プライミングさん

順風亭ういろ

プライミングさん

「近所でお祭り?みたいだよ。今日」


 と、朝、起きぬけに妻が喋っていた。もう冬もとっくに終わり、春が来て半ば、世の中は連休2日目に入っていた。今朝は気温もちょうどよく、外から陽光が差していて、なんてご機嫌な日か。 

私はぼーとした頭で、朝の一服と起き抜けのタバコを一本くゆらせていた。陽の光に煙が溶けて行く。連休も始まったばかりで、私の心も少しばかり浮かれていて、祭りと聞いたら、これは行かずにおられませんな、とは思ったものの、私が今日行くべき場所は決まっていた。私は連休なのだが、妻はシフト制の仕事という事もあり、二人の休みが合う日は今日くらいしかないのだ。だが妻は近所の祭りへ行く気持ちでいるようだ。たしかに、町中に貼ってあるポスターの何月何日に「お祭り」のポスターが貼ってあり、そのポスターを見るたびに「あ、お祭りがあるんだ」とか「楽しみだ」など会話を交わしてはいた。

しかしながら、私はそういったものを一切無視して、タバコの火を消し灰皿につっこむと、「三鷹と深大寺の間くらいにあった昔住んでいた家に行きたい」とほぼ独り言のような形で言葉をヤニと共に吐き出していた。約十五年前に地元から出てきて初めて住んだ部屋に行きたいという衝動が急に湧いてきたのだ。妻に聴こえていたかどうかは、わからないまま冷蔵庫まで歩いていき、ペットボトルの水の蓋を開けて、飲んだ。目線の先に、我が家の飼い猫がいて、目が合う。この猫は私が結婚する前から一緒に暮らしていて、そろそろ10歳になろうかという年齢だ。子猫のころから飼いはじめ、今は見事にぼてっと太っている。私の目線の先で、ふてぶてしい顔をして私を見ていて、あくびをしていた。私の足元では2年ほど前に買い始めた小さめの猫がうろついていた。

「三鷹まで、乗り換え1回くらいじゃん」

 と、急に話しかけられ、何のことを話しているのかわからなかったが、スマホの乗り換え案内のアプリを見せられて、妻も私が十五年前に住んでいた部屋に行く事を了承したらしい事がわかった。電車によっては、最寄駅から一本で行けたはずだけれども、機嫌を損ねてはいけないという思いと、乗り換えで行く方が電車の来る本数も多いから、特に言う事でもないし、とぐっと飲みこんだ。

 「三鷹に行く。でいいの?」

 「良いも何も行くんでしょう。何年前?住んでたの」

 「たしか、二十五歳くらいの時に住んでたから、十五年前くらいかな」

 「二十五くらいって、あなた今四十五でしょうに。二十年前じゃん」

 「そう、十五年から二十年前かな。ついでに深大寺で蕎麦も食べよう」

 「蕎麦、いいね。おっけい」

十五年前ではなく二十年前だった。記憶が曖昧だ。まだ四十歳になったばかりだと感覚的に思っていた。しかしながら、二十年も経っている気がしない。心の成長的に。

お金もなく童貞でもあった二十五歳のころに比べれば、多少お金に余裕はあり、結婚もしている。しかし、四十五歳という実感が自分にあまりにもない。昨日も連休初日とはいえ、妻が仕事でいないのをいい事に朝からテレビゲームにのめりこみすぎて、昼めしを食べ逃し、午後四時ごろにお腹いっぱいカップ焼きそばを食べて、夜ご飯をあまり食べれなかった。という大学生みたいな事をしてしまっていた。二十年前から同じような事を繰り返してしまっている気がする。

電車に乗る事だいたい1時間。結局、中野駅で乗り換えて、三鷹方面の電車に乗った。電車の中は連休中でやや混雑していたものの途中で座れて、スマホなどを見たり、景色を見たり、車内のポスターを眺めたりしているうちに三鷹駅に着いた。

