Scene.6 試行錯誤

 劇場扉を後ろ手で閉めると、いつものように長い黒髪の女子高生がふわりと浮いてやって来た。

「いーなーコーラ、ひと口ちょうだいよ圭一」

「飲めるならどうぞ」

「性格悪っ」

 他愛のない会話が何だか久々のように感じる。こうしてくじらちゃんに会いに来るのはたった一日ぶりだと言うのに。それほどに、あの謎の男との邂逅に疲れていたのかもしれない。

 重たい首を鳴らしながら席に着くと、彼女も左隣の席に舞い降りた。照明が落ちて、徐々に白いスクリーンの光だけが僕らの視界を支配する。

 お決まりの広告が流れる中、くじらちゃんは僕の耳元に寄って囁いた。

「私の映画撮るって言ってたじゃん。タイトル決めたの?」

「えー、まあ」

「なになに教えてー」

「……“モナリ座の亡霊“」

「うーわダッサセンス……」

 とっておきのタイトル案をばっさり却下して、彼女は呆れたように笑った。結構寝ずに考えたんだけどな。お気に召さなかったらしい。

「で、どれくらい進んでんの」

「まだまだだよ。いきなりくじらちゃんの過去とか調べようがないからさ、ひとまずモナリ座の成り立ちとか調べようとしてる」

「外堀埋めるってやつ? 探偵ものっぽくていいね」

 この場合の探偵役は僕だろうが、むしろ調べてきた情報を元にくじらちゃんに過去を思い出していただこうという作業だから、気分はホームズというよりワトソンだった。地縛霊の安楽椅子探偵のためにそばでちょこまか走る助手の方。

