中村由佳

――なぜ? なんでバレた? 


 良太は焦る胸の内に疑問を重ねる。

 用事の内容を言わずに図書室に来たから? ウカガイ様に怯えているのは皆が知ってる? それとも――誰かから聞いた? 


 たとえば、久我硝子から。もしくはkoshokosho_3か。洋介の可能性もある。単に当てずっぽうで言った可能性もある。


「……菊池くん?」


 もう一度か細い声で名を呼ばれ、良太は迷った。

 中村由佳を、信用していいのだろうか?

 koshokosho_3は何と言っていた? 自衛だ。ウカガイ様の話をするのは禁忌のはず。あのときと同じように罠だったららどうする? まずは身を守るべきだ。koshokosho_3は誰も信用するなと警告するために良太をからかったのだ。ならば、


「えと、ち、違うよ!」


 僕はバカだ、と良太は口の中で呟く。こんなに声を上ずらせたらそうだと言っているようなものではないか。けれど、嘘をはじめた以上は貫かなくてはならない。

 良太は手にしていた本の背表紙を由佳に見せた。


「あの、僕、せっかく東京に引っ越してきたのに、まだ家と学校の往復だけしかしてないからさ、今度の休みにちょっと観光してみようかなと思って……」

「……それで、お寺と、神社?」

 

 由佳は身を守るように抱きしめた手をそのままに尋ねた。

 苦しい言い訳なのは分かっていた。けれど、田舎育ちゆえに言えることもある。


「う、うん。地元の友だちがさ、言ってたんだ」


――知らないから怖い――ではなく。


「街を知るにはまず寺社仏閣なんだって。歴史があるところから始めると印象が変わるよって」

「……印象?」

「そう。あの……ちょっと恥ずかしいんだけど――僕の地元、すごい田舎だからさ。なんていうか、東京って大都会! ってイメージがあって、気後れしちゃって。でも友だちがいうにはどんな都会も元は田舎だから、調べて、そこから見て回れば慣れるんだってさ」

 

 胡乱げだった由佳の瞳が幾度かの瞬きを挟んで丸くなった。安心したかのように息をつき、身を守るようにしていた手のひらで口元を隠して肩を揺らした。


「なんだか、すごい友だちだね」

「えと、うん。すごいやつなんだよ」


 怜音は。と良太は声には出さずに胸を張った。まるで自分のことのように。

 

「それだったら、学校の近くにもいくつかお寺とか神社があるよ。行ってみるといいかも」

「そうなんだ。ありがとう」


 とりあえず乗り切れたように思えた。これ以上は逆に怪しまれるかもしれない。良太は集めた本を抱えなおし、わずかに首を傾ける。

 

「えっと……それで――」

「あっ、そっか。ごめんね邪魔しちゃって。早く東京に慣れられるといいね」

 

 にこやかに言い、由佳が背中を向けた。良太の側ではなく、反対側から書架を回り込むつもりなのだろう。

 その背中が書架の陰に完全に隠れてしまう直前だった。


「あの」


 良太は声をかけていた。自分でもなぜ呼び止めたのか分からない。不安だったのか、あるいは、地元の友だち――怜音の話題が出たことで、忘れていたことを思い出したのかもしれない。


「なに?」


 と、ひょっこり顔を出した由佳に、良太は数秒の思案をしてから尋ねた。


「あの、僕、入学したときにもらった資料、失くしちゃったみたいで」

「資料?」


 書架で躰を守るように横板に指をかけつつ、由佳がオウム返しに尋ねる。良太は先ほど彼女がしたのと同じように、周囲に一瞬だけ視線を走らせ、他に人がいないことを確認してから唇だけを動かした。


――ウカガイ様。


 また、由佳が目を見開いた。少しだけ書架に隠す面積を増やして言った。


「あの、それは……先生に相談したほうが、いい、かも……」


 もっともだ。けれど、それではしか手に入らない。欲しいのは資料である。

 良太は照れ臭そうに見えるよう顎を撫でつつ言った。


「それはそうなんだけど……なんか、怒られたり目をつけられても嫌だなって」

「……もしかして、それが本当の悩みごと、だったりする?」


 やはり疑われていたらしい。ひとまず泳がすつもりで由佳は納得したフリをしていたのだ。良太は自分の判断が間違っていなかったことに安堵し、真相を勘違いさせるべく答えた。


「うん。実はそうなんだ。入学早々、大事な資料を失くしたとか……ちょっとね」

「……そっか。そうだよね」


 言って、由佳が書架の陰から半身を出した。


「あの、私の、家にあるから、明日コピーもってきてあげようか?」

「えっと……コピーだとまた失くしちゃいそうだから、写真とか送ってもらえたりしない?」

「え」

 

 と怯えたような一音を発し、また由佳の躰が半ば以上、書架に隠れた。

 良太は慌ててフォローを入れつつ食い下がる。


「あ、えと、無理ならいいんだけど。コピー取るのも手間だろうし、写真のが楽かなって。ダメならコピーでも、もちろん嬉しいんだけど」

「じゃあ、じゃあ……えっと……」

 

 由佳はあちこちに視線を巡らせ、やがて足元を見てうんと一つ頷いて、書架の陰に引っ込んだ。次に半身を出したとき、その手にはQRコードの表示されたスマホがあった。


「えっと、これ、私のID。他の人に言わないでね」

「あ、うん。ありがとう。ちょっと待ってね」


 良太はスマホのカメラを向けてQRコードを読み取った。表示された名前は、


「tanukinoponkichi――たぬきのポン吉? たぬき好きなの?」


 あっ、と慌てるような声を出し、由佳が頬を仄かに赤くした。


「う、うん。変だよね」

「いやいやいや! ぜんぜん! ぜんぜん変じゃないよ!」


 良太が慌てて否定すると由佳は驚いたように書架の陰に隠れ、シー、と唇に指を添えた。そうだ図書室だったとばかりに、良太はわざとらしく口を押さえた。

 二人はどちらともなく視線を交わし、吹き出すように笑った。


「僕の地元、山ばっかりだから、よくたぬき見たよ。びっくりしてすぐ気絶しちゃうんだ」

「この辺にもいるんだよ、たぬきさん」

「え、東京にも? だって……」

「本当だよ。お寺とか、意外と森も多いし……あ、そっか」


 由佳は書架の盾から身を出し、笑った。


「たぬきがいるって知ったら、ちょっと安心でしょ?」

「東京も田舎だって? ……さすがに厳しいかな」


 ダメかー、と由佳は微笑みながら手を振り、書架の陰に消えた。

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