頼みの綱

 良太は家に帰るとまっすぐ部屋へ向かい、ブレザーも脱がずにベッドに倒れこんだ。昼から下校までの数時間をこれほど長く感じたのは小学生のころ以来だろう。あのころは地元で開かれる盛大な――地元ではという意味だが――祭りが待ち遠しくて長く感じたが、東京ではウカガイ様を名乗る人の姿形と生を得た人ならざる存在がいたずらに時間を引き延ばしている。


「なんで僕なのさ……」


 ほとんど口癖のようになっていた。良太の手は自然とスマートフォンに伸び、顔の前へともっていく。


 koshokosho_3を名乗るアカウントは沈黙したままだ。あくまで質問に答えるという役割を担っているだけで、積極的に助ける気はないのだろう。


 それにしても――それにしても、koshokosho_3は誰なんだろうか。

 昼、良太たちが食堂から戻ってきたとき、久我硝子はいつものように二人組(と外部生らしき一人)に囲まれて談笑していた。特段に変わった様子はない。良太の姿に気づいて、明らかに意図的に一度、目を瞬いたくらいだ。


 あの瞬きの意味は何だろう、と良太は思う。

 アカウント名からして持ち主は久我硝子のように思える。しかし態度はまるで別人だ。仮に同一人物だったとして、あれだけ冷たいやりとりをしておいて、あそこまで平静に振舞えるものだろうか。


 koshokosho_3は身バレを恐れていた。より正確には、そのアカウントがウカガイ様についての情報をばら撒いていると知られることを。


 ウカガイ様の話をするのは白宮学園において絶対の禁忌だ。破れば最悪は退学まであると久我硝子が匂わせていた。となれば内部生の誰かだろう。そして、アカウントのアイコンはどう見てもウカガイ様が手首から垂らしていた鈴だ。


 ――もしかして、ウカガイ様……?


 本人以外にどうやって鈴の写真を撮れるというのだろう。鈴につけられた金細工や組紐の編み目がはっきり見て取れるほど近影だ。

 良太はkoshokosho_3宛にメッセージを打ち込んでいく。


 良太:あなたは、ウカガイ様ですか? 


 送信ボタンに指が触れる寸前、良太は重みを増したため息とともにメッセージを消した。聞いたところで答えてはくれないだろう。それどころか、またからかわれるかもしれない。

 東京に味方はいない。

 両親ですら元々は東京の人間で、ウカガイ様は日常の中にあった。怖いというのも恥ずかしいが、いったとしても早く慣れろと返ってくるだけである。

 洋介ならあるいは、とは思う。しかし、巻き込みたくない。いや、むしろ助けを求めて断られたら立ち直れなくなるかもしれない。

 八方塞がりだ。相談したくてもしていい場所がない。相手がいない。

 良太のことを案じてくれて、話を真面目に聞き、巻き込まれることのない人は、一人。

 良太は画面を繰って送り先を変えた。

 怜音だ。

 東京の外にいて、親よりも長い時間を共に過ごした唯一の幼馴染。

 

 良太:やっぱり東京、辛い


 そのまま送ろうとした手を止め、「かも」と付けくわえて送信する。精一杯の虚勢だった。スマートフォンを伏せ、枕に顔を埋め、ため息をついた途端に頭が鈍るのを感じた。

 ポン、とどこか遠くで電子音が鳴った気がし、良太は顔をあげた。スマートフォンのライトが受信を知らせようと明滅していた。

 よほど疲れていたのだろう、少し寝入っていたようだ。十分か、二十分か――窓から差し込む陽の陰りからみてそう長い時間ではないだろう。


 怜音:そういうときは牛乳を入れるといいんだよ


 返答の意味を分かりかね、良太は思わず吹きだした。ツライをカライとのだと気づいたのは躰を起こした後だ。


 ――やっぱり、怜音なら――


 たった一文で緊張を解され、良太はほっと口元を緩めながら文字を打ち込んでいった。

 

 良太:東京に牛乳はいらないよ

    辛さが十段階で選べるから


 他愛のない会話に心だけが地元に帰った。東京に来てからすぐに連絡したのもあったからだろう、koshokosho_3とウカガイ様についてやりとしたのもあっただろう。

 

 良太:なんかこの前に書いたヤバイのに狙われてるっぽい

    ウカガイ様っていうんだけど


 そう送っていた。電話では話せない。どこで聞かれているか分からないから。

 できるのは、自室で隠れるようにメッセージを送ることくらい。ウカガイ様の名を出すと堰を切ったように悩みが溢れた。


 自分に取りくウカガイ様の存在が重すぎた。他のすべてに蓋をしていたのだ。


 部活のこと。進学のこと。内部生と外部生の関係。新しくできた友達との距離感がまだつかめていないこと。両親が別人みたいに東京の人っぽくなったこと。

それからもちろん、koshokosho_3のこと――


 良太:久我さんに騙されたのかな?

    生贄にされたとか?

    そもそも誰なのか全然わからない


 矢継ぎ早に送りたて、良太ははたと気づいた。しまった。返信がない。一方的に愚痴を吐きすぎたかもしれない。あれもこれもと送りすぎて面倒がられたかもしれない。嫌われたかもしれない。怜音にも怜音の生活があるのだ。


 もし嫌われたとしたら。

 ここで関係が途切れてしまったら。


 ――どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう!


 良太は慌てて謝罪のメッセージを打ち込んだ。送信しようと文面を見直しこれじゃダメかと口をふさぐ。焦りのせいか自分で書いた文章すら頭に入ってこなかった。


 仮に送ったとして、見てなかったとしたら?

 すでに切れてたら?

 良太は我知らず喉を鳴らした。解きほぐされたばかりの躰が重くなった。

 だから――だから、


 怜音:いやいや良太よ

    koshokosho_3はその久我硝子さんだよ


 そう確信しているかのような返信があったとき、良太はスマートフォンを大事に両手で捧げ持ち、深く安堵の息をついていた。

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