Scene.19 探し物の在処

 闇雲に歩いたって仕方がない。僕は黒松の林に紛れ、壁伝いに移動することにした。

 どんなに歩きにくかろうと、本邸に近い広々とした庭の白砂を駆けて行く勇気はなかった。赤外線センサーなりホームセキュリティなり何かしらあるだろうし。月明かりのない夜とはいえ、開けた場所だとどうにも目立ってしまう気がする。

 屋敷全体を俯瞰して時計に見立てると、侵入した塀は四時の方向。芦峯さんは六時方向の南の蔵へと向かった。東の蔵を任された僕は、彼とは反対に三時方向へ急ぐ。

 あんな簡単な地図を頭に叩き込んだだけの杜撰すぎる計画だが、果たしてそう上手くいくのだろうか。

 いやそもそも蔵に辿り着いたとして、鍵が掛かっていないという保証は――

 そこまで考えた時、突如視界がぐるりと反転した。

「――っ!?」

 激しい衝撃が後頭部と背中を襲う。

 背後からベルトを持ち上げられ、背中から地面に叩き付けられたのだと気付くまでに数秒かかった。

 身動きを取れないままうつ伏せに転がされ、寝技に持ち込まれる。

 背に乗る確かな重みに肺を圧迫され息を詰まらせていると、低い声が頭上から降ってきた。

「なぜ多くの庭園に砂利が敷かれているのか分かるか? ――遠くからでもコソ泥の足音が聞こえ、いち早く排除出来るからだ。今の貴様のように」

 痛みが遅れてやって来て、僕は潰れた蛙のような呻き声しか出せなかった。

 砂利に顔の半面を埋めているため見上げることは叶わないが、声の主には聞き覚えがあった。

 初めて円さんと出会ったとき、彼を簀巻きにしていたスーツの大男で森岡家の用心棒――大野さんだろう。

「君は先日の……そうか、やはり芦峯円の連れだったか」

「連れというわけでは……何と言うか」

「では唆されたのか、悪いことは言わない。今なら見逃してやる。物取りなら他所を当たれ」

 屈強な筋肉の塊に乗られて背骨が軋み、あとひと捻りでも加えられたら圧し殺されるような敵意が突き刺さる。

 すごい、どんなに身動ぎしようとビクともしない。

「深夜に忍び込んだのは謝ります、本当に申し訳ありませんでした……ただ僕は探し物を手伝いに来ただけで」

「それを世間では空き巣と言うのではないのか? どこかに奴も隠れているんだろう。通報までの時間稼ぎのつもりか。小賢しい」

 大野さんは忌々しそうに吐き捨てた。

 ぐうの音も出ない。確かに僕らのやっていることは不法侵入に相違ないだろう。

 すべてを理解してくれなくてもいい。けれど、どうしてもこれだけは伝えておきたかった。

「僕らは……芦峯さんの母親の骨壺を探しに来ただけです!」

 僕の背に乗る身体が、僅かだが震えた。

「他のものに手を付けるつもりは毛頭ありません。骨壺が手に入ったらすぐ帰ります。二度と忍び込まないこともお約束します。どうか」

 後半はもうほとんど懇願だった。

 記念館帰りにふと見た、束ねた黒髪が揺れる円さんの後ろ姿が脳裏を掠める。

 どうして僕は、あんな男のためにこんなに必死になっているんだろう。本当に馬鹿げてる。

、何に――」

 大野さんは眉根を寄せ、その先の口を噤んだ。

 骨壺はやはり森岡邸ここにある。確実に彼はその所在を知っている。

 いつもへらりと何事もないように笑う男の顔が嫌でも浮かんで、奥歯を噛み締めた。

 本当に馬鹿げた話だ。

 会ってそう経たない、ろくでもない男の出自に同情するだなんて。

「肉親の遺骨を墓に戻したいと、遺された子が願うのは……いけませんか」

 ほとんど砂利を食いそうになりながら、絞り出す。

 僕には円さんの心の内なんて分からない。母親の話だってどこまで本当なのかも信用できたものではない。何せ彼の言動は冗談混じりで、いつも掴み所がない。

 だけど以前夜道で僕を襲った、影に包まれた女性を向かうべき場所へ導く様は――その解ける影を見送る背中が、どうにも寂しそうに見えてしまった、からなのかもしれない。

 やがて大きな溜息が降ってきて、僕を沈めていた力がふっと軽くなった。

「……これも御館様の御遺志か」

「え?」

 痛む身体をよろよろと起こすと、大野さんは苦虫を噛み潰したような顔で僕を見下ろしていた。

 月のない夜半、渋面の大男はしばらく黙り、ついに重たい面持ちで口を開いた。

「ここに御骨があるのは今は亡き御館様の御遺言によるものだ。大奥様にも存在を知られるな、隠し通すようにと……しかしそれは“その時が来るまで“とも――俺の独断で仕舞っておくものではもう、ないのかもしれんな」

 半分は自分に言い聞かせるような口振りだった。黒スーツの襟元を正し、大野さんは踵を返す。

「西側の蔵、左奥の床下。鍵は掛かっていない」

「あの」

「今のは独り言だ……俺は一回りしてくる。屋敷の北側には犬がいるから通るな。再び見かけたら次は敷地から摘み出す」

 ぼそりと呟いた背中はそれ以上語らず、ざくざくと砂利を踏み抜いて立ち去って行く。

 黒松の林が夜風でざわざわと揺れて、やがてスーツの後ろ姿は見えなくなった。

「何なんだ、あの人……」

 南側を回り、西の蔵へ行けと。

 信用して良いのだろうか。しかし信じるより他に頼れる情報はない。

 足先はいくらか迷ったが、最終的には南側へと駆け出した。


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