――その人はわたしを助けてくれた〝皇子〟さまにとてもそっくりで、けれど似ているだけの別人なような気もして……。嬉しいのに悲しくて、どう思ったらいいのか……分からなかった。


 標的の消滅及び周囲に他の汚染体がいないことを視認した後、少女は結晶銃を二丁とも両腰のホルスターにしまう。


 あの時、汚染体に叩き落とされた方はもう限界を迎えていた。先の一発で完全に壊れてしまったが、これを直せるのはアルクスでも指折りの技師だけだ。


 この国には中央の帝都を基点とし、四方に大都市が築かれている。件のアルクスは東のそれであり、集まる技術者の水準は必然的に高い。要するに自分ではお手上げだった。


 やむなく放り出した黒銀の剣を拾って胸に抱き、襲われていた少年のもとに駆け寄る。


 〝神装〟を取りに行く――その言葉の意味は解らなかったが、向かった先は間違いなく神葬の森だ。後先考えずに追いかけ、汚染体の巣窟に足を踏み入れたまではいいとしよう。無許可での立ち入りを固く禁じられている場所だとか、この際知ったことではない。


 だが結局、手掛かり一つ見つけられず、いたずらに時間を浪費したかと思えばこれだ。


 ようやく冷静さを取り戻した頃には夜が明けていた。街道沿いに戻れば、徒歩でおよそ十時間か。幹線道路に繋がる関所で普通の馬を借り、途中の宿駅で乗り換え夜通し走れば、かなりの距離を稼げただろう。どうしたって、もっと早く着けたはずだ。


 そこから救援を求めて部隊を編成し、とんとん拍子で事が進んでいたとしたら今頃――あの人の言う通りにしていればと、後悔し始めていたのに。


「……ぁ、」


 途中で立ち寄った水場を再び訪れたら、似ている人を見つけた――見つけてしまった。信じられない光景を目の当たりにし、自然と足に力が入らなくなる。

 膝から崩れ落ちるが、これは現実なのだ。いくら頭であり得ないと拒んでも、目の前のそれは変わったりしない。


 本当にずるい。どうして心が折れそうになった時に限って、この人は忽然と現れるのか。


 ――〝助けてやる〟って言ってくれて、忘れようと思ったら……また期待させて。もう、わたしの心はめちゃくちゃだ……。


 再会に喜ぶ自分を無意識にこぼれる涙が上書きし、笑顔のようで泣いてしまっている。少女はそれを指で拭い、気を取り直して少年の様子をうかがう。


 黒かったはずの長髪はくすんだ銀髪に、しかし傷んだローブ姿は記憶に同じ。未だ受け入れられずにいる己を納得させるべく、もらった剣を脇に置いて左手の〝証拠〟を――、


「な、なんで……ないの」


 その甲に刻まれていた紋様が何処にも見当たらなかった。おそらくは鋭利な刃物による、古い傷跡のみ確認できる。今まで書物の中でしか見たことはないが、そこには確かに精霊術士の証――〝絆痕〟があって、それは生まれついてのものだ。


 万が一にも勝手に消えることはないと思うし、ましてや望めば手に入る代物でもない。


 この現状で、導かれる答えはただ一つ。つまりは他人の空似、追い詰められた心が映し出した都合のいい幻覚か。そんなわけないと首を振り、後ろ向きの思考を追い出す。


 何はともあれ、まずは彼の容体だ。治癒術士として定められた手順に従い、てきぱきと確かめていく。


「大丈夫ですか? 聞こえていますか?」


 軽めに肩を叩きつつ、呼びかけるが反応なし。だが、胸部や腹部に動きはある。次いで彼の口元に耳を近づけ、その首に指を添えた。呼吸は正常、脈拍に大きな乱れはない。


 骸獣との戦闘で倒れた、これは状況から見て明らかだ。目立った外傷は見当たらないが、にもかかわらず意識を失っている。戦いの痕跡から強力な魔術を使っていて、恐怖などの心因で失神したとは考えづらいし、


「えっ……(でもこれって――)」


 実のところ、すでに病因は分かっていた。魔術を学ぶ者が最初に知るであろう病状か。内在マナの枯渇とそれに伴う失神である。要するに残存以上のマナを用い、新たな魔術を行使しようとしたのだろう。その結果、自己防衛本能が働いて気絶したわけだ。


 類まれな才能に恵まれた人がこんな初歩的なミスを犯すとは考えにくい。そもそもの話、精霊術士は精霊が宿す膨大なマナを共有しているとのこと。多少無茶な使い方をしたって、こうはならない――たぶん、ならないと思う。


 稀すぎる組み合わせに混乱して、自分の診断に自信が持てなかった。そこで否定材料を探してみたものの、結論は変わらず徒労に終わってしまう。


 ――やっぱり、人違い……なのかな? そうであってほしいような、ないような……。


 相反する想いを内に淀めかせつつ、少女は身体強化の魔術を用いて少年を横向きにする。頭を優しく反らせて、上に来る右腕を枕代わりに。左腕はなるべく伸ばし、右膝を直角に曲げて前方に出す。体勢はこれでよし。


 次に彼の左手を両手で包み、現世体内を血液のように循環しているマナの色を調べる。脈を取った際にも見たが、


 ――すごく綺麗……、でも……ちょっとだけ、怖いかも。


 朝焼けと夕焼け、どちらの空にも思える景色が脳裏に映し出される。美しいとするか、不気味と捉えるかは個人の感性に委ねられることだろう。


 自然界のマナは無色透明だが、多くの人間はこれを取り込んで独自に染色し変質させる能力を持つ。一般に〝マナ〟とは後者を指し、学術的には〝彩色マナ〟とも呼ぶ。


 細かな用語はさておき、人によって〝その色が異なる〟くらいの理解で十分だ。


 治癒術士は対象に直接触れないと魔術を掛けられないものの、マナの操作に長けている。自身のマナを脱色し他者のそれに変換して与えたり、逆を行って奪ったりと。古くは傷病治療に活用され、最近は結晶銃の〝弾丸〟のように応用される例も増えてきた。


 逸れた話を元に戻すと、マナ欠乏症は安静にしていれば完治する。人間の自然治癒力に任せるのが最も安全とされるが、場所が場所なのでそう悠長に構えていられない。


 ――だけどそれは……この剣がなかったら、の話。汚染体が嫌う天然のマナ水まである。そう、みんな言い訳。急いでいるから、助けてほしいから……全部、わたしの都合だ。


 今回は少しずつ当人のマナ色に合わせたものを与えていく。この失敗は拒絶反応を招き、最悪は肉体が自己破壊を始めてしまう。慎重を期さなければならなかった。


 教本通りに病状が推移すれば、一時間足らずで覚醒するはずだ。正直、この症例の処置経験がほとんどないので不安は尽きないけれど。

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