第8話 消えたい。消えちゃいたい。
「うぐっ」
「怜央、女の子にそんな言葉づかいをしちゃいけないよ。そんな子に育てた覚えはありません!」
「事実を言って、何が悪いんだよ。つーか、お前に育てられた記憶もねえ」
「そうだっけ? ボクも、生前も今も含めて、清花ちゃんみたいなケースは初めてだな」
「そう、なんですか……」
今まで自覚していなかったけど、そんなに珍しいことだったんだ。
「幽霊からすると、生きた人間のからだは欲しがる理由しかないけどね」
それはそうだ。
未練があって地上に残ったとしても、この透けているからだでは、できることがあまりにも限られている。
目の前に会いたい人がいたとして、姿も、声すらも、届けられない。
「薫の言うとおりだな。だが、普通の人間は幽霊にからだを乗っとられたりはしない。どんなに幽霊が欲していてもだ」
ということは……つまり、わたし自身にも問題があるってこと?
「なにか心当たりはないのか?」
桐生くんの、黒曜石みたいにきれいな瞳に見つめられて、胸の奥がざわめいた。
「わたし、は……」
そうだ。
あれは、小学六年生の時のこと。
消えちゃいたい、って強く願った瞬間がある。
思えばあのころから、人と深く関わるのが怖くなった。
「……わ、たし、は……」
ざわざわと、心を直接つかんで揺らされているみたい。
気持ちが、悪いな。
「清花ちゃん!」
「っ」
「大丈夫? 顔色、すごく悪くなってるよ」
「落ちついて。キツかったら、無理に思い出さなくても良いんだよ」
「ううん……」
できれば見ないフリをしつづけていたかった。
でも、このまま目をそらしつづけていたら、きっとダメだ。
わたしがからだを乗っ取られた手がかりが、そこにあるのなら。
ずっと逃げたままではいられない。
これは、思い出すのも辛くて、胸の奥底にカギをかけて封じこめた記憶。
小学時代のわたしには、親友と呼べる存在が二人いた。
一人は、ふわふわのツインテールを揺らした、かわいい雰囲気の唯ちゃん。
もう一人は、ショートヘアがよく似合う、クール系美少女の瞳ちゃん。
二人とは、小学五年生のときに、同じクラスになったんだ。
同じ小説の話で盛りあがれたことをきっかけに、仲良くなったんだよね。
『清花ちゃんも、【キミとソラ】を読んでるの?』
『うちら、読書仲間だね!』
最初は小説の話をすることが多かったけど、しだいに、どんな話でも共有するようになった。
面白かったことも、悲しかったことも。
なにかあったら、家族よりも先に、二人へ話をした。
一方通行の思いじゃなくて、きっと二人も同じように思ってくれていた。
『二人とも、いーい? この三人の中で、隠しごとはなしだからね!』
くだらないことで笑いあえて、なんでも言いあえる関係。
今だけじゃなくて、この先大人になっても、三人の絆は本物で永遠だ。
そう、疑うこともなく、本気で信じていた。
だけど……。
永遠の絆だと信じていたものには、あっけなくヒビが入ってしまったんだ。
『あのね、二人にだけ教えるね。私、クラスメイトの勇太くんのことが気になるの』
全てのはじまりは、瞳ちゃんが、クラスメイトの勇太くんへの恋心をわたしと唯ちゃんに打ちあけたことだった。
『そうなんだぁ~! 勇太くんかぁ、わかるなぁ。足がはやくて、かっこいいもんね』
すんなりと瞳ちゃんに共感した唯ちゃんを見つめながら、わたしは少し焦ってた。
恋というものがよくわからなくて、なんだか二人に取り残されたような気持ちがしていたんだ。
それでも、瞳ちゃんのこの恋が無事に成就して、唯ちゃんと二人で一緒に祝福できていたなら、わたしたち三人は今でも親友として一緒にいられたのかもしれない。
だけど現実は……唯ちゃんが勇太くんに告白されて、付き合うことになってしまったんだ。
頑なに唯ちゃんを避けるようになった瞳ちゃんに、もう一度、唯ちゃんと話しあってみたらどうかって提案してみたこともある。
『ごめんね、清花ちゃん。清花ちゃんには悪いけど、私、唯ちゃんのことが大嫌いだから』
その言葉の刃のような鋭さに、わたしの心も、真っ赤な血をふいた。
瞳ちゃんと唯ちゃんの仲は、真冬の海のように冷えきった。
二人とも、わたしとは話すけど、互いのことは完全に無視をする毎日。
あのころのわたしは、相当ひどい顔色をしていたと思う。
『清花ちゃん。顔色悪いけど、大丈夫?』
だいじょうぶなんかじゃない。
ほんとは、また、三人でくだらないことを話しながら、笑って一緒に帰りたいよ。
唯ちゃんの前でこぼれそうになった弱音をお腹に押しこめて、無理やり笑顔を作った。
『ご、ごめんね……。最近、新しいマンガにはまっちゃって。ちょっと夜更かし気味なの』
ほんとは、マンガなんて読んでいなかった。
あのころは、二人ともに本音を話せなくなって、瞳ちゃんの前でも唯ちゃんの前でも、ウソだらけだった。
右手を瞳ちゃん、左手を唯ちゃんから同時に引っぱられて、張り裂けそうだった。
冷戦状態のまま、三月。卒業のときをむかえてしまった。
そのころには、三人とも違う中学校に通うことだけが決定していた。
