第2話 人間嫌い王子のやさしい笑み
「おはよう、朝霧さん! 昨日はごめんねっ。代わってくれてほんとに助かったよ~」
翌朝。坂本さんは、わたしが教室に姿を見せるなり小走りで駆けよってきた。
この場面は、いつものわたしなら、『ううん、気にしないで! 運動不足の良い解消にもなったから!』と空気を読んだ回答をして、へらりと笑うところだ。
そう。
いつも通りの、わたしだったなら……。
「あっ。そのことだけど、気が変わったからやってないんだよねぇ。ごめんごめん!」
坂本さんが、笑顔を浮かべたまま、ピキリと凍りつく。
朝霧清花は、それでも悪びれることなく、堂々と言いかえした。
「だって、あの体育倉庫、あたしの汚部屋以上に散らかってたし! 見てるうちに、なんであたしが片づけなきゃいけないのってイライラしてきちゃってさ~。やっぱりここは、正当に原因つくった張本人に責任とってもらうべきでしょって思ったわけ」
「エ……?」
状況をのみこめずロボットのようになった坂本さんが、やっとのことで一文字を発せた次の瞬間。
「坂本ぉ!」
廊下の方から弾けた怒号に、坂本さんが肩をびくつかせた。
今の怒声は、体育のスキンヘッド先生だ!
「ひっ!」
先生は、大股で一年二組に入りこんでくると、逃げ腰の坂本さんにつめよった。
「私はお前に頼んだはずだが? 他人に尻ぬぐいをさせようとは良い度胸してんなぁ!」
「ち、ちがいますっ! 人聞きの悪い言い方しないで!」
「なにがどう違うって? まじめな朝霧がウソをつくわけがないだろ! 坂本ぉ! お前の腐った性根、この私がたたきなおしてくれる! 体育の特別補修を準備するから覚悟しとけよ!」
「はあ⁉ ありえないでしょ! 押しつけたとか誤解だってば!」
「言い訳は無用っ!!」
スキンヘッド先生は、坂本さんをぴしゃりと言い伏せると、スタスタと帰っていった。
「あははっ。いいざまぁ」
クラスのみんながポカンとしておびえる中、朝霧清花だけが、空気を読まずに高笑いをしている。
「……ね、ねえ。今日の朝霧さん、なんか様子がおかしくない?」
「ガチで怖いんだけど、どうしちゃったんだろう。膝下まであったスカート丈も、校則ギリギリの短さになってるし」
「まるで、人格が変わったみたい」
「へぇ~、察しが良いねぇ。そのとおりだよ!」
朝霧清花は、ヒソヒソ話を得意げにひろって、さらに教室内をざわつかせた。
そして、目をまるくしているクラスメイトたちにピシリと人差し指を向けながら、勢いよく宣言!
「まじめな都合の良い子ちゃんは、昨日で卒業したの。朝霧清花は、今日から生まれ変わったんだ! もう雑用とか押しつけてこないでよねっ」
あああ……頭痛がしてきた。
わたしは、ひどいめまいをおぼえながら、この一連の光景を空中から眺めていた。
ものすごく厳密に言うと、今のわたしには、頭痛もめまいも起こりえない。これは、人間だったときの名残みたいなものなのかもしれない。
そう。今のわたしは、人間じゃない。
そして、あの全くわたしらしくない朝霧清花は、わたしじゃない。
七瀬さんなんだ。
信じられないことに、昨日、体育倉庫で話しかけてきた七瀬さんの正体は、本物の幽霊だった。
だから、ずっと声しか聞こえなくて、姿は見えなかったの。
それだけでも信じられないんだけど、さらに信じられないことが起こった。
幽霊の七瀬さんにからだを乗っとられちゃったわたしはなんと……彼女の代わりに、幽霊になっちゃったんだ!
「いやあ~~~、生きてるってサイコーだね! どーして、生きてるときに気がつかなかったんだろうなぁ」
「あ、あのぉ……」
「歩いてるだけで楽しいよ? 呼吸の感覚も気持ちいい。給食のカレー、めっちゃくちゃおいしかったなぁ~~! まー、あたしのママの手作りカレーには負けるけどぉ」
放課後。
昇降口にやってきて、一人になった朝霧清花――もとい七瀬さんを慌てて引きとめる。
「七瀬さんっ!」
「んん?」
やっと、まともに目をあわせてくれた。
七瀬さんには、幽霊になってしまったわたしを認識できるらしい。教室では、スルーされつづけたけど、周りの目があったからだろう。
もともとのわたしに霊感はないけど、そもそも幽霊だった彼女には、わたしのことがみえるみたい。
「清花、どーしたの? なーんか言いたげな顔してるね」
それはそうだ。むしろ、言いたいことしかないよ。
「わたしは、たしかに変われるのなら変わりたいって言いましたけど……こんな形で叶えられるなんて聞いてません!」
「まぁ、あえて言わなかったしねぇ。でもさー、清花もスカッとしたでしょ?」
「茶化さないで! こんなの詐欺みたいなものですっ。わたしのからだを返して!」
七瀬さんは、上履きとローファーをはきかえながら、氷柱のごとき冷めた顔をした。
「世の中には、理不尽なことがいーっぱい転がってるんだよ。今までぬくぬくと幸せなぬるま湯で育ってきた清花には、わからないんだろーけど」
「なっ……!」
「そんなに心配しなくても、あたし、ちゃんと清花の代役つとめるよ?」
「っっ~! そもそも、わたしの家の住所も知らないくせに、代役なんてできるわけないでしょ!」
「甘いねぇ~、はちみつホットミルクより甘いよ」
七瀬さんは、スクールバッグから、わたしのスマホを取りだした。
「ちょっと⁉ 勝手にさわらないでよ!」
敬語も忘れて怒るわたしをスルーし、七瀬さんは、やすやすとスマホのロックを解除しはじめる。
「ウケるんですけどー。いまどきパスコードもかけてないなんて、不用心すぎるよ」
「顔認証をこんな簡単に突破されるなんて、想定もしてないよ!」
「あははっ。どれだけハイテクな時代になっても、魂の見分けまではつかないもんねぇ」
ぐぬぬぬぬぅっ! ひどい! 血も涙もない!
