Scene.20 はかりごと
大野さんに言われた通り、行き先を東の蔵から西側の蔵へ変更する。スマホのコンパスアプリを信用するなら、今僕は屋敷に対し五時方向辺りにいるはずだ。南回りで九時方向の蔵へ向かうには、屋敷の敷地は広大すぎる。
だから僕はなりふり構わず駆け出した。あの大柄なボディガードの気が変わらない内に、目的を完遂しなければ。
全速力で松林を駆け抜け、ようやく漆喰塗りの白い壁が見えてきた。一軒家ほどの大きさのそれが、恐らく南の蔵だろう。
額の汗を拭い、開け放たれた戸の中へ駆け込む。
「芦峯さん!」
目当ての男は暗がりで桐箱の蓋を抱えているところだった。突然現れた僕に意表をつかれたように振り返る。
「圭一くんか、どうしたんだい」
「骨壺ですが、西の蔵にあるみたいです」
「本当?」
「警備の人がちょうど通り過ぎるところだったので……行くなら今です。僕はここを片付けてますからそのうちに」
大野さんが言っていたように時間がない。けれど僕だけが西の蔵に向かって骨壺を奪取するわけにはいかないだろう。だってその中身は円さんの母親なのだから。
先に円さんを西の蔵に向かわせて、僕は後から追うつもりだった。
追い立てる僕に、しかし円さんは訝しむように首を傾げる。
「どこで在処を知ったの? もしかして誰か言ってた?」
「それはまあ、通りかかった大野さんが……」
大野、と名前を聞くや、彼は渋い顔をした。
「大野か……俺、あいつの言うことあんまり信用してないんだよなぁ。それに西の蔵は俺、前回忍び込んで散々探したよ。で、無かったんだけど」
それはまあ幾度となく自身を簀巻きにした相手など信用したくないという気持ちは分からないではないが、それは大野さんも同じだと思う。彼らの口振りから察するに、二人は絶対に互いを疎ましく思っているに違いない。
しかし先程明かしてくれた骨壺の在処は、大野さんが僕にだけ打ち明けるように示してくれたものだ。あれは真実じゃないのか。
あれすら彼の演技なのだとしたら、僕はもう他人のことを信じられないかもしれない。
それでも僕らは睨み合う。どこか遠い森でフクロウが鳴く声がする。
何だか僕は急に嫌気が差した。途端に円さんの事情に肩入れし、大野さんの前で必死に弁明した自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。
大仰に溜息を吐き、もっともらしく口を開く。
「……バレましたか。実は東の蔵だって言ってました」
「どっち? 嘘吐く必要ない君が嘘吐いて、事態をややこしくしないでくれない?」
「僕、泣き落としまでしてようやく聞き出せたんです。だから大野さんじゃなくて僕を信用してくださいよ。僕が先に見つける訳にはいかないと思って、呼びに来ただけです」
「……じゃあ分かったよ。俺は東を探せばいいわけね」
早く、と急かすと円さんは嫌々蔵戸を駆け出して行く。その足音が順調に遠ざかって、僕はそっと胸を撫で下ろした。
多分、というかほぼ確実に、彼は数刻と経たずに大野さんと出くわすだろう。僕みたいに出会い頭で投げられるかもしれない。
まあそうなるように
何せ僕は本来突っ込まなくていい場所に首を突っ込まされ、投げられたり組み敷かれたりして痛い思いをしている。その上言ったことを信じてもらえないんだから、これくらいの意趣返しはさせて欲しい。
「北側を通れ……って言えば良かったかな」
番犬に襲わせるほど僕は鬼ではないから、さすがに言わなかったけれど。
手早く足元に広がった箱や荷物を積み重ねながら、僕は鼻を鳴らした。
大野さんの言う通り、西の蔵に鍵は掛かっていなかった。
左奥の荷物を動かした下に目を凝らすと三十センチ四方ほどの隠し床があり、床板を剥いだ下に紗を纏った壺がひとつ置かれている。
迷わずそれを抱え、蔵戸を飛び出した。
閂の抜かれた南側の正門を抜け、大きく息を吐いた。
スマホを取り出すと、十二時三十二分。ほんの半刻ほどの潜入とは思えないほど、どっと疲れが押し寄せる。
すると僕が出てくるのを待っていたかのようにそばの草むらから声がかかった。
「圭一くん……」
声のする方へ歩み寄ると、そこにはやはりというか予想通り、簀巻きにされた円さんが転がっていた。
大方、大野さんに見つかり投げられたのち簀巻きにされて叩き出されたのだろう。長い黒髪はいつか見たように砂まみれだ。
口元はいつも通り緊張感なく緩んでいるが、その視線はじっとりと湿っている。
「どうやら見つけて来たみたいだね。どこにあったの?」
「西の蔵ですね」
「俺を謀ったわけね……」
「まさか」
恨めしそうな円さんは、珍しく怒っているのかもしれない。
僕は表面上の平静を装い、上体を起こすのを手伝ってやる。
背中の荒縄を解く最中、
「圭一くんってさ……こういうことするんだね……ちょっと嫌いになりそうだよ」
円さんはごにょごにょとそう漏らしていた。他人には嫌がらせじみた言動をするくせに、意外と根に持つタイプなのかもしれない。
「まあ、良いじゃないですか。結果的に骨壺は帰ってきたわけですし」
筵からすっかり解放された彼の肩を叩く。弛みそうになる口元は理性で結び直した。
円さんはまだ何か言いたそうだったが、やがて面白くなさそうに鼻を鳴らすと気を取り直して紗を被った壺に向き直った。
「流石に僕は中身見てないので……芦峯さん、どうぞ」
半年間、円さんが探し続けてきたという実母の遺骨。僕には何の変哲もない白い陶磁の壺にしか見えない。視えないものを視通す彼ならば、何か分かるのだろうか。
期待を込めて仰ぎ見るが、しかし円さんは首を左右に振った。
「いや、中身を視なくても分かる。母はいないね」
「え……そんな」
「未練を失くして往くべきところへ還ったか……或いは」
言うが早いか壺に掛かった紗を剥ぎ、蓋に手をかける。
かたりと小さく音を立てて開いた中には、白くくすんだ枯れ枝のような骨の欠片の山と――折り畳まれた一枚の紙が差し入れられていた。
「これは手紙――ですか?」
「…………」
黄ばんだそれを、円さんは拾い上げる。
僕らの見守る中開かれたひとひらの紙片には、たった一行だけ、静かな文字が並んでいた。
『あなたと、子供たちと、あの日みたいに映画を観に行きたかった』
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