Scene.10 円の提案
実母の遺骨探し、という思わぬ返答に急ブレーキを踏みそうになり、ルームミラーを覗き見る。幸いにも後続車はいなかった。
「骨探し……ってどういう事ですか」
「そのまんまだよ。俺は実母の遺骨を探しているんだ。かれこれ半年くらいになるかな」
「探して、どうするつもりですか」
「うん? 別に食べたりしないから安心しなよ」
「それはそうでしょうけど……」
「遺骨の居場所なんて寺の納骨堂か墓の中だと相場は決まってるだろう? 俺はあるべきものをあるべき場所に戻したいだけさ」
あっけらかんと言う円さんに僕は口ごもる。余計にこの人のことが分からなくなってきた。
赤信号で停車して、助手席を見遣る。
「とても僕に出る幕があるとは思いませんけど」
「そうかい? ……まあ成功したとして君に旨味が少ない話ではあるか」
円さんは前だけを見てそう言った。頬杖をついた端正な横顔は、少し考え込むような様子だった。
この人は僕に何をさせるつもりなんだろう。僕は何に巻き込まれようとしているんだろう。分からない。分からない方がいいのかも知れないけれど、僕が抗わないうちに要らぬ方向へと話が進んでいきそうな嫌な予感はどうにも拭えない。
青になったよ、と言われて我に返り、再び前方に向き直って発進する。この人といると大体そうだが、肝心なことは何も分からないまま進んでいく。どこかのタイミングで取り返しのつかない何らかに巻き込まれるような気がして、どことなく不安だ。
「僕に何をさせるつもりなんです?」
「聞きたい?」
「……何ですか」
訝しむ僕に、円さんは小さく肩を揺らした。笑ったようだった。
「不法侵入」
「……ここで降りて貰えません?」
聞いてみればとんでもない話だった。見慣れた街並みに差し掛かり、人通りの少ない場所で車を路肩に停める。
「もしかしてですけど、森岡邸に忍び込めって言ってます?」
「そうなるね。大丈夫、俺も一緒に行くから」
「立派な犯罪じゃないですか」
「圭一くんは森岡家とは縁もゆかりも無い人間だし、きっと許してもらえ――」
「る、訳ないでしょ! 普通に住居侵入罪で刑事告訴されますよ!」
苛立ちに任せてハンドルを叩くと、クラクションの気の抜けた音がした。どう考えてもふざけた提案だ。僕に犯罪の片棒を担げということらしい。
しかしいくら待っても円さんは冗談だとは言わなかった。軽薄そうに笑ってはいるが、僕を見返す瞳は真っ直ぐだった。どうやら本気らしい。
大きな溜息を吐いて、運転席を降りる。面倒だが助手席に回って外から扉を開けた。
「ほら降りて下さい。マジで」
「あらら、振られちゃったなあ」
「当然の結果だと思いません?」
強制的に暇を告げ、長髪男を叩き出す。案外駄々を捏ねることなくすんなり降りた円さんは「今日はありがとう。楽しかったよ」とだけ言って踵を返した。
彼の背で揺れる束ねた黒髪を見送ることなく、僕は自宅へと車を発車させた。
赤信号で緩やかに止まり、ふと円さんのいた助手席に目を遣る。
黒い座席には、見慣れない小さな紙が落ちていた。
落し物だろうか、折り畳まれたそれを拾い上げる。開いてみると、びっしりと筆文字で埋まった紙片が冷房の風で僅かに揺れた。
「何だこれ……御札?」
何が書いてあるのかは全く分からない。しかし所狭しと何らかの文字列が書かれている中心だけがぽっかりと白く空き、「除」の太字が占めていた。
手紙やメモの類……ではないだろう。あの男の忘れ物か? ただただ分からない。だからこそ気味が悪かった。
「何なんだ……あの人は」
見上げた信号が昼下がりの空に青く灯ると、僕は謎の紙片を握り潰して足元の鞄へ放った。
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