内部生

 始業式から一週間、教室はささやかながらも騒がしくなっている。入学当初の緊張は時間が解し、授業をはじめとした日々の生活が遠慮を減らし、自然とグループもできつつあった。ただし、当然ながら内部生と外部生の間には一定の距離がある。


 ――白宮学園で生き残るには――。


 と良太は通学路で言われたことを胸の内に繰り返しつつ、隣席に目を向ける。

 今朝の久我硝子は三人の女生徒に囲まれていた。うち二人はよく見かける内部生である。


 机を挟んで硝子の正面に立ち、前の席の背もたれに尻を乗せているのが、萩原はぎわら沙織さおり。肩の少し下あたりまで伸ばした黒髪を揺らしてよく笑い、付き合いが長いからだろう、何かと硝子の躰に気安く触れる。


 対照的に、もう一人の内部生、中村なかむら由佳ゆかは決して触れないし触れられないように動いているように見えた。だいたいいつも硝子の左手側に位置取っており、話題を向けられると目の上辺りで切り揃えた焦げ茶色の前髪を指で撫でるのが癖だ。


 そして、今日はもう一人――制服の着慣れていない感じと、自信なさげに背中を丸める雰囲気ですぐに外部進学組と分かる。明らかに硝子に気後れしているのも。


 久我硝子は一‐C内部進学組のなかでも顔が広いほうらしく、沙織や由佳がいないときでも常に誰かが傍にいる。ときには別のクラスから人がやってくることもあり、その場合、良太はなかなか声をかけられず待つしかなかった。たいていはすぐに硝子が気づき、席を空けさせてくれるのだが。


 ――そういう視野の広さが人気の秘訣なのかな?


 と良太は地元の友人、怜音に重ねてぼんやりと思う。怜音もそういうところがあった。

 

 もちろん、人当たりの柔らかさもあるのだろう――今日も硝子は良太に気づいて片手を小さく挙げた。


「おはよう、菊池くん。何かあった?」


 瞬間、彼女の周りの三人が良太に視線を向けた。その圧に。


「あ、えと、お、おはよう……久我、さん……」


 良太は舌をもつれさせながら応じた。たった一組、外部生からの同情的な、あるいは共感的な色味をもった瞳があった。目が合うとなんとも意味の曖昧な頷きがあり、良太もわけがわからないままに曖昧な頷きを返す。


 頭の中は、見ていたことを見られていたという事実でいっぱいだった。

 硝子は微笑を浮かべたまま小首を傾げ、また沙織に顔を向けて話しだす。その二人の間から由佳が訝しげに目を細めた。


「はーい、おはよー」


 と担任が来て、点々と島を作る生徒たちが散開していく。朝のアナウンスは入部期限についてだった。やはりというか、運動部は締切が早い。途中からの入部も難しいらしい。一方で文化部は期限が長く、途中からの参加もウェルカムだという。


 朝が過ぎ、一限が始まり、終わる――。


 ほんの短な休み時間にも硝子の周りには人が来る――はずだったのだが、誰かが傍に来るよりも早く、彼女のほうから良太に声をかけてきた。


「ね、菊池くん」

「え!? はい!?」


 良太は声を上擦らせつつ顔を向ける。先ほどの外部生の女子の気持ちがよく分かる。そもそも、硝子の周りに人が集まることはあっても、硝子の方から人の集まりに向かうことがない。


 だからこそ、他の内部生と比べても、住む世界が違うような感覚を抱かせるのだ。


「今朝、ずっと私のこと見てなかった?」


 見てました。などとバカ正直に言えば何がどうなるのか予想もつかない。

 良太は焦りを抑えながら適当に話をでっちあげる。


「えっと見てたっていうか、えーと、萩原さん? と中村さん? だったっけ? は、部活の友だちなのかな、とか、そういう……」

「ああ、部活? どうだろ? 友だちづくりには向いてないトコもあるみたいだけど」


 え? と良太は声とも音ともつかない相槌を打った。視野の広さは会話にも通じるのだろうか。苦し紛れの言い訳をいいように解釈してくれたのか、それとも単に気を使ってくれているだけなのか、硝子は机に片肘を立てて人指し指で下唇をなぞりながら言った。


「外部生だと、どこかなー……? 仮入部はどこか行ったの?」

「えと、や、行ってなくて」


 答えると、硝子はきょとんと睫毛を上下し吹き出すように微笑んだ。


「じゃあダメじゃない。聞くより入ってみるほうが早いんじゃない? それか、小山くんと一緒のところにしちゃうとか」


 うぇっ!? と良太の背後で洋介の悲鳴に似た声があった。おかげで――つまり緊張する仲間が出来たことで、良太は少し落ち着きを取り戻せた。


「それも考えたんだけど、ヨウくんサッカー部らしくて」

「菊池くん運動苦手そうだもんね」


 失礼な。と良太の顔にでたのだろうか、硝子がパタパタと手を振った。


「――ああ、ごめん。そういうつもりじゃなくて」

「大丈夫。……本当に苦手だから」


 言いつつ良太が首を垂れると、硝子は口元を隠すようにしてクスクスと笑った。


「まぁでも、だったら急がなくていいんじゃない? 結局――部活って受験とかその後のために入っておく、みたいなところあるし」

「へ? そうなの?」


 良太の声と洋介の声が揃った。二人は思わず顔を見合わせ身を乗り出した。

 硝子は不思議そうに瞬く。


「違うの? だってウチの運動部で強いとこなんてないし……あ、小山くんが強くしちゃう?」

「うぇ!? いやいやいや! 俺そんなレベルじゃないし!」

「だったら、運動部で三年やってました、みたいな、そういう話でしょ?」

「うぇえ……?」


 洋介は困惑を絵に書いたような顔をした。


「サッカー部の事情がどうかは知らないけど……」


 硝子は言った。


「朝練とか合宿とかあると勉強の時間が取れなくなるし――まあそれは文化部でもちゃんとやってるところだと同じなんだけど、部活で先輩とつながっておけば大学の話を聞けたりとかそういうのはあるし、どっちかっていうとそっちがメインじゃない?」

「……そういう感じなんだ……?」


 と良太は唖然とした。

 否定の際の癖なのだろうか、硝子は両手をパタパタと振っていった。


「私はってことだよ? ウチって結構、勉強の進度早いし、あんまり部活に時間を割いてられないかなって思ってて。それに私も運動はちょっと苦手だし」


 取り繕うように言い、硝子は笑った。

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