フィオーレが〝牢獄〟と呼んだ場所を出れば、そこは草木の生い茂る森林地帯だった。


 密集した樹木が陽光の奪い合いを制さんと高さを競い、大きく肉厚な葉に照りを出す。早々に諦めた植物勢は樹皮に纏わりつくか、地表で岩石との片利共生を図っている。また苛烈な生存競争の煽りを受け、全体的に薄暗く湿度が高い。


 総じて不気味だが神秘的でもあり、目を閉じて身を委ねると同化してしまいそうだ。

 仮初めの一体感。清らかで穢れのない空気に満ち、爽やかな匂いが小風に乗って鼻孔をくすぐる。不思議と気分穏やかになれるが、その心地良さに素直に浸れない自分がいた。


 どうしてこんな未開の地を訪れたのだろう。見渡す限り、人の手は加えられていない。純度100%の自然が広がっていて、当然だが通るべき道などは見当たらず。当てもなく彷徨ったところで、いずれ力尽きてしまうのは明白だ。


 この場で唯一頼れそうなのは、すぐ側で身体を伸ばしている彼女になるが、


『んぅ~ん、久しぶりのお日様ね。シャバの空気は美味しいですなぁ……』


 出所もとい脱獄一番、木漏れ日で日向ぼっこ中である。おふざけ発言を真に受けるなら、牢獄の外についてはあまり詳しくない様子。暇さえあれば飛び回っていそうだし、まさかそんなことはないと思いたいが。


 理想を体現したような曲線美が強調されて目に毒なので、そっと視線を逸らしておく。するとタイミングを見計らったように、フィオーレが痛い指摘を飛ばしてくる。


『おやぁ、エディくん。じろじろ見るのは、もうお終りでいいのかね?』


 そして掛けてもいない眼鏡をくいっと上げる仕草を添え、事実有根な疑いを掛けてきた。


 ここに至る道中で学んだが、少しでも隙を見せるとすぐにこれだ。人恋しいのだろうか。弄りたくて仕方ないのは伝わるものの、それに付き合わされる身にもなってほしい。


「悪いけど、……終わりも何も身に覚えがないよ」

『へぇ……、』


 ニヤリと心底楽しそうな笑みを浮かべて、わざわざ正面に回り込んできたフィオーレ。その体勢は前屈みで上目遣い。故意か否か、どう転んでもとんだ小悪魔だ。


『ホントにぃー? 女の子はそういうの、分かるんだけどなぁ』

「少なくとも、じろじろ見た覚えはないって」

『あれれぇ~、見ていたのは否定しないの? このむっつりさんめっ』

「はいはい、それでいいから」


 こういう時のフィオーレを、まともに相手してはいけない。したら最後、あちらが満足するまで弄り漬けにされるからだ。


 この短期間でそれを悟り、エディは対処法も編み出していた。つまりは、弄りたい欲を発散させてあげればいい。否認を挟んでその機会を与え、異なるものはきっぱり否定する。


 これは一定の成果を上げていたが、いつまでも譲歩戦術は通用しない。からかうことに限っていえば、相手の方が何枚も上手なのだから。


『ふぅ~ん。あぁー、分かった。フィーちゃんのこと、』


 そこでフィオーレはひと区切り、不意にエディの耳元でこうささやく。


『……好きになっちゃった?』


 そんな真似をされて冷静を保てるほど、エディは強靭な精神を持ち合わせていなかった。


「……っ、なんでそうなるの!?」

『ふふ、エディったらそんなに焦っちゃって。可愛いなぁ』


 悪寒と羞恥が混ざり合い、無意識に反応してしまったエディ。まんまと術中にはめられ、再びフィオーレが会話の主導権を握る。


「あのね……、」

『さっきの髪飾り、つけたら似合いそう。キミって女の子みたいだもん』


 毛先が腰まで届くフィオーレよりは短いが、エディの髪も肩を越えてそれなりに長い。若干、黒の混じった暗い銀色になるか。それとフード付きのローブを身に纏っている。


 もしかしたら、遠路はるばる旅をしてきたのかもしれない。その証拠にどちらもかなり傷んでいた。あるいは、荷物の少なさを考えると家の近場だったりして。何らかの要因で無くした可能性もあるし、明確な結論は出せそうにないけれど。