このままだと、本当の意味で、バラバラになっちゃう。
昔は、永遠の絆だと信じられるほど仲が良かったのに、もうこれきりだなんて。
そんなの、やっぱり嫌だ。
追いつめられたわたしは、卒業前に、最後の賭けに出たんだ。
『じゃあ、清花ちゃん。後でお邪魔しにいくからね』
その放課後は、瞳ちゃんが、うちに遊びにくる予定になっていた。
『うん。また後でね!』
笑顔で手を振りながら、内心、穏やかじゃなかった。
瞳ちゃんには内緒で、こっそり唯ちゃんも呼んでいたからだ。
もちろん、二人ともに、内緒で。
事前に話していたら、大反対されて、計画自体が成り立たないとわかっていたから。
だけど、わたしは、細い蜘蛛の糸にすがるような気持ちだった。
どれだけこじれてしまっても、顔を見て話す機会さえできれば。
また、昔みたいに仲良くできるんじゃないかって。
だけど……。
『おじゃましまー……えっ』
うちに顔を出した唯ちゃんを見つめて、瞳ちゃんは、ガクゼンとした。
唯ちゃんも、息をのんで固まっていて。
瞬時に険悪になった空気の中、最初に口を開いたのは、唯ちゃんだった。
『清花ちゃん。ねえ。なんで、瞳ちゃんがいるの?』
『え、と……』
『清花ちゃん、唯に言ったよね。二人で遊ぼうって』
『わたしは、ただ……』
もう一度だけ、二人にちゃんと話をしてほしかった。
わたしも瞳ちゃんも、唯ちゃんが勇太くんと付き合った経緯すら知らない。
なにも知らないまま、離れ離れになるなんて、さびしすぎると思った。
ただ、それだけだったんだ。
『ウソ、ついたんだ』
瞳ちゃんの、不気味なほど無感情な声が、氷のナイフのように胸を鋭くえぐった。
目の前が、真っ暗になっていく。
『話し合いさえすれば、簡単に元通りになれるとでも思った⁉ バカじゃないの、ゆるせるわけがないでしょ!』
『唯も、瞳ちゃんとは話したくない。ねえ、清花ちゃん。そーゆーの、なんていうか知ってる? 余計なおせっかいって言うんだよ』
二人の、泣き出しそうな、怒ったような顔を目の当たりにした時、初めて、自分がひどい間違いをおかしたんだってわかった。
それまで、なんにもわかっていなかったんだ。
二人に仲直りしてほしいって気持ちは、わたしのわがままでしかなかった。
わたしの余計な『おせっかい』が、二人をひどく傷つけた。
消えたい。消えちゃいたい。
このまま透明人間になって、空気に溶けてしまえたら良いのに。
結局、唯ちゃんと瞳ちゃんとは、卒業したきり顔もあわせていない。
「あの日からずっと、誰かと深く関わるのが怖いんだ」
たとえ仲良くなれたとしても、簡単に、壊れてしまうかもしれない。
わたしのおせっかいが、また、誰かを傷つけてしまう可能性だってある。
「話してくれて、ありがとう。なるほどね。小学時代にそんなことがあったんだ。……すごく、辛かったね」
誰かに当時のことをきちんと話したのは初めてだ。
桐生くんも薫さんも、じっと耳をかたむけてくれていたから、苦しくても最後まで吐き出すことができたんだと思う。
「……お前は、昔からおせっかいだったんだな」
「っ。そんなの、桐生くんに言われなくても嫌なぐらいわかってるよ!」
「違う。全くわかってねえよ」
「どういうこと?」
「バーカ。自分で考えろ」
ええー……。
思いきり納得していない顔をしたけど、桐生くんは答えをくれなかった。
「そろそろ帰るわ。またな、能天気幽霊」
「はいはい、またねー。素直になれない怜央くん」
薫さんは、くすくすと笑いながら桐生くんに手を振って。
わたしにだけ聞こえるように、そっとささやいた。
「ボクの未練は、怜央を一人地上に残して去ることなんだ。彼はさ、あんな性格だから、人間の友達なんて中々できそうにないじゃない?」
「えっ」
「だけど、キミには期待してるよ」
天気予報にはなかったけど、なんだか空模様が怪しい気がする。
「雨が降りそうな空だね」
「傘持ってねえし、早めに帰っとくか。ただ、スーパーにだけは寄らせろ」
なるほど、おやつでも買いにいくのかなぁ。
「お前、オレのこと、甘党野郎だと思ってねえか?」
「そ、そこまでは思ってないって!」
と、ジト目を注がれながら、スーパーに向かったんだけど……。
「んー……。チョコも良いけど、抹茶も良いな。いや、イチゴ味も捨てがたい」
アイスコーナーの前を陣取って、真剣に悩んでいる桐生くん。
やっぱり、甘いものが大好きなんだね。
ほほえましく見ていたら、そんな彼に突然、二人組の男の子が話しかけてきた。
「桐生じゃーん!」
「よっ。小学生ぶりじゃね?」
染めている明るい茶髪に、へらへらとした笑顔。
あれ。桐生くんの、小学時代の友達かな……?
「なあ。桐生はまだ、例の『ごっこ遊び』やってるの?」
不穏な空気を感じとって桐生くんへと視線を向けると、一切の表情が消えていた。
フキゲンそう、とかいうレベルじゃない。
見た人の背筋が凍るような無表情だ。
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