東京因習ウカガイ様

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プロローグ『ウカガイ様』

 白髪交じりの髪をいつものように六対四にきっちりと固め分け、現国の教員がどうしても耳に残らない語りを続けている。


 教室の半分は授業の後の昼食に思いを馳せ、残りの半分は内申点というどれだけ信用が置けるのか不明な数字のために耳を傾けるフリをしている。


 進学と父親の栄転が重なり東京に出てから二ヶ月が経ち、菊池きくち良太りょうたも慣れてきていた。


 教員の異様に長く思える話にも、進学を真剣に考えられずにいる十五の春にも。

 地元とは異なる教室の匂いにも。長年滞留していたような埃っぽい空気にも。窓辺から見える空の狭さにも。声こそないけれど含み笑いをしているような気配にも。


 ただ、東京に来て、東京の学校に通い始めて、未だに一つだけ慣れないものがある。


 チリン、ジリン、と廊下から鈴の音が聞こえてくる。

 歩くでなく、走るでもない足音ともに廊下を進んできている。


 チリン、ジリン、チリン、ジリン――。


 音の主が、廊下側の窓の端に映った。壁に遮られて肩より上しか見えない女生徒の姿。学校指定のブレザーではなく、古い形の白い半袖セーラー服。整えているのか疑わしく思える艶のない黒髪が襟を跨ぐように垂れている。


 良太は我知らず喉を鳴らし、手元のノートと黒板と、教壇の隅に置かれたモニターとそこに映るスライドを目で追う。シャーペンを握る手が震えている。


 ふと、良太が僅かに目線を上げる。鈴の音がしない。教室の誰もが気にしていないように思える。


 見るな。見るな……! 


 そう自分に言い聞かせているはずなのに、音の消えた廊下がどうしても気になる。

 せめて見たのではなく見えたのだと言えるように、まず隣席の久我硝子くがしょうこに視線を向ける。真剣とも退屈ともつかない物憂げな眼が手元を見ている。それから良太は廊下の側へと首を振り――ヒュッ、と喉を鳴らした。


 窓に両手と額をくっつけるようにして、女子生徒が教室の様子を窺っていた。


 顔に幾筋か垂れる髪。見開かれた血走る瞳。乾いた唇の隙間から僅かに噛み締められた歯が覗く。呼気が聞こえてきそうな、微かな膨張と収縮を繰り返す鼻。


 ウカガイ様である。


 東京の特定地域にのみ存在する、謎の御役目を担う者――。


 ウカガイ様を見てはならない。ウカガイ様に触れてはならない。ウカガイ様に話しかけてはならない。ウカガイ様の声に耳を傾けてはならない。教室の誰もが自然と仕来りに従う。


 けれど良太は、まだ慣れない。


「……見てるよね? 私のこと、気付いてるよね?」


 廊下から聞こえてくるウカガイ様の声に、絡む視線に、良太は躰を強張らせる。



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