Scene.2 ホラーモキュメンタリー
コンビニの日勤を終え、僕は今日も日が暮れたモナリ座を訪れていた。
今宵はホラーモキュメンタリーだった。モキュメンタリーとはフィクションをドキュメンタリー映像のように映し出す手法で、まるで事実であるかのような手触りをもって観客に謎と恐怖を与える作品のことをいう。
最近流行っていて新作映画ではちょくちょく目にする。再演専門の映画館にしては珍しいチョイスだ。
主人公は一枚の見知らぬ家族写真を元に、呪われた血族の過去を紐解いていく過程で心霊現象に巻き込まれ――という滑り出しだ。まだ序盤だが、なかなか引き込まれる。
夕飯代わりの半額パンを齧り、銀幕を眺めていた僕はそこで唐突に閃いた。
「そうだ」
「うるさい圭一」
「はい……」
僕の電撃的な閃きは、隣の席で体操座りして真剣にスクリーンを睨むくじらちゃんに一蹴された。彼女は誰より映画のマナーにはうるさい。上映中の私語は厳禁でしたね。すみませんでした。
作品に没頭するその端正な横顔をしばらく見つめてから、僕も大人しく観客のひとりに戻ることにした。
すべての謎が明らかになったあと画面が暗転してスタッフロールが流れ出すと、隣のくじらちゃんは満足そうに唸って伸びをした。
「あー、やっば最後鳥肌立ったわ。カメラマン視点利用して犯行隠すとか考えたひと天才」
「トリック秀逸だったね。最後のメッセージの意味も分かって二度三度ぞっとする感じがなんとも……いいね」
「え、あれってそういう伏線的なやつ? どれの??」
彼女が気づいていないらしかった伏線について、僕はひとつひとつ説明してやる。
作中の表現を引き合いに出し語っていると、いつの間にか壁の時計は午前零時を回っていた。本日最後の上映を終えた劇場内はとっくに明るくなっている。
「なるほどねー、圭一よくそんなの気付くよね。時間差でめっちゃおもしろー」
謎が解けてほくほく顔のくじらちゃんは「そういえば」と思い出したように言った。
「で、何。途中で何か言ってたでしょ」
「ああそう、それなんだけど。撮ろうかなって、新作」
「お、やる気になった?」
「代わりに――主役は君で」
「えーー」
「主役というか題材にさせて貰えないかと思って。演技しろって言ってるんじゃない。くじらちゃんがどうして死んだのか調べる過程を映画にしたいんだ」
「さっきのみたいなモキュメンタリーってこと?」
そう。僕が撮りたいのはくじらちゃんを題材にしたドキュメンタリーだ。幽霊が題材のドキュメンタリーだなんて、彼女のことが視えない人にとっては虚構以外の何物でもない。
でもそれでいい。
僕の提案に、くじらちゃんは思いもよらなかったのかしばらく宙に浮いていたが、やがて考え込むようなポーズで呟いた。
「突如目の前に現れた謎の美少女地縛霊、彼女には驚くべき過去があった――」
「めちゃくちゃ乗り気じゃん……」
思ったより前向きに検討してくれていたようだった。前向きというより前のめりだ。自分で美少女だと言うあたりに抵抗はないらしい。
しかし僕も知りたい。くじらちゃんのこと。
何が好きで、どんな人に囲まれて、どんな一生を送って――そしてどうして死んだのか。
地縛霊ということは、きっとこの三番シアターに何かしら未練があるのだろう。もしかしたら映画に関連した何かについてやり残したことでもあるのだろうか。
それが一体何なのか、真相に辿り着けるのかは分からない。なんせくじらちゃんのことは、映画好きの女子高生ということ以外何も知らないからだ。
しかし久々に焚き上がった新鮮な好奇心と創作意欲の炎は、僕の胸で燦然と輝きを放っていた。
もう遅かったため、何をどう調べるのかは明日以降に相談することにして、僕は三番シアターを後にした。受付を掃き終えて退屈そうにしていた琳太郎が「お疲れ」と手を挙げる。
「何時だと思ってんだ。いい加減閉めるぞ」
「琳太郎、頼みがある」
「え?」
欠伸を噛み殺す最中だった琳太郎は、僕の突然の申し入れに怪訝な顔をした。
「過去にモナリ座三番シアターで上映された映画を知りたいんだ。そうだな、できれば開館当初くらいまで遡って」
これはくじらちゃんについて調べるのなら、これは外せないだろうと真っ先に思いついたことだった。死ぬ直前に観たという鯨映画の上映日――それはつまり死亡推定日になるはずだからだ。
幽霊が死んだ瞬間の姿のまま歳を取らないのかは僕には分からない。が、仮に五年前の女子高生であった場合と二十年前の女子高生であった場合とでは、調べる対象がかなり異なってくる。
生きていた年代が絞られれば、調べる上で有力な手がかりになり得るはずだ。先に聞いておいて損はないだろう。
しかし琳太郎はあからさまに顔を渋くする。
「ええ……何だって急に……そして超絶面倒臭いやつじゃん」
「毎月の上映スケジュールを遡ればいいじゃないか」
「俺がここの雇われ館主やりだしてそう経たないから、それ以上過去のことは知らねえし……それに毎月データ遺してねえよ、俺」
諦めろよ、とひらひらと手を振る琳太郎。
「あれ配給会社からもらう貸出映画一覧を俺がエクセルでポチポチ転記してんだけどさ、その紙は転記が終わったらその都度捨ててんだよ」
「データは遡れないのか?」
「残念だったな……毎月上書きしてるから過去の演目は追えないんだ」
「そうか……」
食い下がるだけ食い下がったが駄目なようだった。
ただの思い付きにしては良いアイデアだと思っていたのが、いきなり出端をくじかれたような気分だ。
頭を抱えた僕を見かねたのか、琳太郎は「あと……まあ」と渋い顔で言う。
「方法があるとすれば……配給会社側にうちへの貸出履歴が残っていれば追えなくはないだろうけど」
「それだ! 頼む、それを入手してくれ」
「正気かよ……絶対向こうの営業に渋られるやつじゃん。そしてそれを頼むの俺だろ?」
「逆に他にできるやついないだろ。頼むよ」
手を合わせた僕に琳太郎は心底嫌そうに「ええ……」と腕を組んだ。余程面倒らしい。頼むよ、幼馴染兼常連客のよしみだろ。
なかなか僕が引き下がらないからか、彼は何か思いついたようにぽん、と手を打った。
「あー……じゃあ俺からもひとつお前に頼むとするかな」
「おう、何だ。何でも言ってくれ」
「何でも、ね……」
琳太郎は僕の言質を取ったとでも言うようににやりと笑う。
続く彼の提示した条件に、僕は首を傾げた。
「そうだな――しばらく俺の身代わりになってもらおうか」
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