Scene.8 円の出自

「まったく懲りないのね」

 咎めるような声に振り返ると、そこにはスーツ姿の妙齢の女性が立っていた。

 白髪交じりの髪を後ろにまとめた彼女は、首に提げた「受付係」の文字通りこの記念館に従事する人間なのだろう。それにしても、刺すような視線からはこちらへの敵意が見て取れる。

 如何にも不機嫌そうに、女性は続けた。

「お引き取りくださいな。貴方にはもう関係のない家のことでしょう」

「えー、いいじゃない。昔の思い出に懐かしむ権利だって、俺にはあるだろ」

 円さんは茶化すようにそう駄々を捏ねるが、女性はより眉根を寄せて睨みつけた。

「はあ。仕方ない、お暇しようか圭一くん」

 数秒もしないうちに諦めたようにくるりと踵を返し、円さんは出口へと去っていく。戸惑う僕も、慌ててその背を追った。そうでもしなければ、受付の女性はいつまでも僕らを睨んでいたからだった。

 僕たちは尻尾を巻いて自動ドアを潜ったが、

「妾の子のくせに」

 彼女がぼそりと言い捨てた言葉は、外の蝉時雨が覆いかぶさっても冷たく響いていた。



 温度湿度の高い屋外に戻って来るや、僕は前を行く円さんに駆け寄った。

「あの、芦峯さん」

「すまないね。いやあ、もう少し奥に映画館やら商店街やらの正一の遺したもの関連の展示がありそうだったんだが、追い出されてしまった。残念だ」

「それは良いんですけど……」

 展示の詳細はさておき、先程の女性の捨て台詞の真意が気になる。反して円さんはどこ吹く風、といった様子だった。

 言い淀む僕に、彼は「ああ」と合点がいったように頷いた。

「さっきの人か。彼女はそうだな、年が離れた従姉妹ということになるのかな。もしかしたらかもしれない。とにかく、遠縁の人」

「さっき、”妾の子”って……」

「言葉通りの意味だよ。俺は森岡正一と愛人との間にできた子だから」

 怒るでもなく悲しむでもなくむしろ半笑いでそう言う円さんに、僕は一瞬言葉に詰まってしまった。

「……それってどういう」

「ん、そのままさ。俺が生まれる前に正一親父の不倫がバレてね。生まれてすぐ寺へ預け出されたのさ。芦峯は養親の名前だね」

 飄々とした調子で重い身の上を語る円さんに、僕は思わず浮かんだ疑問を口にした。

「母親がいたのに養子に行ったんですか?」

「そう、そこが面倒臭いだろ。俺の親権は親父が取ったんだ。森岡家には男児が生まれなくてね。だから不肖の子であったとしても跡取りとなれる男が欲しかったんだろう。さすがに正妻や娘たちと同じ空間で育てるのには親父も無理を感じたらしく、地方の山寺へ送り込んだのさ。そのうち呼び戻すつもりで」

 無茶苦茶な話だ。聞いておきながら失礼かもしれないが、呆れて言葉も出なかった。

 跡取りのために母親から親権を奪い、しかし家族に不和をもたらすとして家を叩きだされた子ども円さんは、そして子どもを取り上げられた母親はどんな気持ちだったのだろう。

 先程、家系図を見たときの違和感の正体が分かった。本物の家系図の写しだからこそ書かれていたはずの円さんとその母親が消されていたから、全体的にアンバランスだったのだ。

 黙り込んだ僕をよそに、目の前の当人は特段気にも留めていない様子で手を打った。

「さて、俺の身の上話を延々しても面白くないし。圭一くん、次行こう次」

「僕も一緒に行くとは言ってませんが」

「つれないなあ。もうちょっと付き合ってよ」

 今のところモナリ座関連の収穫はほぼゼロだ。無駄足といっても過言ではない。

 とはいってもまだ九時半で、今日は一日休みだ。ここまで来てしまったのだから、もはやこの後帰宅しようと円さんの足になろうと変わりはない。

 それに琳太郎に過去の上映履歴を調べてもらう以外に僕にできることがない以上、一縷の望みに賭けてこの男について行く他なかった。

 渋々車に乗り込むと、円さんは慣れた様子で助手席に滑り込んだ。

「次はどこに行くんですか」

「んー、古き良き森岡家を知る人、かな」

 車内の冷房を勝手に入れて、彼は意味ありげに笑った。

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