この人、幽霊じゃなくて、実は悪魔なんじゃないの⁉
「住所はコレね、オッケー。生まれ変わった清花の姿を、家族のみんなにもおひろめしといてあげるね♪」
七瀬さんは、アゼンとするわたしを置き去りにして、るんるんと校舎を出ていった。
って……えええええ~~~⁉ ウソでしょ!
どうしよう! まっっったく、聞く耳を持ってもらえなかった!
このまま、七瀬さんにからだを返してもらえなかったら、わたしは一生幽霊のまま?
あまりのショックに、下駄箱の前で、呆然とへたりこむ。
下校していく生徒たちみんな、わたしを素通りしていった。
こんな目立つ場所で力なく座りこんでいても、不審な目すら、向けてもらえない。
今のわたしの姿は、本当に、誰にも見えていないんだ。
この状態じゃ、誰かに、助けを求めることもできない。
心が、分厚い不安の雲で、おおいつくされていく。
「だれか……。たすけて……っ」
泣きたいのに、涙を流すこともできない。
わたし、どうなっちゃうんだろう。
このまま、誰にも気がつかれなかったら、永遠にひとりぼっちなのかな。
あまりにも絶望的な状況に、目の前が真っ暗になっていく。
「なあ」
「…………」
「顔をあげろよ」
「…………」
「葬式みてえな顔すんな。オレが、話くらいは聞いてやる」
「…………」
「おい。人がせっかく話しかけてやってんのに、スルーはねえだろ。クソ失礼な幽霊だな」
「…………って、え?」
もしかして、わたし、誰かに話しかけられてる⁉
首がはずれそうな勢いで、顔をあげた。
「わたし? わたしに話しかけてるの⁉」
「そう、他でもないお前だ。オレ、幽霊にしか自分から話しかけないし」
うそ……。
会話が通じてる!
話しかけてきたのが誰かを知って、さらにビックリ仰天した。
サラサラの黒い髪、きめこまやかな白い肌。
凛々しい切れ長の瞳に、すらりと長い手足。
圧倒的な存在感、近寄りがたいほどのイケメンぶりに、状況も忘れて呆けてしまう。
同じクラスではあるけど、あまりにも遠い孤高の存在である彼――桐生玲央くんに話しかけられていた。
「そんなに怯えなくていい。突然、人間から話しかけられたら、驚くのもムリはないかもしれないけどな」
「ほ、ほんとに、わたしのことが見えてるの?」
「あぁ。昔から、そーゆー体質なんだ」
「それって……霊感があるってこと?」
「そーゆーこと」
すごい……!
なにがすごいって……幽霊のわたしを認識できることもそうなんだけど、まず普通に話せていることがすごいよ!
教室での桐生くんは、いつもフキゲンそうで、獣のようにギラついた瞳をしている。
入学当初、カカンにも彼へ話しかけにいった子たちはみんな『話しかけてくんな。失せろ』という絶対零度の拒絶反応でかえりうちにあった。
ものすごくイケメンだけど誰のことも寄せつけず、頑なに一匹オオカミを貫く彼についたのが、【人間嫌い王子】というあだ名だ。
先生とすら事務的な会話しか交わさない徹底ぶり。
それほどまでに人との関わりを絶っている彼と、いま、会話をしている。
不思議な感覚だ。
「それより、お前は困ってるんだろ?」
いきなり顔をのぞきこまれて、思わず、のけぞった。
か、顔が近い……!
まつげが長くて、肌も雪のように白くなめらかで。
女子としての自信をなくしちゃいそうなほど、きれいな顔。
「お前の未練を聞かせろ。オレにできることがあったら、力になってやる」
ふわり、と。
彼の浮かべた笑みに、今はないはずの心臓が、大きく高鳴ったような気がした。
永久凍土に咲いた、花のような笑顔。
桐生くんって、こんなにやさしく笑うんだ。
クラスの女の子たちをまとめて卒倒させそうな笑顔に、ソワソワとして返事もできずにいたら、彼はケゲンそうに首をかしげた。
「なに固まってるんだよ。話聞くの、オレじゃ不服か?」
「ち、ちがうの! ただ、話しかけられたことにビックリして、言葉がまとまらなかっただけで」
「そうか、焦らなくても良いぞ。待ってる」
本当は桐生くんの笑顔にみとれちゃってたんだけど……それは心にとどめておこう。
考えてみれば、これってまたとないチャンスだ。
今のわたしにとって、誰かと話せること自体が、とてつもない奇跡なんだから。
深呼吸の動作をする。
不思議なもので、感覚はなくても、少し落ちついた気持ちになれた。
「実は、昨日、体育倉庫にいったんだけど――」
わたしは、あの桐生くんに助けを求めているという現実に信じがたさを覚えながら、自分の身に起きた出来事を一生懸命に語りはじめた。
彼は、熱心にうなずきながら、意外なほどまじめに話を聞いてくれている。
「――というわけでね。わたし、幽霊にからだを乗っとられちゃったみたいなの」
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