「たかが髪が長いくらいで、女の子に見えてたまるか」

『いえいえ、エディさん。顔もです、顔も』


 真顔のフィオーレが手を小刻みに振って否を突きつけ、一方でエディは溜め息で応じる。


「ならどうしようもない。で、〝細かい話〟ってのは?」

『うぅーん、……契約内容の確認的な? 誰かさん、ぜーんぶ忘れちゃったし』


 適切な言葉がすぐに思い当たらなかったようで、フィオーレが悩み出した答えがこれだ。忘れた点に関しては、〝加減〟とやらを間違えた彼女にも責任があるような。


 ひとまず悪乗りの気配が感じられないため、話くらいは真面目に聞いてもよさそう。


「聞こうか」

『アナタを助ける代わりに、私のお願いを聞いてくれるって言ったくせに』

「なるほど。何があったか知らないけど……僕にとって君は、命の恩人なわけだ」

『……、』


 これまでの経緯を説明してくれるかと思いきや、そうはならず。フィオーレは黙り込み、頬をぷっくら膨らませている。溜まり溜まった不機嫌の素で、今にも破裂しそうだ。


「あれっ、違った? なんで黙るの」

『……三回目だから』


 二回目までは大目に見てやったとの主張ながら、エディにこれという心当たりはない。


「何の話……?」

『つぅーん、気づくまで話してあげません』

「その、〝契約〟だっけ? 忘れちゃった件なら謝るからさ、」

『違います。もっと大事なことです』

「……、はい?」

『あれから一度も呼んでくれない、三回も〝君〟って言った、だからムカつく――以上』


 ああ、呼び方の問題かと納得。本音ではその子供っぽさに辟易する。外見で判断すれば、フィオーレは自分よりいくつか年上――たぶん二十歳前くらいだと思っていた。


 もちろんそう感じただけで、実際は互いの年齢を知らないのだ。憶測の域を出ていない。


「ごめんね、フィーちゃん。次から気をつけるよ」

『ん、許す。でもね、私の乙女心はとってもとぉーても傷つきました』


 フィオーレは両手を目一杯広げ、抗議の意思を一生懸命に伝えてきた。エディとしては、手の掛かる〝妹〟が出来た気分である。


「……何を大げさな、」――『何か言った?(ニコッ)』

「何も言ってないです、ごめんなさい」

『よろしい。なので、誠意あるお詫びを要求したいと思います』


 段々としつけられている気はするが、これでも世話になっている身だ。可愛い理不尽に、エディは苦笑混じりで答えておく。


「分かった、僕が出来ることなら何でもする」

『ほう、〝何でも〟とは。これは大きく出ましたな。エディさんや、覚悟はよいかの?』

「別にいいけど、無茶なのは止めてね」

『じゃあ、私も連れて行ってくれる? ここにいてもやることないし』


 盛大な前振りはだいぶ萎んで、偉く小さな要求に収まった。気ままなフィオーレのこと。そうしたければ勝手にするだろうし、したくないなら絶対にしなさそうなのに。


『エディの自分探し、色々と手伝ってあげられると思うの』


 こちらは同行を頼もうとしていたが、フィオーレは置いて行かれると考えていたらしい。

 願ったり叶ったりの展開に喜んでいたら、今度は役に立ちますよアピールが始まった。思い込みで次々と話を進めるのだから、本当に困ったものだ。


『やっぱり、ダメ?』


 最後は小首を傾げてしょんぼり、寂しそうな表情でチラ見からのもうひと押しと。


 始めからこちらに断る選択肢はなかったが、ここまで怒涛の勢いである。まさか助力を受け入れる間すら与えてくれないとは。


「フィーちゃんが一緒に来てくれるなら心強いよ。これからよろしく」

『ふふんっ、お姉さんに任せなさい!』


 ようやく調子を取り戻したフィオーレ、さっそくと何処か遠くを指差して提案する。


『とりあえずこの森を抜けると村があるから、そこを目指しましょ。道だったら私が分かるし、いい案だと思わない?』


 案の定、フィオーレはこの辺りの地理に明るいようだ。精根尽きる前に人里に着ければ、野垂れ死にだけは回避できる。後のことは未来の自分に託すとしよう。


 頼りになる連れのおかげで、次なる目的地が決定。エディはその案内に従って、新たな人生の一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る