手紙の意図

 昼過ぎに帰宅するなり良太は自室のベッドに身を投げだした。身も心もクタクタだった。地元での日常とはまるで正反対の新たな生活。とにかく今日は上手くやり過ごすことができたという安心感が良太の瞼を重くする。うつらうつらと意識が遠のき、ぷつりと途切れる。


 つい先程までいた、まだ見慣れない教室。人は一人もいない。

 なぜ座っているのかもわからない。窓の外に赤く染まる空が覗く。

 すぐそばの、廊下の方から音が聞こえる。

 チリン、ヂリン……時に澄み、時に濁った鈴の音。


 ――見るな。


 良太の首は彼の意に反して教室の窓を見る。

 そこには。


 良太はハッと瞼を開いた。急速に意識が戻り、耳が鈴の音を――電子的なベル音を響かせているのに気づいた。スマートフォン。いつ出したのかも記憶にないが、ヘッドボードの上でなっていた。音が途切れる。切れた。良太の視線は自室の窓に向かう。


 あの日から、レースのカーテンを開けられないでいる。

 鍵を外せないでいる。

 良太はため息まじりに躰を起こし、ブレザーを脱ぎながらスマホを手に取る。怜音からの着信に続いてメッセージが来ていた。


 怜音:生きてる?

 良太:疲れて寝てた。

 怜音:あはは。良太っぽいね。友達できた?


 心配されているのだろう。幼稚園とも保育園ともつかない、いわば互助会のようなところで出会ってから、良太の母――奈々子に頼まれてからずっと、心配され続けている。おそらく。


 良太:できたかも。たぶん。わかんないけど。

 怜音:なにそれ?


 こっちが聞きたいくらいだった。どこから友人なのかが難しい。今日はまだ、同じ外部生同士で相憐れんでいるだけという気もする。考えすぎだろうか。まだ連絡先は交換していない。

 ため息を乗せて良太は文字を打ち込んでいく。


 良太:っていうか、やばいよ。


 前に話したやばい話の続きということにして、机の中に入っていた手紙のことを伝えた。まだウカガイ様の名前やその他諸々については話せていない。


 怜音:あはは。あるある。

 良太:あるあるって。ないでしょ。死ぬほどびっくりした。

 怜音:いやこっちも今日やーばいことあったから。

 良太:大丈夫?

 怜音:全然。それこそ死ぬかと思ったけど。笑いすぎて。


 地元の高校で行われた始業式。その全校生徒の集まる新入生歓迎の儀として二、三年生が一同に新入生へ振り向き、謎の踊りを披露したという。意味のわからない歌もついていたと。


 さらにはそれが終わると、新入生は完全コピーを求められ、羞恥に負けて縮こまっていると先輩方から中々に容赦のない叱責が飛んだとか。


 良太は貼り付けられた無駄に画質のいいダンス動画に、その珍妙な振り付けと意味のわからない歌声とに思わず笑った。


 良太:何この奇習。

 怜音:ね。楽しかったけど。良太は東京で良かったよ。ぜったい踊れないでしょ。

 良太:うん。たぶん。で、怒られるんだ。きっと。

 怜音:それと似たようなもんだよ。その手紙っていうのもさ。

 良太:先輩のいたずらってこと?

 怜音:去年、その机を使ってた人とかさ。写真とかないの?


 そうか、と良太は内心に思う。

 ウカガイ様という風習がある地域――存在する学校なのだ。新入生を脅かすつもりで入れておけばいい。当日、少し早く、もしくは遅く来るだけでも簡単にできる。良太はポケットをまさぐりくしゃくしゃに丸まった紙片を取り出す。カサカサに乾いた紙。そっと開いて、ヘッドボードの上で丁寧に伸ばした。掌の脂でわずかに文字が滲んだ。写真を撮って怜音に送る。返信はすぐにあった。


 怜音:やっぱり。これ、やったの女の子だよ。やるんだよね、こういういたずら。


 安心させるつもりで指摘したのはすぐに分かった。けれど、良太の顔は歪んだ。


 良太:なんで分かるの?

 怜音:便箋。角が直角じゃないし大きさが変。切ったんだよ。余計な何かを。

    たとえばキャラクターもののやつとかさ。それに字体かな。

    がんばって崩したんだろうけど、字と字の間の距離がだいたい揃ってる。

    理性的に書かれた証拠だよ。全然平気。


 白宮学園を彷徨くウカガイ様は女生徒だ。

 つまり、理性的に脅すつもりで書いた可能性は捨てきれない。

 うなだれ、ため息をついたとき、玄関のほうから鍵を開ける音が聞こえた。


「ただいまー」


 と母の声が続く。良太はホッと息をつき、文字を打ち込んでいく。

 

 良太:ごめん。母さん帰ってきた。

  

「良太ー? 帰ってるのー?」

「おかえり」


 と、良太が顔を見せると、母はすぐに顔を歪めた。


「あら――って、お昼どうしたの? せっかく用意しておいたのに……着替えもしないで」


 昼食が用意されていたことも、着替えることすらも忘れていた。顔色の悪さを指摘され、言葉を濁し、ひとまず良太は父の帰宅を待った。


 遅くなるかもしれないと言われたが、ウカガイ様の話をしたがらない母と、気にしていない様子の父なら、どちらに相談すべきなのかは明らかだった。


 なぜか、不本意に思えたけれど。


「なんだなんだ? 良太が待ってるなんて。どうした?」


 そう嬉しそうに言う父に、良太は若干の苛立ちを覚えながら尋ねた。


「あのさ。実は今日……ウカガイ様に手紙もらったぽいんだけど」


 瞬時にヒリつく気配を見せる母と、対称的に苦笑する父と。


「手紙? ウカガイ様から? どんな?」

「見つけたって書いてあって、机に入れてあった」

「なにそれ?」


 母が驚くように言った。


「そんなの私の頃はなかったのに……お父さんの方は? あった?」


 不安そうに母が尋ねると、父は片手を揺らしながら笑った。


「ないよ。ないけど、奈々ちゃんは怖がりすぎだよ。良太もだけど」

「怖いわけじゃないよ。なんか気味悪いだけ」


 嘘だ。ほとんど勝手に口から言葉が出ていた。母も同調するように眉を寄せている。父はなだめるように両手で空気を押し下げた。


「二人とも、ウカガイ様が守り神だってこと忘れてないかい?」


 きょとんとする良太と母に、父はしたり顔で言った。


。それが大原則だよ。まあ良太が目をつけられたのが事実だとしても、ルールさえ守れば、かえって安全になったってことさ」

「……どういうこと?」


「奈々ちゃ――母さんの学校でどう伝えられたかは知らないけど、父さんの学校じゃそういうのを神憑きとかって言ってた。ウカガイ様に気に入られた子ってことだ。逆に言えば、常にウカガイ様が見てるってことだから、いじめられたりすることがない。まあ全く無いってわけじゃないだろうけどさ」


「でも。逆に……友達とかできなくならない?」

「そこは頑張るしかないかな。でも大丈夫だよ。いじめられてるより作りやすいから」


 ハハハと軽い調子で笑い、父はビールの缶を開けた。

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