同じ村
一週間が過ぎた。慣れるまで一年はかかりそうに思えた新たな通学路も、同じ制服が列を作ると違和感がなくなる――いや、むしろ、同じ時間に同じ道を同じ年頃の男女が進んでいく光景は、良太の地元ではまず見られないある種の祭りや儀式を思わせた。
始業式に手紙を見つけてから以後、今日まで、幻聴以外で鈴の音は聞いていない。
この列の中にウカガイ様が混ざることもあるのだろうか。
ふいに鎌首をもたげた不安に良太は背中を丸める。
「――ッハヨー!」
と、急に誰かが背中を叩いた。良太は口の中で悲鳴をあげつつ振り向いた。
洋介が胡乱げに眉を寄せて苦笑していた
「あー……ごめ。ビビった? なんか変な声でたよな?」
「いや、えと……ちょっと考えごとしてたっていうか……おはよう、ヨウくん」
「あー、部活な。良太はもうどこ入るか決めた? 運動部は今週までとかっしょ?」
「みたいだね。まあでも、僕は部活は……ちょっと、どうしようかなって」
えー、と洋介は不満そうに口先を尖らせ、良太の首に腕をかけた。
「なんだよー、俺を一人にするなよー。田舎者同士、一緒にサッカーやろうぜ、サッカー。せっかく人工芝の校庭あるんだし、使い倒さなきゃもったいねえって」
「僕あんまり運動得意じゃないんだよね」
田舎者同士って……と胸の内で繰り返し、良太は頬を引き上げた。事実であるし冗談だと分かってもいるが、反応に困らされる。
それと察したのか、洋介は良太の首に絡めていた腕を解き、フォローするように言った。
「そこまでガチってる感じじゃなかったし初心者でも大丈夫なんじゃね? ――俺らと同じ外部生の先輩すっげ優しい感じだったしさ。どうよ?」
「どうよって言われても……ていうか、それ大事なとこ?」
「大事に決まってんじゃん!」
洋介は急に声を大きくし、信じられないとばかりに良太の肩を小突いた。すぐに慌てて声を低めて続ける。
「白宮で生きてくなら高校受験組の先輩つくっといたほうが絶対いいって。別に媚びろってわけじゃなくてさ、顔を売っとくだけでも絶対いいから。ガチで」
「そんな大げさな……」
「いやいや、大げさじゃないって。先輩に言われたもん、俺。エリートじゃんって。俺っていうか俺ら? 内部生に負けんなよ、つって」
「エリート? なにそれ? 俺らって、僕もってこと?」
耳馴染みの薄い言葉に良太は眉を寄せた。
洋介は周囲の耳を警戒するように首を巡らし声を低める。
「ほら、一‐Cって内部生と外部性が混じってんじゃん? なんかAとBは内部生だけで構成されてて、Cは外部生が半分か、ちょっと少ないくらいになってんだってさ。でもって、
「ああ、そういうこと」
いわゆる先取り学習の影響だ。中高一貫校では高校受験が必要ないことを利用し、内部進学に足る生徒は中学の三年になると早々に高校の単元を学び始めるはずだ。当然、高校の授業もそれを前提として組まれるため、内部生と外部生を同じクラスに入れるのは難しい。単純に外部生が授業についていけない可能性があるためだ。
逆説的に、混合クラスに所属している外部生は受験時の成績から内部進学組と同等の学力を認めれている、という意味になる。
「そっか……エリートか……」
良太は単語の意味を反芻し、ホッと頬を緩めた。
――そうだった。
ウカガイ様という理不尽な不安に塗りつぶされてしまっていたが、入学当初に最も強く感じていた不安は学力だった。最上位とは言えないが東京の私立の進学校。それも中高一貫だ。合格したからといって最低基準に達したという意味にはならない。それが不安だったのだ。
「な。笑うよな。俺って優秀だったんだ、みたいなな」
洋介が含み笑いしながら肩をぶつけてきた。
「けど、それが逆にヤバいんだってさ。仮入部のとき裏で教えてくれたんだけどさ。混合クラスの内部生は逆に内部のなかでも下のほうってことじゃん? だから、ヤバい奴は潰しにくるとかなんとか……」
「潰しにくるってそんな……そんな子供っぽいことする?」
「さあ?」
洋介はあっさり肩を竦めた。
「ただ、敵は多いよって言われた。今岡先輩は一年のとき外部生クラスだったらしいんだけどさ、クラスのなかで混合クラスの外部生ハブろうとしたのが居たって言ってた」
「そんな面倒くさいの? そんなの……田舎よりヤバくない?」
「分かる。ヤバいよな。でも全然ありそうじゃね? モチやらかさなきゃ大丈夫だろうけど何あるか分かんないし、先に仲間つくっとくのもありでしょ」
「それはそう、かも?」
良太は通学路に並ぶ生徒たちのブレザーを眺め、ブルっと背筋を震わせた。このなかに内部生と外部生と、混合クラスの生徒がいる。混合クラスは一番の少数派で、そのなかでも混合クラスの外部生は最も数が少ない。
学校が村だとすると、そのなかでも特に小さな集落だ。良太の地元でたとえれば、それこそ同じ病院で生まれた子供とか、そういう単位。もっと小さいかもしれない。そういう共通項は意外にも自分たちの知らないところで共有されていて、ふいに顔を出したりする。
同じことが東京の学校でもある、ということなのだろうか。
ぼんやり考えていた良太は、ふいに鈴の音を聞いた気がして振り向く。幻聴だ。ウカガイ様の姿は見えない。代わりに、並んで歩いていた女生徒二人が目を丸くしていた。
良太は曖昧に笑いながら会釈し、前に向く。驚いた様子の洋介に肩を当てられ、良太も負けじとぶつかり返した。平静を装いながら。
もし、ウカガイ様が実際にいたとしたら、振り向いたのは良太だけということになる。気付いたことに気付かれたら、付け狙われて……。
あ、と良太は洋介の言葉の端を思い出す。
「でもあれでしょ? いたって話でしょ?」
「あ? 何が? 居た? ああ、例の――」
「じゃなくて。えと、今岡? 先輩の話。そういう、混合クラスの外部生をハブろうとした人がいた、っていう、つまりほら、過去形だからさ」
「あー……? ああ、そっか。そういうことか。いたけど、誰かが止めたとか」
「そうそう。あんまり心配いらないんじゃないかな? わかんないけど」
――ウカガイ様は生徒の皆様を見守って下さっています。
もしかして、いやまさか、と良太は湧いた疑問を頭の片隅に捨て置いた。
始業式から一週間、教室はささやかながらも騒がしくなりつつあった。
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