Scene.4 食えない男

 断る前に助手席に滑り込んできた芦峯さんを仕方なく乗せ、車を走らせる。いつの間にか車内の冷房は、助手席の彼によって勝手に入れられていた。

 程なくして寂れた商店街の脇を抜け、僕らは町に一軒しかないファミレスへ滑り込んだ。


 着席と同時に出された冷水を一気にあおり、芦峯さんは大きく息を吐く。

 僕にとっても森岡邸の訪問はほぼ徒労に終わったから、同じく冷たい水でも飲み下さないとやってられない気分だった。

「はあ……生き返ったよ。このクソ暑い日に簀巻きだなんて酷いと思わないかい?」

 やれやれと頭を振るが、簀巻きにされるだけの事をしたのか否かは未だ定かではない。

 そもそもこの人が何者なのか、僕はまだ何も知らない。

「芦峯さんは――」

「ああ、まどかでいいよ」

 汗をかいたピッチャーを傾けて二人分の水を注ぎ、彼はそう気さくに言う。

 しかしまあ、出会ったばかりでいきなり下の名前を呼ぶのはなかなか抵抗がある。

 一旦置いておいて、一番の謎を口にした。

「……あなたは一体あの家の”何”なんですか?」

 冷たいグラスを両手で包み、僕は早速切り出した。

 対する円さんは長い指で卓上ボタンを押した。ぴんぽーん、と気の抜けた音が店内にこだまする。

 彼は黒い髪束を梳き、大仰に溜息を吐いた。

「もう見てよ圭一くん、自慢のキューティクルが砂埃でギッシギシだ。大野も容赦ないなあ」

「大野って」

「さっきの使用人さ。俺を簀巻きにした奴」

 今そんなことは聞いてないのだが、そう肩を竦める様子からは不思議と「まあ大野さんも簀巻きにするよな」と思わせる胡乱さというか軽薄さが滲み出ていた。

 僕の視線に気付いたように、円さんは付け加える。

「俺は一応あの家の血筋でね。今は勘当されているけど」

 現代で勘当される人っているのか、と新鮮な驚きをもって沈黙していると、呼び出された定員が注文を聞きにやってきた。

 円さんはほとんど立ち上がりながら、ドリンクバーを二つ注文した。僕にも飲めと言うことらしい。

「君は琳太郎くんの友達といったね。大方、実家の厄介事を嫌った琳太郎くんの代打で来たんだろう」

 ドリンクバーコーナーへ歩きながら彼はそう推察するが、全部当たりだったから僕は曖昧に笑っていた。

 円さんは両手で別々の機械を操作し、コーラとアイスティーを同時に注ぐ。どちらかを飲めということだろうか、と棒立ちでいると、彼は両手にそれぞれの飲料を抱えたまま「飲まないの?」と小首を傾げた。二つとも自分のかよ。

 自分のアイスコーヒーを確保して席に戻ると、円さんは左手のアイスティーにガムシロップを注ぎ入れているところだった。

「そしてその厄介事の正体が「俺という森岡家最大の恥を実家に入れないように見張る」という、この上なく難解なくせに骨折り損なタダ働きだということを知らずに来たんだね」

 知らんわ。言ってみれば私的ボディーガードをやれということだったらしい。琳太郎も言えよ。森岡家ほどの名士なら、普通の警備会社を雇う方が早いだろうに、そんな面倒事……。

「僕もまさかそんなことだと思わなくて……」

「圭一くんは学生かな、そんなにバイトに困ってたのかい?」

「いえ、既に大学は卒業してコンビニでフリーターをやってます」

「そうなんだ。若く見えるって言われない?」

 おどけるようにコーラに口をつける円さんは、悪気がなさそうにそう言った。

 ひとつのテーブルに二人の男、三つのドリンクバーが並んだ奇妙な光景は、そのまま今日の僕の受難を表すようだった。何もかも片付かず、とっ散らかったままの状況。一向に話が進んでいるような気がせず、頭が痛くなってきた。

