悪事千里を走る

 少年――小山洋介は悪びれることなく言った。


「良かったー、正直、俺より田舎から来てる人いるーって思ったら、ちょっと安心したよ」

「……え?」

「いやほら、」


 洋介は一瞬、首を左に振って声を低めた。


「当たり前なんだけど内部生すっごい多いじゃん? ってことはさ、みんな東京じゃん? なんか慣れてるっていうか、気後れするっていうか……だから、仲間いたー、みたいなさ」


 本当に気圧けおされていたのだろう、洋介はホッと息をつくようにして笑った。

 田舎……田舎か、と良太は胸の内に思う。僕のウチは両親が両方とも東京生まれだけど。地元では周りに言われて居心地悪くなった事柄を、なぜか今は言いたくなった。


 けれど、周りに外部生――つまり、中高一貫校に高校受験で入ってきた仲間が少ない現状では、ましてでしくじりかけた今あえて言う気は起きなかった。


 代わりに良太は、なるべく自然に聞こえるように問いかけた。


「洋介くんは、地元から通い?」


 口にしてから、嫌な聞こえ方をしていないだろうかと心配になった。

 洋介はわざとらしく顔を困ったようにくしゃくしゃにして言った。


「そう。通い。電車で一時間ちょい? そっから歩き。キツいよ。良太は?」

「僕は……本当に偶然なんだけど、父さんの転勤が重なって。もしかしたら、これから朝、洋介くんと通学路で会うかも」


 学校のすぐ近く、というと変に聞こえるかもしれない。気にしすぎだろうか? しかし、クラスの雰囲気が落ち着いてくるまでは気にしすぎるくらいでいい。たぶん。


 洋介は笑いながら良太の肩を拳で押した。


「そのときはよろしく――てか、洋介とかでいいよ。くんづけとか、ちょいムズムズするし」

「じゃあ……ヨウくん、とか?」


 怜音のやり方を真似て、少しだけからかう意図を込め良太は尋ねた。

 洋介は吹き出すように小さく鼻を鳴らし、また拳で肩を押した。


「まあ、おいおいな、おいおい――てか、さっきの始業式、やばくなかった?」


 緊張が解けたからか生来か、洋介の饒舌が放り込んだ単語に、良太は石のように固まった。


 ――話してはいけない、と言われているはずでは?


 ざわめく胸の疑問を置き去りに、洋介は続けた。


「あれが、ウカガイ様って奴っしょ? ガチで先輩方も先生方も反応しないのな。俺とか逆にさ、ガチでいるのかよー、って、あれだよな、何か、笑ってはいけないじゃないけどさ――」

「あの、ヨウくん――!?」


 良太は声を低めながらも話を遮ろうとした。しかし、洋介の話は続いた。


「いやだってビビらん? 始業式前の面談で知ってたけど、俺の地元だってあんな変な――」

「――ねえ、君たちさ」


 洋介の話を止めたのは良太の隣席から聞こえてきた声――久我硝子の冷たい微笑だった。


「本当にやめた方が良いよ? 学校とか――特に教室とか誰が聞いてるか分からないし」

「……え、と……?」


 予想外の反応があったからだろう、洋介は声を詰まらせた。

 硝子は横髪を右耳にかけながら机に片肘をついて細い顎を乗せる。制服を少しだけ着崩した印象からして内部生なのだろう。


「外部生だから甘く見るとか多分ないよ? 普通に始業式の次の日から来なくなった生徒とかいるらしいし……噂だけど」

「そう……なん、すか?」


 動揺からか、洋介はまるで先輩に接するような口調になっていた。

 内部と外部の差――内部進学組と高校受験組の差だ。同じ学校の生徒同士であっても、同じ立場にはない。僕は余所者、久我硝子は白宮学園というの住民だ。


「ほら、田舎だと何処かで誰かが聞いてるって言うでしょ? 東京も一緒。教室もね」


 言って、硝子は視線を滑らせ良太に向けた。

 ? と言わんばかりに。

 良太は我知らず喉を鳴らして答える。


「そう、ですね。僕のところくらい田舎だと、あるかもです」


 あっただろうか? 分からない。実感はない。けれど、できごと自体が少ないゆえに、一日の合間に見聞きしたものすべてが自然に交換されているであろうことは、想像に難くない。


「地元の川に別の学校の子が来てたとかね。一時間もしないで広まるかも。スマホあるし」


 良太は少ない経験を頼りに話した。


「……見たときに電波があればだけど」


 盛りに盛った拙い冗談を織り交ぜて。


 硝子と洋介は一瞬、呆けたような顔を見せ、すぐに吹き出した。


「ガチで? あの辺ってアンテナないの? 田舎すぎん?」

「やだもう、冗談でしょ?」


 そうクスクスと笑う硝子に、いや実際にそういうとこ多いけど、と良太は内心で呟く。決して声には出さない。そういうキャラが正解なのだ。きっと。


 そのとき、教室に担任が入ってきて、どこか事務的な気安さで言った。


「お待たせー。なんかウチが一番、早かったっぽい。これから校内を見て回るから――ないとは思うけど自分の席とか忘れないようにね。あと貴重品とか置いてかないでね」


 すでに砕けた気配の内部生と、まだ固さの残る外部生と――良太は念には念を入れ、意識の内ではまだ一度も触れていなかった机の中に手を差し入れる。


 カサリ、と何かが指に触れた。

 薄く固く乾いた感触。紙だ。折りたたまれている。我知らず喉を鳴らし、良太は人差し指と中指の間にそれを挟んでそっと抜き出す。小さく折りたたまれた紙片。目線だけを手元に落とし、そっと開いた。


 見つけた。


「――うわ!」


 と良太は思わず短な悲鳴をあげた。教室の視線が一斉に集まるのを感じた。

 担任が不思議そうに尋ねる。


「どうしたー、菊池ー?」

「あ、いえ――」


 何と言えば? 何を言えば? 良太は繰り返し読んだ冊子が脳裏に開く。


 ウカガイ様からのについては記載がない。


「す、すいません。机が……すっごい……冷たくて」


 バクバクと鳴る鼓動に耐えつつ言うと、失笑が教室に広がった。

 良太には羞恥を感じる余裕などなかった。紙片を握りつぶしてポケットに押し込む。背中をつついてくる洋介に苦笑いを見せ、すぐに前に向き直る。


 隣の硝子が呟くように言った。


「あるよね、そういうこと」


 また少し笑い声が――今度は控えめに反響こだまする。

 良太は必死に平静を装いながら硝子に向き、小声で言った。


「あの、ありがと――久我さん」


 何が? とばかりに硝子は小首を傾げた。

 担任がどこか事務的な穏やかな声で言った。


「それじゃ、一笑いさせてもらったところで行くぞー? 廊下側から外に出て――」


 言われるままに席を立ったとき、良太は違和感をおぼえて教壇を見やった。担任の視線が待っていた。ごく小さく、幽かに、頷いたようにも見えた。


 どういう意味かは分からなかった。

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