第9話 当たり前
表情をなくした桐生くんが、ゆらりと、わたしに瞳を向ける。
「もう行くぞ」
話しかけてきた二人を、完全に無視。
目の前の二人を、存在ごとなかったことにしようとした桐生くんに戸惑って、返事をできずにいたら。
「うわー。中学生になっても、まだその設定やってたんだ」
「幽霊がみえるごっこ、ねぇ。痛すぎだろ」
設定。
幽霊がみえるごっこ。
人を、あからさまにバカにしたような、半笑いの瞳。
なに。なんなの、これは。
はたから聞いているわたしですら、不快でたまらない。怒りで爆発しそうだ。
「小学時代、そのせいで全員からハブられてたのに、まだ懲りてなかったのかよ」
「天中のやつに聞いたけど、今のあだ名は、人間嫌い王子なんだってよ」
「人間嫌い王子~? マージでウケる、考えたやつ天才だな」
「イケメンの無駄遣いだよなー。その顔なら呼吸してるだけで、モテるはずなのに」
「二人とも、もうやめてっ!」
届かないってわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
そのぐらい、痛かった。
容赦のない言葉のナイフを振りかざされた当の本人――桐生くんは、今まで見たこともないほど、冷めた視線を二人へ向けた。
「……金輪際、二度とオレの前に現れんな。失せろ」
鬼神のごとき迫力に、今まで桐生くんのことを見下していた二人ともが、さすがに口をつぐんだ。
桐生くんは、やっぱり無表情のまま、わたしへと視線を向けた。
「帰る」
「で、でも」
「こんなゴミども、相手にしてる時間がもったいねえよ」
今まで、フキゲンそうだったり、イライラしている彼の姿は何度も見てきた。
だけど、こんなにも憎悪の感情をあらわにした桐生くんは、初めて見た。
わたしの返事も待たずに、彼は二人を振りきるようにしてスタスタと歩いて行ってしまう。
「待ってよ!」
少し怖い気持ちもあったけど、それ以上に、追いかけずにはいられなかった。
今の桐生くんを、一人ぼっちにしたくない。
アイスを買うこともできずに、スーパーの外に出てきて。
スーパーからだいぶ離れたところまでやってきて、人の目がなくなったタイミングでようやく桐生くんに話しかけられた。
「あ、あの……桐生くん」
声をかけたは良いものの、言葉につまってしまったら。
彼は、ぽつりと呟いた。
「……どうせ、誰もわかってくれやしない」
その背中は震えていて、なんだか、いつもよりもずっと小さく見えた。
「……人間は、目に見えるものしか、信じない。異質なものがみえるオレは、みんなからしたら、不気味な存在でしかない」
初めて聞いた。
自信なさげに震えている、彼の声。
「みんな、って……」
「友達だったやつも、親もだ」
「親って……」
言いかけて、なにも言えなかった。
桐生くんがお母さんやお父さんと楽しそうに会話している姿を、わたしはあの家で見たことがなかったから。
『両親共働きで帰るのが遅いから、ご飯はいつも一人で食べている』という彼の言葉をそのまま鵜呑みにしていたけど……。
「二人とも、オレのことを気味が悪い子供だと思ってる」
「そんな……」
「仕方がない。いくら言葉で信じてほしいとうったえても、自分の感覚では体験できないことを信じるのは難しいだろうから」
淡々と紡がれたその言葉は、諦念を宿していた。
「昔は、親に何度も言われたよ。怜央は、どうして普通にできないんだろうって」
普通という言葉は、どれほど桐生くんを傷つけただろう。
幽霊が見えていることが、彼にとっての普通なのに。
「オレには、当たり前のように幽霊がみえる。それが当たり前ではないことに気がつくまでには、少し時間がかかった」
当たり前に幽霊がみえる桐生くんにとっては、幽霊がみえないみんなの方がヘンだった。だけど、実際は自分だけが特別なのだと気がついた時の絶望はどれほどのものだったか。
「……本当は、わかってるんだ。幽霊なんて見えていないフリをする方が、ずっと生きやすいって。だけど……アイツらを無視もしたくなかった。地上にとどまる幽霊は、みんな切実な想いを抱えているから」
「桐生くんは、やっぱり、やさしい人だね」
彼は、眉間にしわを寄せながら、再び自信なさげにうつむいた。
「……所詮は、ただの自己満足なのかもしれねえ。幽霊は、オレを求めてくれる。人間と違ってオレを傷つけないから、親切にしようと思えただけで」
「たとえそうだったとしても、桐生くんのやさしさに救われた幽霊たちがたくさんいることは事実だよ」
「…………」
「わたしだって、その一人だもん」
うつむきつづけている桐生くんの顔を、のぞきこむ。
光を失っている瞳を見つめながら、祈った。
どうか、この感謝の気持ちが届きますように。
「桐生くんに見つけてもらえて、本当に良かった」
彼が、小さく、息をのむ。
わたしは、これまで桐生くんが、幽霊がみえる体質でどれほど苦しんできたのか知らない。
友達だけでなく、両親にすら受けいれてもらえずに、人間嫌いになってしまうほどの孤独。わかるなんて、簡単に言えるはずがない。
「わたしは、桐生くんがこれまでどれほど辛い思いをしたのか、全然わかってない。でもね、幽霊がみえる桐生くんに救われた。それだけは、揺るぎようがない事実だよ」