 そもそもこの人がなぜ「森岡家最大の恥」だなんて呼ばれているのか、このまま聞いてものらりくらりと躱される気さえする。

 次に琳太郎に会ったら問い詰めてやろうと決めて、僕は思い切って話題を変えることにした。

「芦峯さんは普段は何されてるんですか、仕事」

「うん? そうだなぁ。俺はレンタル霊媒師をしているよ」

「は?」

 レンタルの……霊媒師? 思いもよらない単語の組み合わせに、思考が途切れる。

「それってどういう……?」

「言葉通りだよ。一日いくら、で霊媒師の俺を貸し出してるの。SNSで困ってる人からDMが届いたら、駆けつけて酒でも飲みながら話を聞いて肩を叩いてやる、みたいなことをやってる」

「……それで?」

「それだけさ。相手が満足したら終了」

「それだけで賃金が発生するんですか?」

「するする。交通費から食事代、宿泊代に至るまで面倒見てくれる物好きリピーターが何人かいてね。ただ人恋しいってだけの人も多いからねぇ。圭一くん、密かに悩める人というのは世の中にたくさんいるものだよ。こんな俺でも誰かの役に立ってるんだと思うと生きてて良かったなと思うよね」

 飄々とそう語る彼の話を、僕は途中で真剣に聞くのをやめた。要約すると不特定多数相手のヒモという認識で良いだろうか。

「圭一くんは親切な人みたいだ。君のことは気に入ったから、安くしとくよ」

「間に合ってます……」

 こういう生活態度なのだから勘当も妥当なのでは、と僕は黙ってアイスコーヒーを啜った。ここまで怪しい人間もそうそういないだろう。

 すっかり不審な宗教勧誘でも見る目になった僕を、円さんは意に介さないようにグラスを傾けた。

「で、琳太郎くんからそんな面倒事を頼まれたからには君にも相応の報酬があるんだろう? 今日の労働と釣り合ってたかい」

「いえ、琳太郎が館主をやっている映画館に関して調べ物をお願いしていて……それなりに面倒臭い奴を」

「へえ」

 アイスティーの氷をストローでかき回しながら、円さんは不思議そうに眉を上げる。

「しかしあの場末の映画館にそこまで執着する人間がいたとはね」

「それは――」

 口を開きかけて、思わず言葉に詰まった。くじらちゃんの顔が脳裏に浮かぶ。事の顛末の始めから話すとしたら彼女の話題は避けられない。が、初対面の人間に「映画館に地縛霊がいて」と話してどれほどの人間が頷いてくれるだろう。少なくとも僕だったら一笑に付すに違いない。

 しかし何か続ける前に、円さんは合点がいったように「ああ」と頷いた。

「好きな子のために過去映画のリサーチでもしてるのかと思ったよ。映画通を気取れば多少モテるからねえ」

「……はは」

 いやに勘が鋭い。当たらずとも遠からずといったところだ。

 しかしさっきから何だ、僕の聞きたいことには辿り着かないのに、円さんは的確に話を進めてくる。

 いつの間にか空になったコーラのグラスを端に追いやり、彼はいま思いついたように「そうだ」と声を上げた。

「じゃあ圭一くん、俺からもひとつ頼まれてくれないか」

「なぜ僕が……」

「俺は勘当されてこそいるが森岡家の人間だ。あの映画館だって森岡家の持ち物だし、もしかしたら君の調べ物の力になれるかもしれない。琳太郎くんだけに頼るより、手がかりは多い方がいいだろう?」

 確かに僕にとっては助けになるかもしれない。いま僕は完全にノーヒントでひとりの女の子の出自を探ろうとしている。彼の言う通り、新たな手がかりが掴めるのなら……。

 そこまで考えて、はたと気付く。

 ああそうか、この人は適当に話をしていたんじゃない。最初から自分の有利になるように進めていたんだ。だってもう、僕に断る選択肢はそう残っていなかったから。

 円さんは食えない顔で笑った。

「俺はね、実家に忘れ物をしたんだ。それを取りに戻らなくちゃならないんだけど、どうも見つけきれなくてね。だから代わりに――俺の探し物を手伝ってほしいんだけど、どうかな?」

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