幕間1-1 彼ぴの行方

 今から半年前になるか、ある冬の日に届いた一本のDMに俺は眉を上げた。

 送り主の女子高生らしいその長文の内容を要約すると、「心霊スポットに行った彼氏が帰ってこない」とのことだった。

 まったく、どうして若い子ほどそうした遊びが好きなんだろう。古いダム、空き家、廃ビル……そうした場所には死霊や思念が集まりやすくなる。逆もまた然り、死霊が留まって悪さをするから廃屋になっている、という場所もある。後者は特に質が悪い。

 義務教育で「心霊スポット並びに墓地などに遊びに行ってはならない」と教えてほしいものだ。溜息が白く染まって冬の街に溶けていく。

 自業自得じゃないか、と呆れ半分でスマホをスクロールすると……添付されていた画像に「おや」と目を見開いた。

 その彼氏が足を踏み入れたという廃ビルには見覚えがあったからだった。



「あ、来た。おにーさんがレンタル霊媒師の芦峯さん?」

「どうも」

「ふつーの優しそーなおにーさんじゃん? ほんとに大丈夫?」

 件の廃ビル前で待ち合わせたのは金髪のギャルだった。制服を着ている辺り女子高生なのだろうが、濃い化粧がより年増に見せている。

 短いスカートの裾を見ているだけでこっちが寒くなる。前置きなしにさっさと要件を済ませたかった。

 目の前の廃ビルに向き直る。

「さて早速本題だけど、ここで君の彼氏が肝試しに行って、帰ってこなくなったんだね?」

「彼氏じゃなくてまだぴっぴ」

「そう……どっちでも良いんだけど」

 写真にあった通りの五階建てのビルは、廃墟と呼んで差し支えない佇まいだった。

 ボロボロの鉄筋コンクリート造の建屋は経年劣化で穴が開き、壁から剥き出しになった鉄筋がコンクリートの塊をぶら下げている。がらんどうになった一階フロアの奥に、今にも崩れそうな木製階段の残骸のようなものが立てかかっていた。

 躯体の鉄骨も錆尽くし、行政に打ち捨てられたとでもいうような立派な廃屋だった。

「で、おにーさん。なんか分かんの?」

「ん? そうだね……」

 女子高生に促されて廃墟に目を凝らすと、柱の陰で小さな魚たちが泳いでいるのが視えた。黒い闇夜を切り取ったような魚影は、冷たい空気に揺蕩うように群れを成して瓦礫の間へ消えていく。

 こんなのは俺の視界ではありふれている光景だ。およそ脅威になりえないほどの、一般人には視えも触れもしない思念の欠片か何かだろう。

 が、それ以外には吹き曝しの風景だけが広がっていて、特段おかしなものはなかった。

「……特に何も視えないね。本当に君の彼氏はここに来たの?」

「だからー、彼氏じゃなくてまだぴっぴなのー。入る前にここの写真送ってきたんだから絶対入ったって」

「そうか……」

 彼女は頬を膨らませて言うが、やはり何も視えないし感じない。

 大仰に頭を振り、俺はもっともらしく女子高生に向き直った。

「うん、やっぱり何もないねここは。君の彼氏――彼ぴはどこか別のところに行ったんじゃないかな。友達の家とか」

「んもー、警察みたいなこと言わないでよー! あたし二日くらい未読スルーされてるってことじゃん!」

「力になれなくてごめんね。もし何か分かったら連絡するよ。お代は良いから」

 言い終わるより前に、彼女は踵を返して去っていった。後ろ姿でも分かるくらい不服そうだった。が、これであの子がここに近付くことはないだろう。

「さて、どうしようかね」

 溜息を吐いて、廃墟を振り見る。何も視えない。しかし――その方がマズい場合もある。どうも嫌な予感がした。

 もし本当に彼氏くんがここに来ていたとして……そこにいる何かが視認できないほど凄まじい力を持っていたとしたら――迷い込んだ生身の人間はひとたまりもないだろうし、それは俺の手に負えない何かによるもの、ということになる。

 実はこの場所で死んだ人間には心当たりがあった。だからこそ、これからあちこち探して本当に成仏したのか――この世から消えたのかを確かめなければならない。

 名前も知らないような小さな魚の影が、足元をすり抜けて空っぽの廃墟へ泳いでいく。

「……そこに誰かいるのかい?」

 掛けた言葉に振り向く者はおらず、ただ二月の乾いた風がさらっていった。


 ここは、俺の母親の死に場所だった。

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