錆化粧

山本アヒコ

錆化粧

「ヒマじゃな~」

「黙ってろ」

 訛りがある間延びした声と、短く吐き捨てる硬い声。二つの声は水と油のごとく、その間に交流というものが見られなかった。

「もう何時間ここに立ってるんじゃ? このルービックキューブ? とかいうやつもぜんぜん色が揃わんし、いいかげん飽きてきたわ」

「…………」

 訛りのある男は異様に長い黒髪、服装は浴衣かそれに似た和装を一枚着たのみで靴もはいていない。見える手足や首も細く、肌は青白く不健康そうに見えた。

 無口な男は金髪をドレッドヘアーで編み込み、サイドを刈り上げている。服装はスーツでネクタイまでしている。鍛えられた筋肉がスーツの生地を押し上げていた。

 二人の外見は正反対で、共通点は日本人ということだけ。

「もう寝てえわ」

 細い指でルービックキューブを足元へ投げると、プラスチックと鉄がぶつかり音をたてた。

 二人の男は現在の境遇も全く異なっている。スーツの男は直立しているが、もう一人は座りこんでいた。なぜなら立つことができないからだ。

「のう。ここの警備を始めてもう三日じゃ。本当に襲ってくると思うんか」

「うるさいぞ、ヨリガミ」

 ヨリガミは鉄格子の隙間から見上げるが、そちらに視線すら向けることはなかった。つまらなさそうに口を尖らせると、ルービックキューブを再び手にとって動かしはじめる。

 ヨリガミは鉄製の檻のなかに閉じ込められていた。高さは一メートル以上はあるが、腰をかなり曲げなければ立つことは難しい。床面積も広くはなく、両膝を曲げればなんとか寝れる程度だ。鉄格子は太く頑丈で、隙間は腕が通るだけの幅しかないので脱出は不可能そうに見える。

 スーツ姿の大男と、檻に入れられた男という異様に過ぎる二人がいるのは、とある高級ホテルの最上階だった。このフロアには一つしか部屋はなく、そこへ通じる廊下を警備するのが二人の仕事である。

 広すぎる空間にルービックキューブを動かす音だけが響く。

「来たな」

「おっ」

 手からルービックキューブがこぼれ落ちる。檻が急に動いたからだ。

 男は檻に繋がっていた鎖を掴むと、片手で簡単に宙へ浮かせてしまった。

 横向きになり盾のように構えられた檻の底面に、何かがぶつかり高い音とともに弾かれる。床へ落ちたのは二つの投げナイフ。

 長い廊下の向こうに黒ずくめの姿が二つあった。一人は両手に投げナイフを持ち、もう一人は指に札を挟んでいる。その札が投げられると青白い炎となり、それが消えると三つの目を持つ奇怪な鳥へと変化した。

 男は舌打ちをする。

「まったく、お前の能力は本当に使えねえな」

「しょうがないじゃろ。ワシの力は限定範囲型とかいうやつなんじゃからっ、わぁ」

 高速でこちらへ突っ込んできた異形の鳥へ、振り回された檻が叩きつけられる。鳥は跡形もなく消滅した。

「さっさと片づける」

「もちっと優しく扱ってくれんかのぅ」

 ヨリガミの言葉を無視して、男は鎖を肩にかけてまるでリュックかのように檻を担ぐと、敵へ向かい駆け出していった。


▼▼▼


「その髪の色、あんたが黒船でやってきたっちゅう異人なんか?」

「何年前の話をしてんだお前は……」

 地下にある牢。木製の格子越しの初対面の会話だった。

「はー。呪具の回収にこんな檻を持っていけと言われて嫌な予感がしたんだ……まさか人間だったとはな。ったく……一応聞くぞ。お前、ここから出る気はあるか?」

「おー? まあ、ずいぶんここへおったからのう。外へ行くのもええな」

「いつからこの場所にいたんだ」

「たしか幼いころじゃったから……源平の合戦がどうとか……」

「嘘だろ……何百年前だよ」

「そうじゃ。あんたの名前は? ワシはヨリガミじゃ」

三水さんすいだ」


▼▼▼


 音をあげて迫る鉄檻を、鼻先に触れそうな距離でなんとか回避した男の頭を、鉄格子の間から伸びてきた片手が掴む。細い手首と指からは考えられない力で、頭蓋骨を一瞬で握り潰した。

