図書室にて
村八分――ひさしく聞かなくなった言葉だが、良太の地元ではまだ息をしていた。無論、火事と葬式以外では村ぐるみで断交するというかつてのそれとは異なる。けれど、ある意味ではもっと厳しい処遇だったのかもしれない。
旧来の
一方で、現代の八分は村ぐるみでの排斥が主となる。
村民が当然すべきであることをしないのであれば、もちろん村民とは呼べない。村民でもないのに村に居座るのは許されない――と、そういう理屈である。
たとえば、良太と怜音が出会ったきっかけでもある、俗に寺子屋と呼ばれていた慣習だ。
良太の地元では共働き家庭が多く、それでいて農家は数を減らしており、子どもは家に帰ってもすることがなかった。外に出て悪さをされても困るので一つ所に集めておきたい。そこで村民すべてが加入する自治会で持ち回りに子どもを預かる家を決める。もし寺子屋を担当できないのであれば、かわりに会費とあわせて心づけを渡す。
昔話として聞かされたのは、それらやるべきことをやらずに預けられた子どもの行方だ。
――帰り道を間違えちゃったんだろうねえ。暗くなると村の
あっけらかんとそう口にして、老婆はつづけた。
――昔のことだよ、昔のこと。
寺子屋を使っていたころは怪談話くらいに捉えていたが、成長すれば警告だったと気づく。家に帰った子どもが親に言うのだ。怖い話を聞いたと。大人は概要だけで意図を察する。
――嫌なこと思い出しちゃったな。
良太は胸の内に呟きつつ図書室の扉を開いた。瞬間、目を見開く。入ってすぐ正面に六人掛けの長机が六つ。左手側に資料検索用のパソコンが四台、右手側の『貸し出し・返却受付』と書かれたカウンターにも二台。あとはソファーが二脚にいくつかの丸椅子が点在するだけで、他のすべてが本棚だった。
――本、本、本――本がこんなに!?
白宮学園の図書室は、良太の想像できる範囲をはるかに上回っていた。受験の前に一度だけ校舎を見学したが、図書室という響きにそこまでの期待はしていなかったのだ。
なにしろ地元では当の菊池家が一番の蔵書家と噂されており、それでも多く見積もって千冊あるかどうかだったのだ。役場に作られていた図書室なぞいうに及ばず、バスに乗って行った古い図書館は数こそ勝っていても擦り切れた本ばかりだったのだ。
それが、こんなにも新しい本が――あるにも関わらず、
「誰も使ってないんだ……」
良太はそう口に出し、それが音として耳に届いたことに驚いた。慌てて首を巡らすも、やはり図書室には誰一人いなかった。
今日がたまたまそういう日なのかいつも利用者がいないのかは分からない。カウンターそばにある『今月のベスト十冊』と書かれた飾り棚と、そこに表紙を連ねる数人の手を経たであろう表紙を見る限り、どうやら前者らしいとは思うのだが――むしろそうであってほしいと思うばかりだ。
軽い眩暈のような感覚を覚えつつ、良太は
まずは二百番台――歴史から日本史、特に関東地方。近代東京と江戸の歴史の概説書を二冊。
次に書架を移って社会科学から民俗学を探す。こちらは歴史と違って東京に絞ったものは妖怪がらみの古い資料がいくつかある程度だ。歴史については授業で使うが民俗学といった専門的なものになると需要が乏しいのかもしれない。眺める程度になりそうだが確保しておく。
最後に一番の望み薄、百番台の後半、百六十から百八十八まで――つまり宗教、神道、仏教の三つである。書架は部屋の最奥、さらに下段。しかし、意外にも数は多かった。良太は床に片膝をつき背表紙を目で追っていく。
『寺社から辿る江戸と東京』『江戸庶民の信仰』『23区のパワースポット!!』『古寺と新寺』『古地図で紐解く東京の……
「――菊池くん?」
「うわっ!?」
ふいに投げかけられた細い声に、良太は悲鳴をあげていた。小脇に抱えていた数冊の本が床に落ちてバタバタと音を立てるなか、ひえっ、と小さな慄きも混じった。
一瞬にして強張った首の筋肉を軋ませながら、良太は声のほうへと振り向く。
「……え、と……中村、さん?」
先ほど教室で別れたばかりの久我硝子の取り巻き――の大人しいほう、中村由佳だった。
コクン、と由佳が申し訳なそうに頷く。
「ご、ごめんね。驚かすつもりじゃなかったんだけど……」
消え入りそうな――実際、最後のほうはほとんど聞き取れない囁きだった。
「あの、私、図書委員だから……」
「……あ、ああ! だから!」
なにがどうだからなのか分からないが、良太はひとまずそう口に出しつつ本を拾う。ついでに最後に目についた『古地図で紐解く東京仏教』も引き抜いた。立ち上がり、正面から向き合って、良太と由佳はどちらともなく頬をひきつるようにして愛想笑いを浮かべた。
「えと、それじゃ、僕は――調べたいことが、あるから……」
横を突っ切って抜ける。そう決めて歩き出そうとしたとき、身を守るように胸元で手のひらを重ねていた由佳が視線を書架に滑らせた。
「もしかして調べものって――」
通り抜ける間際だった。良太が振り向くと、由佳が俯きがちに、顔色を窺うようにして、唇だけを動かした。
ウカガイ様?
間違いなく、そう言っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます