すと、気の抜けた入店音が流れた。いけない。仕事に集中しなければ。

「いらっしゃいま――」

 営業スマイルを入口に向け――僕は固まった。

 今しがた自動ドアを抜けた、その扉一枚分はあろうかというその巨漢には見覚えしかなかった。

「……ここで働いていたとはな」

 引き締まった筋肉がスーツを着たような体躯の森岡家の用心棒――大野さんも僕に気がついたのか、ほんの少しその表情に困惑を浮かべた。

「先日は大変申し訳ございませんでした……」

 モップをその辺に立て、僕は平謝りするしかない。何なら土下座で謝罪しなければならないレベルだ。

「いや……いい、今日はたまたま通りかかっただけなんだ」

 平身低頭する僕を手のひらで制し、大野さんはそばの冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出した。どうやら本当にただ買い物に来ただけらしい。

「……」

「……」

 そのままレジ前に立った彼を、店員の僕は応対せねばならない。たとえそれが不法侵入者と、それを分かっていながら見逃した用心棒だったとしても。

 レジ台に置かれた緑茶を挟んで向かい合う。ペットボトルが汗をかいた頃に、大野さんはようやく重たい空気を破って口を開いた。

「……恐らく君は、あの骨壺とは無関係だったんだろう。それなのに託すような真似をして……俺もどうかしていた」

「いえ、そんな」

「今はきっと、あの男に渡ったのだろう?」

 思わず顔を上げた僕の表情を見て、大野さんは「そうか」と頷いた。そうなると分かっていたような口振りだった。

「……どうしてあの時、在処を教えてくれたんですか。ほとんど見ず知らずの僕に」

 興味が勝ってしまい、無礼を承知でそう聞いた。

 強面なはずの彼だが、今日は何故だか別人のように見えた。仕事中ではないからか、雰囲気が険しく張り詰めていないかもしれない。

 考え込むように、大野さんは少し唸った。

「君にというより……芦峯円に渡す度量が、俺にはなかったんだ。踏ん切りがつかなかった、と言うべきなんだろうが」

 重い溜息は己に向けて吐いたようだった。

 実の母親の骨壺であるなら、それを円さんに渡すことは何ら不自然はなさそうに思える。使用人とはいえ血縁のない他人に「踏ん切り」も何もないとおもうのだが……。

 視線のやり場に困った僕はひとまず緑茶のバーコードを読み取る。百二十五円の表示が、気の抜けた電子音と共にレジ画面に表示された。

「芦峯さんは一体何者なんでしょう……」

「あの軽口だ、君も聞いているだろう。今は亡き旦那様と若き使用人との間にできた不肖の子、完璧だった旦那様唯一の汚点だよ」

「……大野さんは、芦峯さんの母親を知っているんですか」

「ああ。俺と同じ使用人のひとりで……後輩だったんだ」

 岩を切り出したような無骨な目元が、すっと細められる。それは遠い過去を見ているようだった。

「当時の俺は若かった――彼女……夕日遥ゆうひはるかを庇う術を知らないほどに……そして彼女の苦悩を最期まで理解できなかったほどに。確かに骨壺を隠していたのは旦那様の言いつけだったが……俺も仕舞っておきたかったんだろうな、過去の後悔を留めておくために」

 聞かせるでもない様子のその語りは、長年胸の内に留めていた言葉を吐き出した独り言のようだった。

 円さんのお母さんは夕日遥さん、と言うらしい。先輩と後輩の仲と話していたが、僕の知るところのない過去で彼と彼女に何があったのだろう。大野さんは何を思い、夕日さんと死に別れ、どんな葛藤を抱えて今に至るのだろう。円さんはどこまで知っているのか。しかし僕にはとてもその先を聞けそうになかった。

 よそう。今の僕は部外者で、ただのコンビニ店員でしかない。

「本日はチキンが半額なんですが」

「……遠慮しておこう。こう見えても歳なんだ」

 僕の言葉に虚を突かれたのか、大野さんはふっと笑って、鋭い目尻に柔らかく皺が寄る。先程までの昔の悔恨をその瞳の奥に追いやれるほど、彼はきっと歳を重ねてきたのだろう。

 軽やかな来店音が外の夜風を連れてくる。

 相変わらず近寄り難い広い背中は、振り向かずに自動ドアを抜けていった。

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