「ありゃ。強すぎたの」

 檻のなかでヨリガミは血と脳漿で汚れた手を見る。しかし手だけでなく彼の着る浴衣や顔も血で汚れていた。閉じ込められている檻はさらに多くの血で染められている。三水が檻を武器として振り回し、多数の人間を潰した結果だ。

 金髪のドレッドヘアーが目立つ大男、三水は血臭がひどい檻とヨリガミを見ると、大きく肩を落とす。

「……また洗うのか」


 三水は筋肉の厚みが一切ないヨリガミの背中を、泡立つタオルでこする。

「いつも洗ってくれて悪いのう」

 ここは二人の自宅である平屋の一軒家だ。敷地は狭く部屋数も少ないが、ここには建物に不釣り合いなほど広いバスルームがあった。何しろヨリガミが入っている檻ごと洗えるほどだ。

「それより、ええんか?」

「何のことだ」

「鍵じゃ、鍵」

 檻は一面が扉になっていて、鍵で閉じるようになっている。そこが今は開かれていた。

「ワシが逃げても知らんぞ」

「この檻は呪具だ。どうせ逃げられない。それに閉めたままだと洗いにくいだろうが」

 二人で仕事を始めたころは鍵を閉めたまま、鉄格子の間から洗っていたことを思いだし、ヨリガミは笑顔になる。

「なに笑ってるんだ」

「いんや。なんでもねえんじゃ」

 背中を洗われながら首を後ろへ向ける。上半身裸の三水の胸には異物が存在していた。胸の中心から太い鎖が伸びていて、それはヨリガミが入れられている檻の上部へ繋がっている。この檻の呪具は、鎖を人間の肉体と融合させることで使用するのだ。

 視線に気づいた三水が顔を向けると、ヨリガミは微笑んだ。


▼▼▼


「三水、もう夏じゃな」

 蝉の声はまだ聞こえないが、気温は夏といっていいほど高い。

 畳が敷かれた古民家の一室。障子は開け放たれていて庭の草木とその向こうの山々が一望できる。標高が高く人里離れた場所なので、涼しい風が入ってきて心地よい。

 ヨリガミは住み慣れた檻のなかで向きを変える。

 部屋の真ん中に敷かれた布団には、三水が寝ていた。髪の毛は白く、顔には多くのシワがある。老人だ。

「覚えとるか、このドリームキャッチャーとかいうの。アメリカに行ったときに買ったんじゃ。この着物は、どこじゃったか。浅草かの? 京都かの?」

 檻のなかは多くの物が飾られていた。天井からドリームキャッチャーがぶら下がり、鉄格子には数枚の絵画が飾られている。床に固定された小さい木製の文机と、同じく木製のタンスもあった。

「なあ、三水……」

 鎖がわずかに揺れた。

 寝ている三水に、かけ布団は胸の下までしか覆っていなかった。胸には鎖が繋がっているからだ。そこに変化があった。三水の胸と融合していた鎖の輪が錆びて砕けている。

 一分も経過しないうちに何者かが家のなかへ入ってきた。スーツを着た二人組だ。

「ヨリガミ。前担当者は死んだ。次は俺が担当する」

 言葉を発しなかった男は三水へと向かう。

「触るな」

 死体袋へ三水の体を入れようとしていた手が止まる。

 ヨリガミは檻の扉を押し開けると、踏み出した足が畳を踏む。

「なっ! 呪具の効果はすぐには消えないはずだ!」

「……ずっと前からそんなもんは無かったからの」

 ヨリガミは浴衣の胸元から何かを取り出す。それは紐で首からぶら下げていた鍵だ。

「まさか檻の鍵か! それを貴様が持っていては呪具の効果が!」

「出ていけ」

 全身を圧迫する人ならざる力に、男たちの体が勝手に震え、じっとりと汗が皮膚へにじみ出る。抵抗が無駄だと本能で理解した二人は慌てて逃げ出した。


 眠る三水の傍らに膝をつくと、錆で汚れた胸を指で撫でた。

「三水」

 指で乾いた三水の唇に触れると、錆がわずかに付着する。

 眠る三水の顔へ涙が落ちる。それに指で触れると、錆と涙が混ざり色を変えた。

 ヨリガミは指を見つめ、自らの口へ指を含む。知らない味。

 三水の胸へ顔を埋める。多くの涙が錆と混ざり、胸を濡らした。

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