桐生くんは、戸惑ったように目をみひらいて、悔しそうに唇をかんだ。
「……まだ、救えてねえだろ。オレは、お前のからだを取り戻せてない」
「そうだとしても、わたしはもう一人ぼっちじゃない」
眠れないわたしを自分の部屋に呼んで、マンガを読んでくれる不器用なやさしさに、どれほど心を温められたか。
「幽霊になっちゃって、目の前が真っ暗になったような気持ちだったけど、今はきっとどうにかなるって思えるの。それは桐生くんが協力するって言ってくれたおかげだよ。もう一人ぼっちじゃないんだって思えるからだよ!」
どうか届いてほしいと、必死で言葉をつないだら。
桐生くんは、呆けたように、口を半開きにした。
「……お前、よくそーゆー恥ずいことを大真面目に言えるな」
「えっ?」
またフキゲンにさせてしまったのかと焦ったけど、すぐに、そうじゃないってわかった。
桐生くんの頬が、見てわかるくらいに赤くなっていたから。
「…………ありがとう」
「え?」
いま、桐生くんの口から、感謝の言葉が聞こえたような……。
えっえっ……。もしかして、幽霊になって幻聴まで聞こえるようになっちゃった⁉
「ね、ねえっ。もう一回言って!」
「聞こえなかったならいい! 大したこと言ってねえし」
「なんでよっ! 気になるじゃん」
ずいっと、身を乗りだせば。
桐生くんは、思いっきり面倒くさそうに、早口でまくしたてた。
「あああ、もうっ。お人好しバカのおかげで、元気が出たって言ったんだよ!」
ぽかんとしてしまった。
桐生くんがわたしに背を向けて歩き出した時、ようやく言われたことを理解して、口元がほころんだ。
いつの間にか、分厚い雲間から、日の光がさしこんでいた。
「はあぁ。あのクソわがまま幽霊は、まじめに成仏する気があんのかよ」
「うーん……」
ゴールデンウィークが明けた最初の登校は、桐生くんのため息から始まった。
道行く人も、彼の盛大すぎるため息に、ギョッとして振りむいている。
たしかに、爽やかな朝の始まりには似つかわしくない悲壮感だもんね……。
「このオレが、あろうことかどこもかしこも人間でいっぱいのゴールデンウィーク中に水族館にまで付きあわされたんだぞ。なのに、あのクソわがまま幽霊は、満喫するだけして帰りやがった。物理的に不可能だけど殴りてえ」
「あ、あはは……」
例のごとく、わたしも一緒に付いていったんだけど、わたしはすっごく楽しめたな。
ほら。幽霊だから、空中どころか水中まで、飛びまわり放題なんだよ。もちろん入場料だってかからないし。
幽霊にも、幽霊ならではの楽しみがあるんだなって、気がついた瞬間だった。
「……お前はめちゃくちゃ楽しそうだったな。ちゃっかり、クラゲと一緒に漂ったり、サメを真隣から観察したりしてたじゃねえか」
「バレてたんだ⁉」
「バレるに決まってるだろうが。物理的な制限がないなんて、うらやましすぎるだろ。こっちはどこを向いても人人人で、魚を観察しにきたのか、人間を観察しにきたのかわかんねえ状態だったわ。吐かなかっただけマジでエラい」
「な、なんかごめんね?」
「お前に謝られたいわけじゃない。問題は、お前のからだが中々戻ってこねえことだ」
「ねえねえ、怜央。あたし、次は、学校の屋上から星を眺めたいなぁ」
「おう……。って、は?」
「な、七瀬さん!」
いつの間にか、ひょっこりとあらわれた七瀬さんが、桐生くんの隣を並んで歩きはじめた。もうなんでも受けいれようと決めたとはいえ、はた目にはゴールデンウィーク初日から、二人で一緒に登校してきたように見えるわけで……フクザツな気持ちもぬぐえない。
「夜の学校に忍びこむなんて、ドキドキしそうじゃない? 二重の意味で」
「よし、わかった」
「さすがの怜央でも校則破るなんて拒否する? ……って、え? マジで良いの⁉」
「引き受ける。ただし、条件がある」
「条件?」
「次でわがままは最後にしろ。その望みを叶えたら、お前はコイツにからだを返す。それが条件だ」
「ええー? それなら乗らないよ」
「お前に拒否権はねえ」
「なんで?」
「乗らなかったら、オレが今すぐにここでお前を祓うからだ」
祓う。
それって、七瀬さんの魂を消滅させる……ということだよね?
冗談ではないとわかる真剣な雰囲気に、思わずカタズをのんだ。
七瀬さんもポカンと口を開いていたけど、すぐにケラケラと笑いだした。
「怖い怖い。わかったよ。わかったから、そんな殺人鬼みたいな顔しないでよ」
「言質はとったぞ。決行はいつにする?」
「決行って、そんなオーゲサな」
「また煙に巻かれたら、たまったもんじゃねえからな」
「うーん、あたしって信用ないなぁ」
「自業自得だろ」
「いつでも良いよ。怜央の都合の良い日でさ」
「じゃあ、今夜で」
「えっ? あたしは大丈夫だけど、屋上のカギって、そんな急に借りれるもんなの?」
「知らねえ。でも、ゼッタイに借りてくる」
きっぱりと宣言した桐生くんの瞳には、強い意志が燃えていた。
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