出立の車中にて
引越し業者とのやりとりがあるため母・
はじめのうちは山やら森やら広々とした田園やらが見えた道の向こうは、気づけば灰色の防音壁に遮断され何も見えなくなっている。
空は青い。青いけれど、どこかくすんでいるような烟った青色をしている。
どこにいても空は繋がっている――なんて言葉をどこかで聞いたが、良太にとっては同じ空のようには思えなかった。ため息まじりに膝元の茶封筒を見下ろす。
数日前、親友とも悪友とも、また腐れ縁とも言いたくなる仲間にもらった手紙である。
封筒の表書きには書き慣れない崩れた字体で『良太へ』とあり、裏面には『
――手書きの手紙とか人生で初めて書いたわ!
そう笑い、半ば押しつけるように渡された日のことを。
――でもあれやりたかったわー。ほら、あの、駅のホームで手ぇ振りながら追っかけるやつ!
絶対に嘘だ。いや、半分くらいは本気かもしれない。つられて良太も笑ってしまった。地元では微妙に電波が入りにくいがスマートフォンのある現在では、そこまで寂しくないはずだ。
そう思っていたのに、しばらく互いに何を言うべきか分からなくなった。
家が近所で、否応なく小中と一緒に過ごし、もう話題が尽きたのかもしれない。
あるいは逆に――
「――やっぱり不安か?」
直幸の退屈そうな問いかけが、良太に顔を上げさせた。
「いや、別に」
まただ。そうするつもりはないのに良太の声は不貞腐れたようになってしまう。横目で覗いたバックミラーに、直幸の苦笑に歪む唇が映った。
「そっか。まあ良太はまだ若いもんな」
最近になって、特に東京への栄転が決まった昨年あたりから増えた直幸の口癖だ。続いて俺はもう歳だからなとくる。それが煩わしくて良太の口先も尖るのだ。
「歳とか関係ないって。俺いつか東京に出るつもりだったし」
「ハハハ。俺とは真逆だ」
「……逆? どういうこと?」
良太は直幸に向けかけた顔をカーオーディオのあたりで止める。自然を装い手を伸ばす。真っ先に聞こえてきたのはホワイトノイズだった。直幸が小さく鼻を鳴らした。ハンドル正面のスイッチでチューニングする。当たり障りのないロックが掠れ気味に流れ出した。
「実は父さんも母さんも東京生まれ東京育ちでな。色々あって東京を出てきたんだよ」
「実は、って……知ってるよ。小学校のときに聞いたじゃん」
家族についてだったか、両親についてだったか、記憶は定かではないが作文を書くのにあたって母を質問攻めにし、教室で披露したことがある。地元が田舎だということは自覚していたし、子どもの間では未知の土地である東京への憧憬もあり、それからしばらくの間は少しだけ目立つことになった。ちょっとしたヒーロー……とまではいかないが。
「そうだったっけか?」
直幸が面倒そうにチューナーをいじった。音楽は消え、渋滞情報に変わった。
「まあ、あれだよ。父さんは東京を出てから田舎で……三十年くらい? もっとかな? 良太が生まれる前から住んできちゃったからさ。正直ちょっと不安なんだよ」
「……なにそれ? 地元に帰るのに?」
「三十年も経ってると、もう地元って感じじゃないんだよ。東京の三十年は地方の百年……はちょっと言い過ぎかもしれないけどさ。たまに用事で出てみても来るたびに顔が違うしさ」
「……これから向こうで暮らすんだからネガるのやめてくれない?」
「ああ、悪い。ついついな、この歳から東京かあってな。良太が受験に落ちてればなあ」
「――はあ!? 落ちりゃ良かったってこと!?」
良太は思わず声を荒らげ、とうとう運転席に顔を向けた。まっすぐ前を見つめる直幸の視線は声音どおりに物憂げだった。
「すまん。失言。母さんには内緒な」
「なんだよ。もう黙って運転してろよ」
やはり母と一緒に電車で東京に出るべきだったかもしれない、と良太はまた手元の手紙に目を落とす。そうしなかったのは、この手紙を母の前で読みたくなかったからだ。
――恥ずかしいから県境を越えてから読めよな。
そう怜音が言っていた。母の前で開けば横から覗いてくるに違いない。その点、父が帰省を考えたら手放しきれなかったという自家用車であれば見られる心配はない。
中身自体はありふれたものだった。連絡しろとか、帰ってきたらどうとか、絶対に忘れないからとか、いつかそっちに行くからとか、それまでに東京に詳しくなっておけとか――覗かれたところで問題なかったかもしれない内容だ。
良太は鼻で息をつき、素っ気ない茶封筒を二つに折り曲げようとし、やめた。かといってしまっておけそうな場所はない。だから膝元にあり続ける。何度も繰り返している。
「良太はさ、東京の田舎者に気をつけろよ。良太の地元と違って凄い陰湿だぞ」
車が一番左の車線に寄っていき、サービスエリアへと流れ込んでいった。
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