koshokosho_3
同じ昼時、久我硝子がどこにいるのか分からないが、返信はすぐにあった。
koshokosho_3:最初に言うことがそれ?
koshokosho_3:普通はじめましてじゃない?
はじめまして? と良太は眉を寄せた。koshokosho_3は久我硝子ではないのだろうか。良太は怪訝に思いながら文字を打ち込んでいく。
良太:ごめんなさい。はじめまして。
koshokosho_3:素直だから許してあげよう。
koshokosho_3:今のウカガイ様が食堂に来たことはない。
koshokosho_3:これまでは。
良太:これまで?
koshokosho_3:中等部の頃は来なかったって意味。
koshokosho_3:先代は知らないよ。
koshokosho_3:知りようがない。
矢継ぎ早に送られてる返信に焦りつつ、良太は湧いた疑問を差し込んでいった。
良太:ウカガイ様だからですか?
koshokosho_3:ご明察。
koshokosho_3:ウカガイ様はいるけどいない。
良太:ウカガイ様の話をしてはいけない。
koshokosho_3:そのとおり。
koshokosho_3:だから今のウカガイ様が食堂に来るかは分からない。
その回答は良太に天を仰がせるのに充分だった。中等部の頃は来なかった。けれど今は分からない。言い換えれば、中等部と高等部でウカガイ様の巡回ルールが違うかもしれないというのだ。しかも情報共有は禁止されているため、たしかめるには現場にいるしかない。
良太は視界の端にうどんの器を受け取る洋介を捉えつつ、ポツポツと指を動かす。
良太:あなたは硝子さんで合っていますか?
koshokosho_3:その質問には答えられないかな。
良太:どうしてですか?
koshokosho_3:自衛。
そうか、と良太は思う。ウカガイ様の話をしてはいけない。このやりとりを誰かに見咎められれば硝子に累が及ぶ。身を守りたければ名前を伏せておく必要がある。
そうと気づいた瞬間、良太は息を呑んだ。
アプリ上で使用している名前は相手にも見えている。つまり、
koshokosho_3:しくじったね。
koshokosho_3:良太くん。
良太は胃の底のほうからこみ上げてくるものを感じた。咄嗟に口を塞ぐ。これでは脅威が増えただけだ。久我硝子に騙されたのだろうか。だとしたら何のために。そうすることで彼女に何のメリットがあるというのだろう。
「――生贄?」
我知らず良太は呟く。硝子はウカガイ様を恐れていない。慣れている。見えていないし聞こえないし存在しないことにしていられる。けれどそれは今のことであって昔は違ったのかもしれない。このアカウントを知ってから耐えられるようになったのかも。
もしそのとき――そのとき、見返りとしてkoshokosho_3から何らかの要求があったとしただどうだろう。それが何であれ、久我硝子はkoshokosho_3の呪縛から逃れるために、かつての自分と同じくウカガイ様に怯える生徒を見つけ、生贄として差し出したとしたら――。
何一つとして確証のない、邪推という他にない論理だが、否定もできない。
ウカガイ様の話をしてはいけないから、たしかめる術もない。
目の前は暗く、躰は冷たく、忌避感が喉をせり上がり飛び出ようというときだ。
ドン! と対面の席にトレイが置かれ、群青色のうどん鉢から僅かに汁が溢れた。
「っだぁぁぁ、悪ぃ、待たせた!」
洋介だ。良太は束の間スマホから視線を切り青白くなった顔を向けた。
「うわ。マジで大丈夫か? すげえ汗かいてんじゃん」
「たぶん、大丈夫、だと思う……」
苦笑まじりに答えると、洋介は椅子に腰掛けつつ、良太のスマホを示すように顎を振った。
「それ誰? なんかすげえ勢いでメッセージ来てるけど」
「え!? あ、これは――」
言いつつ、良太はスマホを取った。画面には洋介の指摘通りkoshokosho_3の短文による返信がずらずらと並んでいた。
koshokosho_3:ウカガイ様の話をするなら気をつけるんだね。
それが直近の内容だ。良太は文字を追いながらメッセージを遡っていく。
koshokosho_3:今回は貸しにしておくけどさ。
koshokosho_3:このやりとりは人に見せたりしないこと。
koshokosho_3:助けてもらうフリして私を狙ってるかもだし。
koshokosho_3:正直まだ君は信用できない。
koshokosho_3:だから勝手に人に教えたりしないように。
koshokosho_3:協力はしてあげるけど私だって自分の身は守りたい。
koshokosho_3:もう分かっただろうけど危ないことしてるから。
koshokosho_3:ビビった?
先の返信は注意喚起を促すための小芝居だった――ということでいいのだろうか。
良太の口から安堵の息は出てきそうになかった。
「誰なん? ウチのクラス?」
そう興味なさげに尋ねつつ、洋介はうどんの上で黄金色に湿る油揚げを箸で手繰った。
「えっと……」
良太は咄嗟にアプリを閉じスマホをポケットに押し込むと、もたもたと弁当の包みを開く。
「前の学校の――地元の友達……みたいなものかな」
自分でも驚くほど簡単に嘘を吐いていた。けれど、他にしようがない。言えば洋介を巻き込んでしまうし、むしろ洋介がこちらを陥れようと――。
自らの思考に慄き良太は固く目を瞑った。
洋介が手繰ったうどんに息を吹きかけながら言った。
「とりあえずさ、一緒にいれば安心じゃん? 俺はわりと慣れてっし。――てか、このうどん割と美味くてビビるわ。東京すげえ」
そう冗談めかす姿に、良太は内心で後ろめたいものを覚えながら弁当を開けた。
うわ、と良太は思わず声を漏らした。洋介が胡乱げに目を細める。
「どしたん?」
「や、なんか、お弁当の感じが違うから」
「……何が? 見たとこ普通だけど」
「まあ、普通は、普通なんだけど……」
地元にいた頃は、つまり田舎にいたころは開けると驚くほどに茶色かった弁当の中身が、何やら色彩豊かになっていた。手に入るものが違うのか、東京に来て感覚が変わったのか――。
自分だけが取り残されているような、自分だけが置いてきぼりにされているような、奇妙な感覚があった。
「てかさ」
洋介が言った。
「そのアプリ、良太もやってんのな。後で俺にもアカウント教えてよ」
「え? あ、うん。いいけど……」
「あれだ、内部生グループとか作ろうぜ。連帯だよ、連帯。皆で戦わないとな」
何と? とは聞けなかった。
周囲に喧騒が戻り、良太は幾分か恐れの薄れた日常へと回帰していく。
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