「私も何か出来ないかなー……」

 考え込むように顎に手をやる黒髪の我がホームズ。始まったばかりのシーンを追う視線は、どこか物憂げだ。

 何でもない仕草のはずだが、銀幕に照らされた白い横顔に少しどきりとしてしまう。

 やがて爆音を鳴らし始めたカーアクションに集中する振りをして、僕は慌てて前に向き直った。



「……あ、天才かも」

「うん?」

 大団円で真っ暗なエンドロールを迎えた物語に満足の息を吐くと、隣のくじらちゃんはぽつりとそう漏らした。

「いやほら、私のこと調べるんだから、何かできないかなってずっと考えてたんだよね。せっかく主役なんだし。暇だし」

「九割暇だからでしょ」

「当たり前じゃん。圭一の来ない二十二時間は基本暇なんだから」

 そう言ってくじらちゃんは短く詰めた制服のスカートを摘む。腿を包む青いチェックの裾は、彼女の肌と同じように透けていた。

「ね、これとか――どう?」

「スカート……?」

 中身を見ていいということでは絶対ないだろう。くじらちゃんに実体があったら殴られるところだ。

「んー、というか制服。これって?」

「あ――そうか」

「そ。? その学校の過去の生徒を調べたらいけるんじゃ」

 確かに盲点だった。ほぼ毎日顔を合わせていたというのに考えもつかなかったのが悔しい。灯台もと暗しと言うやつだ。

「私天才……自分の才能が怖い……」

 悦に入ったくじらちゃんは置いておいて、上映中に切っていたスマホの電源を入れる。

「駄目元で画像検索してみる?」

「それで検索できるの? 写るかなぁ私」

 そう言いながらも、彼女はふよふよと床に舞い降りる。前髪を整えたのとほぼ同時に僕はシャッターを切った。

「私の渾身のピース写ってない?」

 撮れ高を確認しに、くじらちゃんはすぐさま僕のそばへやって来る。が、残念ながらというかまあ大方の予想通り、そこに写っていたのは褪せたベルベットの観客席だけだった。

「写らないね」

「くそー」

 幽霊はカメラに写らない。お約束なんだろうけどくじらちゃんは悔しそうだった。

 写真撮って画像検索できれば早かったんだけど、かくなる上は……。

「描くしかないか」

 鞄からメモ帳とペンを取り出し、くじらちゃんに向き直る。大丈夫、何も難しいことはない。見たまま描けばいいんだから。

 艶めく長い黒髪。細い身体を包むセーラー服。裾丈短く青いスカート。黒いスニーカー。

 さらさらとボールペンを走らせて、ものの一分ほどで全身像を完成させた。

「よし」

「どんな感じー? ……うわァ」

 肩口から覗き込んできたくじらちゃんは露骨に嫌そうな顔を向ける。

「ちょっと待って圭一、それ関節どうなって……」

「皆まで言わないで……」

 うん、分かってた。僕に絵の才能は無いってことは……。多分小学生の方がまともな人物画を描くだろう。これはちょっと人に見せるのは躊躇う出来だ。

 この絵をヒントに高校探しをするのは結構厳しい。画像検索はおろか聞き込み調査にも使えそうになかった。

「まあ、唯一私のこと視えてる圭一が探し歩けばいつか辿り着くんじゃない? 気が遠くなるけど」

 僕もそんな気はする。即有力な手掛かりとはいかないが、行き詰まったらくじらちゃんの出身校探しの線で調べることにしよう。

 とはいえ、二十三歳フリーターが手製イラストを元に女子高生のことを探し回るのは、考えただけでなかなか腰が引ける。一歩間違えたら通報案件だろう。なるべくであれば最後に取っておきたい手段だ……。

「あとさ、もうひとつ試してみたいことがあるんだけど、いいかな」

「なぁに?」

「くじらちゃんってさ、本当にここから出られないの? 一歩も?」

「そりゃあ地縛霊だからね」

 僕の提案に、くじらちゃんは「何言ってんの?」とでも言いたげな顔で小首を傾げる。

 僕は彼女が三番シアターから出ているところを見たことは無い。自称地縛霊なのか、単純に引きこもってるだけなのか知りたかったのだ。

「じゃあ圭一、試しに入口の扉開けといて」

「分かった」

 協力的なくじらちゃんはふわりと浮いて唯一の出入口の前に立った。どうやら実演してくれるらしい。

 僕は言われた通りに扉を開いた。

「いくよ――うぐ、ぐぎぎぎぎ」

 勢いをつけて扉の外へと顔を出そうとした彼女は、しかし一ミリたりとも外へ出ることはできなかった。見えない空気の壁が邪魔をしているかのようだ。一見するとパントマイム。

 そのまま十秒くらい粘って、やがてくじらちゃんは諦めたように首を振った。

「はあ、はあ……ね、無理でしょ」

「ありがとう、思ったより無理そうだったね……壁すり抜けたりもできない?」

「無理無理無理、今まで散々試したって。椅子とか照明とかは全然いけるんだけど、壁床天井は本当無理。ぶあっつい壁があるみたいな感じ」

「えー霊なのに?」

「そ。霊なのに」

 やれやれと髪をかき上げるくじらちゃん。僕は密かにその地縛の徹底ぶりに改めて驚いていた。それは彼女がこの劇場という名の檻に永遠に捕らえ続けられていることを意味する。それが数ヶ月なのか数十年なのかは定かではないが、途方もない孤独だろう。

 くじらちゃんは考え込んだ僕を覗き込む。

「何、外出たかったの?」

「あ、いや……僕だけで行くより当事者のくじらちゃんも一緒に行けたら、より何か思い出すかもしれないなって」

 何よりひとりで待ってるの暇でしょ、と言いかけて口を噤む。ちょっと待て、僕はくじらちゃんの何なんだ。世話焼きすぎてお母さんみたいになってないか?

 何か勘づいたのか、くじらちゃんは急ににやにや笑いだした。

「なぁに、私がいないと寂しいの? もしかしてデート誘ってくれようとしてた? 圭一可愛いとこあるよね」

「別にそういうのじゃないから!」

 彼女の笑みを掻き消すように茶髪頭を掻きむしり、改めて劇場扉を引く。図星を突かれたような気がする自分に驚きもした。

 すっかり明るくなった三番シアターの時計は零時を指そうとしている。そろそろお暇の時間だ。

 おざなりに「じゃあね」とだけ言って立ち去ったけれど、耳が赤いのは多分バレてるだろうな。

「あーあ、私が生きてたらな――」

 そそくさと閉めた扉の裏で、そんな呟きが聞こえたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る