Scene.22 透ける君に思うこと
考え事をしながら三番シアターへ足を向けると、いつもの埃っぽい空気に乗ってくじらちゃんが出迎えた。
出迎えた、というより眼前に迫って来た、が正しいかもしれない。
「けえいちー……なんで昨日来なかったの」
「ちょっと色々あって……来たい気持ちはあったんです……ごめんなさい……」
じっとりジト目で責められ、思わず目を逸らしてしまう。
しまったな、映画館に来れないって伝えておけば良かった。ここから出られない地縛霊の彼女は、もしかしたらずっと僕が来るか来るかとここで待ってくれていたのかもしれない。また僕を驚かそうと張っていたのかも。
くじらちゃんは涙目で顔を覗き込んでくる。
「今日も来ないのかなって思ったじゃん。ばか! 責任とれ!
「絶対僕がいない間に任侠映画観たでしょ」
昨夜の上映ラインナップは確かに昭和の任侠映画二本立てとかだった気がする。さすが映画好きの地縛霊、影響されるのが早い。
「色々調べてたんだよ、かなり回り道してるけど」
昨夜の
「また何か分かったの? ねぇ聞きたい聞きたい!」
「どうもね、この映画館ができる前のこの場所で、誰かが亡くなってるらしいんだ」
「そうなの!?」
くじらちゃんは分かりやすく目を丸くする。僕も先程聞きかじったばかりの話だ、頭の中で情報の精査はできていないけれど、早く伝えたかった。
「亡くなったのがどんな方なのかとかはまだ分からないけど、くじらちゃんの可能性は高いと思う」
「っていうかほとんど私なんじゃないの? ここで死んだ人間なんて他にいないでしょ」
僕も正直そう思うが、早とちりは避けたい。薄いベルベットの座席に腰掛け、ひとつひとつ言葉を選びながら紡ぎ出す。
「かなり大きい進展だと思う。だから僕、過去の新聞とかを漁って調べてみようと思うんだ。事故にしろ事件にしろ、何かしら出てくるだろうから」
「こないだは私の写真見つけてくるし、なんか案外すぐ分かりそうだね。すごいじゃん圭一」
くじらちゃんは膝を抱いたまま、ぽす、と隣の席に着座した。
しかしふと何かに思い至ったように顎に手をやる。
「え、でも待ってそれ何年前の話?」
「事件? 二十七年前とかって聞いたけど」
「うわヤバいじゃん……」
「何が?」
「当時JKだったとしてそこからさらに二十七年とか……私めっちゃ圭一より年上の可能性あるじゃん……もういいよ明らかにしなくて」
「ここまで来てそういうわけにはいかないでしょ……」
何を今更そんなことを、と僕は呆れたが、うら若き少女には違いない本人にとっては大事なことのようだった。死人には享年というものがあって、というところから説明が必要かもしれない。
くじらちゃんはしばらくうんうん唸っていたが、やがて「まあいっか」と手を打った。
「死んでも私がめっちゃ可愛いJKなのは間違いないし」
「ポジティブで何より……」
そこまで考えて、はたと気がつく。
くじらちゃんの死の真相を追うということは、彼女の死に際に迫るということだ。その死が凄惨な殺人であっても自殺であっても、目を逸らすことは許されない。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。
全部明らかになったとしてもそれはいい事ばかりではないだろう。くじらちゃんにとって耳を塞ぎたくなるような過去が白日の元に晒されるかもしれないのに。
照明が徐々に落ち、上映時間を告げる。白く照らされたスクリーンの前で沈黙した僕を、くじらちゃんは覗き込んだ。
「なあに、急に黙んないでよ」
「いや……ちょっとね」
「もしかして、私の死ぬとこリアルに想像しちゃった?」
鋭い。図星だった。その澄んだ瞳には僕が映っている。彼女は確かに生きていた。であればその瞳が濁る瞬間はいつか本当にあったことなのだ。
「……なんかこう、くじらちゃんの死に迫るにつれて、エンタメ化することに抵抗を感じるというか」
もしくじらちゃんが誰かに殺されたのだとして、その供述を見聞きすることができたとしても、僕は耳を塞いでいられない自信はない。
ポケットの中のスマホが途端に重みを増した気がした。そこに詰まった写真や動画の数々が紡ぐ真実に辿り着くのが、どうしようもなく怖い。
スクリーンの光を透過して、くじらちゃんは大きな溜息を吐いた。
「頭カタいなー」
「それなりに本気だよ」
「私が良いって言ってんのに何を今更? 私、結構楽しみにしてんだよ?」
「自分がどんな最期なのか?」
「ううん、それもあるけど。圭一が私のために映画作ってくれるの」
ぽかんとしていると、くじらちゃんは艶々の黒髪を掻き毟って「だからー」ともどかしそうに言いだした。
「ひとりぼっちの退屈な時間が変わったのは圭一のお陰なの! 一緒に映画観るだけでも楽しかったのに、私のこと調べてくれたり映画館の外の話をしてくれたりするだけでもう最高すぎるっていうか……とにかく何が言いたいかっていうと……映画最高! みたいな? ……あれ?」
絶対途中で何が言いたいのか分からなくなったであろう彼女の言葉に、何だか気が抜けて笑ってしまう。しかしどこか救われるような気もした。
くじらちゃんと映画を観たいのも、外の話をしたいのも全部僕が好きでやっていることだ。けれど僕が勝手に感じていた心地よさみたいなものを共有できていた、この瞬間だけは、胸の内に湧いた温もりだけは大切にしないといけないような気がした。
「まあいいじゃん。ほら映画始まったよ、圭一」
そう言って画面に向き直ってしまったくじらちゃんは、耳の端まで赤くなっている気がしたけれど、それについて何か言うと怒られそうな気がして僕は素直に前を向いた。
ごめん、僕の方が怖気づいていたら駄目だな。君が自分の死に際に向き合おうとしているのなら、僕にも相応の覚悟が必要だろう。
僕は君の隣にいようと決めたのだから。
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