Scene.3 森岡家の面汚し
琳太郎は”頼み事”の内容の多くを語らなかった。が、推察するに僕の頼み事と同等かそれ以上に面倒であることは間違いない。
仕方なしに早速翌日、昼までだったバイトを終え「まあ行けば分かる」と教えられた住所へ車を走らせた。地図アプリで事前に場所を検索したが、あいにく道案内をさせる必要はなかった。
そこはこの町に住む人間ならば誰もが知る場所だったからだ。
曲がりくねった山林を往くと、程なくして小高い丘の頂上に辿り着いた。
来た道を見下ろせば、僕の良く知る田舎町をゆったりとした入道雲の影が覆い、流れて、通り過ぎていく。町全体を見渡せるここは、名士に相応しい景色だろう。
振り向けば、巨大な山を薙ぎ払ってできたような広大な土地を白垣がぐるりと覆っている。昔修学旅行で訪れた城を思い出すその漆喰の垣は、端から端まで見渡すのに首の可動域を右から左まですべて使うほど広い。その中央には城門を思わせる立派な欅の門を構え、目の前に立つ僕はその隙なく閉じられた飴色の戸に足が竦んでしまっていた。
ここが琳太郎の祖父の生家であり、この町随一の重要文化財であり、町に住む誰もが畏敬の念をもって近付こうとはしない大屋敷――森岡正一邸だ。
琳太郎はとにかく「俺の代わりにここへ行け」としか言わなかった。余程行きたくないらしい。
血の繋がった人間ですら行きたくない場所なのだから、もちろん僕だって行きたくない。何か粗相でもあったら、最悪僕は実家を発ち二度とこの町の地を踏むことも許されないかもしれない。
どうしよう。帰るか。いや、でもくじらちゃんと約束したしな。今のところ琳太郎に映画の目録を調べてもらうこと以外に有力な手掛かりはない。何とかこの戸の向こうでの要件を果たして無事に帰るしか選択肢はないんだ。
門戸はノックするのが正解なのか、はたまた「御免ください」とでも声をかけるのが正解なのだろうか。しばらく逡巡していると、戸の向こうから閂が上がる音がして、ゆっくりと内から扉が開かれた。
門を開けた主は、見上げるような大男だった。黒いスーツの上からでも分かる、隆々とした筋肉ははち切れんばかりだ。岩を切り出したような険しい顔は見る者を委縮させ、もちろん僕も声を上げることもできずに固まっているしかなかった。
俵のような何かを軽々と肩に担いだ彼は僕に気付いたようで、切れ長の目線を寄越した。
「何だ、君は」
「あ、あの、僕は
「君もこいつのお仲間か?」
「え?」
仲間? 何が? しかし頭を駆け巡る大量の疑問符は、男が地面に転がした何かに完全に掻き消されてしまった。
彼が肩に担いでいた俵状のそれは――
「まったく、手間を取らせるな」
「痛いよー、優しく転がしてよ」
大の大人が簀巻きにされているのを初めて見た。それは確かに若い男だった。恐らく僕よりいくつか上だろうか。黒髪を縛った色白の優男が、この二十一世紀に簀巻きにされ転がされている。
当の本人はというと、地に伏してはいるもののどことなくへらへらと笑い、己にされた所業に関して意に介していないようだった。雑に括った長い黒髪は砂に汚れていた。一体彼は何をしてこんな仕打ちに遭ったのだろう。
地面の男は蓑虫のように這ったまま、取り縋るように大男を見上げる。
「なんだよう、水をくれって寄ってみただけじゃないか」
「黙れ、森岡家の面汚しめ。貴様のせいで亡き御館様がどれだけご苦労されたと思っている。何度来ようと無駄だ。裏山に埋められないだけマシと思え」
「だーかーらー、前回忍び込んだ件は謝ったじゃん。忍び込んだというより忘れ物を取りに来たって言うだけで」
「うるさいうるさい。大奥様が帰ってこないうちに早くどこへなりと消えてしまえ」
「えー、俺の実家なのにー」
簀巻きの男の不平など聞いていないかのように、大男は鋭いままの視線を僕に向けた。
「なんだ、君は部外者か、何の用だ」
「用……というか、僕は友人の頼み事でここに来ただけで」
訝しみ視線をさらに鋭くする彼に、僕はごにょごにょと言葉を濁すほかなかった。何も悪さはしていないはずなのに、無実の罪を告白したくなる迫力がある。
煮え切らない僕に、大男はスーツの埃を払って大きな溜息を吐いた。
「この男をどこへなりと捨てて来てくれ。君が引き取ってくれてもいい」
「捨てる……ってそんな」
猫みたいな、と茶化す前に、重厚な門は僕の鼻先で閉じられた。
残されたのは事情がまったく呑み込めていない僕と、正体不明の地面に伏した男だけだった。
門の向こうの足音が遠ざかって完全に聞こえなくなると、足元の彼はたったいま僕の存在に気付いたように顔を上げた。
「あれ、琳太郎くんかな。見ないうちに大きくなったねえ」
「いえ、僕は」
「昔会ったのはこーんなに小さい頃だったからね。時が経つのは早いねえ」
「琳太郎じゃないです。僕は彼の友人で」
「うん、冗談だよ。とりあえずこれ解いてくれるかい」
冗談かよ。どことなく食えない人だ。
存在から漂う怪しさに躊躇しつつ、しかし放っておくわけにもいかず、僕は車のトランクから使えそうな工具をいくつか見繕ってきて簀巻きを剥がしにかかった。
幾条にもきつく巻かれた荒縄を切ると、ようやく男は筵から解放された。
薄手のカーディガンとチノパンに付いた藁屑を払い、彼は一息吐いて起き上がる。
「はあ助かった。琳太郎くんじゃない恩人の君、なんて呼んだらいいかい」
「……折戸圭一といいます」
こんな相手に名乗るのもどうかと躊躇したが、僕の返答に彼は満足そうに微笑んだ。
「どうも。俺は
どれも気安く呼ぶような肩書でもないだろうが、そう語る様子に不思議と嫌味は含まれていなかった。彼にとっては些末なことなのだろうか。
芦峯さんは立ち上がり、僕の背後を指差した。
「ところで……そっちの車は、君の?」
「僕の……というか親の車ですね。実家暮らしなもので」
その言葉に、芦峯さんはぱっと顔を明るくする。
「圭一くん、どこかカフェにでも行かないか。水が飲みたいのは本当なんだ」
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三番シアターの亡霊はエンドロールの夢を見る 月見 夕 @tsukimi0518
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