第2章

Scene.7 記念館デート

 翌日、実家の車を走らせて向かったのは、一昨日訪れた森岡邸から十分ほどの距離にある、町の中心部から少し離れた図書館だった。

 森の陰に建つこじんまりとした佇まいは、モナリ座を思わせる寂れ具合だった。実際、周辺に暮らす人々は余程の暇人でない限りここを訪れることはない。僕も待ち合わせ場所に指定されてここのことを思い出したくらいだ。

「やあ圭一くん。こっちこっち」

 がらがらの駐車場に適当に停めると、円さんが木陰で手を振っていた。

 今日は僕のバイトが休みだからということで、こうして男二人で朝から町立図書館に足を運ぶに至ったのだが、まあなんというか色気はない。

 車のドアをおざなりに閉めた僕へ寄るなり、円さんは「おや」と声を上げた。

「朝には弱いのかい」

「昔はそうでもなかったんですけどね。最近はどうも」

「「年をとった」と言ってくれるなよ。俺は君より年食ってるんだ。若者は若者らしく元気にいこうよ」

 僕の背中を叩く彼は溌溂と言った。しかしそうは言っても連日この暑さだ。身体の怠さは如何ともしがたい。蝉の鳴き交う空の下、午前といえど蒸した空気が立ち込めている。早く冷房の効いた部屋に行きたかった。

 円さんの背中で揺れる縛った黒髪を追うようにして立ち入ったのは、図書館ではなくその脇の施設だった。冷房の効いた空気がふわりと僕らを包み、ようやく一息吐くことができた。

 図書館よりさらに小規模で、どことなく立ち入り難い人気のなさが漂うそこには、僕も微かながら覚えがある。

 この田舎町の発展に大いに貢献した傑物、森岡正一の功績を讃える記念館だ。

「うわ、懐かしい……」

 無人の受付を潜った先に広がっていたのはガラス越しの展示だった。大小様々な家財道具や詳細な説明パネルが並ぶそこは、一見すれば博物館のようにも見えるかもしれない。

「君みたいな若人でも来ることがあるのかい」

「小学校の校外学習で一度」

「それは退屈だったな」

「芦峯さんは来たことあるんですか?」

「来なくても分かるさ。なんたって収蔵物のほとんどは森岡邸俺の実家から提供されてるからな。どれ、凄腕解説員の俺が事細かに説明してやろう」

「いえ、結構です……というか、なぜここに来る必要が」

「それはまあ、お互いの探し物が森岡家関連だからさ。歴史を知っておいても損はないだろ」

「はあ」

 まあ僕が映画館の過去にあったことを調べる上では必要なことかもしれないが、それにしたって少し迂遠な気もする。それに円さんの探し物……というか忘れ物は実家である森岡邸にあるのだから、わざわざ記念館に足を運ぶ必要もなさそうにも見える。

 しかし首を傾げる僕をよそに、円さんはさっさと展示の方へ歩いて行ってしまった。



 十何年ぶりに訪れた記念館は、誰もおらずしんと静まり返っていた。

 係員の姿も見えないここは、隣の図書館とともに一般人に無料開放されている。入口のパネル展示に順番に目を通すが、どうやら森岡正一の出生から没するに至るまで、輝かしい経歴のすべてについて数々の収蔵品とともに順を追って説明しているようだった。

 半ば礼賛しつつ語る展示を流し見しながら歩くと、先を行っていた円さんと出会った。何やら記念館中央に位置する箱型の展示にしきりに目を落としている。

 僕に気付いた彼は顔を上げ、目の前のそれを指差した。

「これは……ジオラマですか」

「うんそう。森岡邸だね」

 円さんの指先を見ると、平屋をスライスした格好の立体模型が広がっていた。建物の見取り図を立体化したそれは巨大で、かなり精巧に作られていた。

 北・南・西の三棟に分かれる本棟を長い廊下が繋ぎ、所狭しと居間や座敷やらが囲んでいる。さらにその四方に蔵を構え、刈り込まれた生垣がぐるりと一周していた。

 一昨日訪れたときは気が付かなかったが、相当な大邸宅のようだった。

「なるほど……まあ昔とさして変わりはないんだな」

 アクリル製の箱に収まった展示をまじまじと見下ろす円さんは、時折透明な壁に指を這わせてぶつぶつと独り言を言っていた。元実家と言っていたし、何か思い入れでもあるのだろうか。

「ご覧。ここが先日圭一くんと会った日に簀巻きにされた南蔵だよ。暗いし黴臭いし良いことなかったよ」

「そうですか……」

 真顔で聞いてもないことを語る彼のことは置いておいて、その先の収蔵物に集中することにした。

 正一が生前愛した文机や蔵書などを横目に通り過ぎると、突き当たりの巨大なパネル展示と目が合った。それは家系図だった。

 正確にはその一部なのだろうが、大当主たる森岡正一とその妻を結ぶ線から伸びる、四人の娘たちの経歴が記載されていた。手書きの表記から察するに、恐らく本物の家系図から抜粋したのだろう。

 四姉妹の誰もが父・正一が興した事業を承継する形で携わっていたようだ。それぞれ紡績や養蚕、印刷や地銀を任されている。正一の兄弟姉妹たちも様々な関連企業を営んでいる辺り、現代では森岡グループとも呼べるような巨大な一族経営のようだった。

 記載はされていないが、さらにその子たち、つまり正一の孫たちも何らかの事業が分け与えられているのだろう。映画館の館主を務める琳太郎のように。

 華麗なる一族だ、と頷く反面、僕はその図に違和感を覚えた。どこが、と問われると答えにくいが、何か漠然とした見づらさのようなものがその図にはある。

「ちなみに芦峯さんはどの辺りになるんですか」

 図のどこにも「円」の記載はなかった。ふと口にした疑問に、更なる疑問が覆う。

 そもそも森岡姓を名乗っていない彼は、この家にとって一体何者なんだろう。

「ああ、俺はね――」

 円さんは家系図のどこかを指差しかけたが、それは後ろから掛かった声に遮られた。

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