20年前の記憶を頼ると、南口の方へ降りて道をまっすぐ行って、突き当たりを曲がった所の小道に入った先に昔住んでいたアパートがあったはずだ。記憶を頼りに、歩き始めた。しばらく進むと、妻から「何か昔と変わっているか?」と質問されて「確かここら辺のビルに、よく通ったネットカフェがあって」と指さした所がお洒落なワインバーになっていた。都心からやや離れていたので、そこのネットカフェは普通のカフェにパソコンが置いてあるだけで、特に時間で料金が変わる形態ではなく、コーヒー一杯で何時間でも居座れた。「この辺にレンタルビデオ屋とかあったんだけど、駐車場になってる」「あれぇ、でっかいスーパーなんか出来てる」「ここにスタバも出来たんだ」「二十年も経つと、色んな建物建ってんだな。昔はもっとさびれててさ」など説明しながら歩き、突き当りに辿り着いた。しかしながら、小道の記憶が違う。あれ、ここじゃないや。おかしいな。とスマホを取り出し、地図を確認した。スマホなど使わなくとも二十年前は毎日、家と駅を往復していたのだから、記憶で行けるだろうと、自分の記憶力を過信していた。スマホで地図を確認しておけばよかった。

「地図くらい確認しときゃいいじゃん」

 と、妻に言われて、ああと不機嫌が出ないように答え、地図を確認すると、真逆の方向へ歩いていた。深大寺方面でなく武蔵野駅の方へ向かってしまっていたようだ。五月とはいえ、日差しが強く、暑くて、駅の方へ同じ道を戻るのがめんどうくさかったものの、電車で一時間かけてせっかく来たのだからと、三鷹駅まで戻り、そこから反対方向へ歩いた。こっち側の方が確かにしっくりくる。変わらずさびれているし、記憶とバチンとあっているような感覚がある。反対側に歩いて行くと、よく通っていたネットカフェの建物があり、中は不動産屋になっていた。レンタルビデオ屋はやはり跡形もなくなっていて、こちら側も同じく駐車場になっていた。けれどもビデオ屋の前の通りが記憶とガッチリ合った。こちら側には大きなスーパーもスタバも出来ていなかった。

「全然、違うじゃない。さっき得意げにネットカフェがここで。とかなんだったの?」

「何だったんだろうね。完全にこっちだわ、二十年前住んでたの」

「十五年前とか言ってたし、全然覚えてないじゃない」

「得意げに喋ってたな。ほぼ毎日通ってたんだけどな。記憶って信用できないねぇ。あ、あそこのコンビニでバイトしてたよ」

「ほんとに?」

「それは、さすがに本当だって」

 突き当りまで来て、小道に入り、ああ完全にこっちだと思い、さらに奥に入っていくと、昔住んでいたアパートがまだ残っていた。

「あった!あれだ。たしか角部屋に住んでたから、端っこ。今誰か住んでるかな?」

「あれ、こっち側から中見えるよ」

 と、アパートの端に出窓があり、そこから部屋の中が見渡せた。何も置いてなく、カーテンもなく、誰も住んでいない様子た。その部屋には折り畳み式のベッドが据え付けられており、折りたたまれた状態になっていた。そこで折り畳み式ベッド?はて?となり、記憶をたどると、ベッドのある部屋に住んだ記憶がない。もう少し出窓の奥に入ると、角部屋の隣の部屋のベランダが見えた。隣の部屋のベランダを見た途端、とても懐かしい気持ちになり、あれ、この感覚は。「あ、俺、住んでたのこっちだ」と、隣の部屋を指さした。「もう信じらんな~い」と、妻に言われているものの、懐かしさで、私は何とも言えない気持ちになっていた。あそこで初めて一人暮らしをした。自由と若さを満喫していたのだ、俺。あの頃はあの頃で楽しかった。お金がなくて、コンビニのバイトでもらった廃棄弁当だけで1年くらい過ごしたり、暇をつぶすのにタダだから図書館で借りた本を日がな一日読んだりしていた。ユニットバスだけど風呂があり、よくラジカセを持ち込んで、ラジオを聴きながら半身浴とかして、誰にも怒られない。自由を満喫していた。近所で多分ペット禁止なのに、猫を飼っている部屋があり、よく猫が私の部屋に来ていた。廃棄弁当の魚類をあげたりしていた。

目的も果たして、深大寺までバスで行き、そばを食べて帰った。帰りの電車で妻がぽつりと言った。

「家の近くのお祭り、行きたかったな」

「来年でも。再来年でも行こうじゃないの」

と私は言って、陽も落ちて外灯の明かりがつき始めた家路を歩き、猫待つ我が家へ帰っていった。

 

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プライミングさん 順風亭ういろ @uirojun

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