学食にて
ウカガイ様の再訪を恐れながら三、四限をやり過ごし昼の予鈴が鳴ったとき、良太は疲弊しきっていた。
「――えっと……大丈夫か?」
洋介の気遣わしげな声にも、ただ首を上下するのがやっとだった。
「とりあえず、アレ、良太はメシどうすんの? 学食?」
「ごめん、僕あんまり食欲ないかな……」
「まあそんな顔色してるけどさ。けどアレじゃね? 教室にいるより良くね?」
言って、洋介は視線を廊下側の窓に投げた。
どうなんだろう、と良太は思う。ウカガイ様は昼休みにも教室に現れるのだろうか。あるいは逆に、学食に姿を見せたりするのだろうか。
隣席の硝子はすでに教室を出たようで、いつもの二人とプラス一――萩原沙織と中村由佳、それに朝方に見た外部生らしき女子生徒の姿もない。
「気分転換だよ、気分転換。一緒に学食行こうぜ?」
「ありがとう。でも僕、今日お弁当で……」
「いや、ぜんぜん平気だから。けっこう学食で弁当食ってるやつ多いよ」
「じゃあ……うん。一緒に行こっか」
良太が答えると同時に、洋介が背中を叩いて笑った。
白宮学園高等学校には学食の他に購買部と大手チェーンのコンビニエンス・ストアが入っており、生徒たちはそれぞの昼食を求めて、あるいは食べる場所を探して廊下を歩く。全校生徒のほとんどすべてが動くのもあって、その様は東京の雑踏さながらだ。
――もし、このなかにウカガイ様が現れたら。
良太の想像の世界では、生徒のほとんどが存在を無視し、自分だけが身を竦ませている。ウカガイ様は雑踏のなかに立ち止まる生徒に気づいて近づいていく――
「ちょっとビビりすぎじゃね?」
ふいに横から投げられた洋介の声に、良太は我に返った。
「……ごめん。分かってるんだけど」
「いや謝ることじゃないっていうか、怒ってるんじゃなくてさ」
――ウカガイ様の話をしてはいけない。
洋介は言葉を選びながら話しているのだろう、ゆっくりと、つまりがちに言った。
「言ってもさ、けっきょく、新一年生なわけだろ? 女子だしさ」
「それは、そうなんだけど……うん、分かってるんだけど」
「無視だよ、無視。相手しなきゃいいだけでさ。いざなんかされても、バシッと、こう――」
言いつつ洋介が拳骨で殴るような素振りをした。抵抗すれば勝てると言いたいのだろう。良太自身も考えたことだ。いくら存在に圧があっても同じ人間だろう、と。
しかし、それは事実であって現実ではない。
ウカガイ様は人であって人でない。
良太の父、直幸の話からすれば、生徒たちの守り神である。
ただし、俗にいう祟り神や荒御魂に近く、決まりを破れば厄災をもたらす神だ。
父から聞いた何十年も前のウカガイ様の話。メグルくんと呼ばれたそれの厄災は、加害生徒本人はおろか、その家族すら街から追い出したとされる。
「ヨウくんはさ……知らないから」
そう思わず呟いてから、良太はしまったと顔をあげた。
洋介が胡乱げに眉を寄せて言った。
「知らないって、何を?」
「えっと、ごめん。噂っていうか……その、祟り、みたいな……」
「考えすぎだと思うけど――いや待った、俺も実はちょっとビビった。あれは」
言って、洋介はまるで窓を叩くように手のひらで空中を掻いた。その嫌そうに歪められた唇と大仰な仕草に良太は頰を緩めた。
「お、やっと笑っ――って、めちゃ混んでるじゃん!」
洋介の悲鳴じみた声のとおり、学食には数多の生徒が詰めかけていた。クラスや部活、過去のつながりなどで群れ、大小さまざまな島を形成している。一人できている生徒はほとんどおらず、いても人待ち顔で、良太と洋介のように二人組すら珍しいようだ。
「出遅れるとヤバいわ。良太、悪いけどあそこらへんで席お願い。俺うどん買ってくる」
頷き返し、良太は洋介の示した二つの島の小さな狭間に足を向けた。一つは上級生の集まりで、もう一方は部活のつながりだろうか、三学年のすべてが混ざり合っていた。
洋介が対面に座るのを見越して、良太は他の生徒の見様見真似で弁当の包みを正面の席に置いた。瞬間、良太は奇妙な疎外感を覚えた。
地元の、中学時代の給食とはまるで異なる風景だからだろうか。
自分と弁当箱、そしてそこにいない、けれどいつかくる誰かの気配――洋介の席があるからか、犇めき合う生徒が誰一人として意識を向けてこない。
まるで結界となっているかのように。
良太は自らの発想に小さく吹き出し、テーブルに額を押しつけた。冷えた感触に目を閉じると、すぐに鈴の音の幻聴があった。
学食に現れるウカガイ様。喧騒は止まるのだろうか。無視するのだろうか。
ため息とともに躰を起こし、良太は洋介の姿を探した。彼は橙色のトレイを持って大人しく列に並んでいた。良太の視線に気づくと、悪い、とばかりに小さく手刀を切った。
良太は目線で平気だと答え、スマートフォンを手にした。
koshokosho_3
硝子にもらったID。一瞬どうするべきか悩んだものの、普段、怜音とのやりとりに使っているアプリで検索をかけ――
「えっ」
と良太は息を飲み込んだ。アカウントはすぐに見つかった。おそらく硝子のものであろうこともすぐに分かった。
なぜなら、アイコンが、ウカガイ様が左手に垂らす鈴の写真だったからである。
良太は慌ててスマートフォンの画面を胸に押し当て周囲に首を巡らす。自分と弁当箱が生んだ結界のおかげか、誰もこちらを見ていなかった。
一つ、ゆっくりと深く呼吸し、良太は文字を打った。
良太:ウカガイ様が学食に来ることがありますか?
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