第2話 怪しげな男

「おいおい、冗談はよしてくれ。たった80カラルじゃ、豚のエサ代にもなりゃしない。ここの相場は一泊300カラルだよ」

受付台に乗せられた硬貨を一瞥し、宿屋の店主の男が嘲笑う。

「さ、300!?」

台の前でわなわなと震えるローズは、声を張り上げ店主に向かって反論した。

「それは可笑しいわ!東地区の宿は、よくても一泊100カラルだったわよ!」

「はいはい、ケチ付けたって無駄だよ。慈善事業じゃないんだコッチは。泊まりたいんだって言うなら300カラル。払えないんだったらさっさと出て行きな」


外套に付いたフードを深く被り顔を隠すような出で立ちのローズの正体に、誰も気が付くことはない。

店主はローズを厄介客と見なしたのか、しっしっ、と野良猫を追い払うように手を仰いだ。

                    

すっかり日も暮れ、時刻は夜。整備されていない砂利道を照らすのは仄かな月明かりだけ。着の身着のまま王宮を飛び出したローズは、ここ数日間、とある場所へ向かうため城下町を転々としていた。そして今、彼女が居るのは城下町の最西端に位置するフェザー地区だ。


「別に、ちゃんと部屋じゃなくたっていいわ。物置小屋でも何でも……!泊まる場所がなくて困っているの……!」

「んなもん、オレの知ったこっちゃねえ。余所は知らねえが、そんな甘ちゃんな考えフェザーでは通用しねえぜ。……たく、この頃、面倒な客が増えて嫌になるぜ……」


しおらしく瞳を揺らすローズの懇願を一蹴した店主は、深いため息と共に煙草を燻らせながら皺だらけの新聞に目をやった。


ローズは口を閉ざし、横目で辺りを見渡す。

お世辞にも綺麗とは言い難い木造の建物。歩く度に軋む床、梁には所々すすが掛かっている。


彼女も王宮での贅沢な暮らしをしていたとは言え、元は田舎の小国の出だ。

『小汚い』と思うのは簡単だが、背景にどんな事情があるかを想像出来ない程、彼女は無知ではなかった。


(……店主の言う通りだわ)


ローズは店主の言い分にぐうの音も出なくなり、その場で俯き下唇をぐっと噛む。


小さく息を吐きながらローズは、手に持った小袋をちらりと覗いた。中には数枚の貨幣が入っている。


勢いのまま身一つで城を飛び出したローズが唯一持ち出した、彼女の全財産。嫁入り前からいざというときのために隠し持っていた僅かながらの手銭である。

この軍資金を頼りに、今まで街をうろついていたのだが──、


(流石、王都の城下町。田舎だった祖国とは比べものにならない物価の高さね……)


出て行ってから数日しか経っていないのにも関わらず、ローズの手持ち金は既に底つきそうだった。


(それにしても、こんなに早く資金難に陥るとは思っていなかったわ。勢いで出て行ってしまったけど、エドワードから慰謝料をふんだくってからの方が良かったかも……)


出発時より随分と軽くなった小袋を見つめながら、ローズは一抹の後悔を覚えた。

彼女が目指しているのは城下町を抜けた先、帝国の西の国境付近に存在する小さな農村クォート村──旧クォート王国。ルベリア帝国に領地を奪われた、彼女のかつての祖国だ。ここから村までの距離はここからでも馬車で5日以上はかかり、馬代も安くない。故に、こうして徒歩で日を跨ぎながら向かう必要があった。


「でもまあ……金が無いってんなら、稼ぎ場の紹介くらいは出来るぜ?」


ローズが俯き黙る中、口を開いたのは宿屋の店主だった。

いつの間にか、店主の視線は新聞からローズへと向けられている。


「か、稼ぎ場……?」

店主の言葉を聞き返すローズ。訝しげなローズの視線を余所に、店主はローズの全身を舐めるように見つめた後、下品に口端を吊り上げ意味深に嗤う。

「ああ。そうだな……あんたなら、一日で1000カラルは固いんじゃねえか?」

「一日1000カラル……!?兵士の平均日給が120カラルだと言うのに……」


店主は相変わらずニタニタと怪しげにほくそ笑んでいた。


(いくらなんでも、怪しすぎる……)

店主へ対し、ローズもまた依然として懐疑の目を注ぐ。


すると、ローズの思考が透けていたのか店主がわざとらしい口調で語りかけた。


「でもよぉ、金ないんだろ?それに泊まる場所だって」

「そ、それはそうだけれど……」


真っ当な店主の言葉に、一瞬ローズは言い淀んだ。


次の瞬間、今だと言わんばかりに店主は語気を強めた。

「じゃあ、やるしかねえんじゃねえのか?あ゛ぁ!?」


自身よりも大柄な見ず知らずの男に声を荒げられて、驚かない方がおかしいだろう。ローズはビクッと身を跳ねさせ、よろけそうな足取りで一歩後ずさった。

一方、店主は、自分が優位に立っている確信を得たのか、立ち上がりローズへ一歩一歩にじり寄っている。


自分の眼前に現れた大男の存在から、ローズの脳内には嫌な想像ばかり膨らむ。彼女の背中からは、冷や汗が溢れる。

恐怖で早鐘を打つ鼓動が鼓膜に直接響き渡る。


「い、いやッ……!」


硬直する身体をぎゅっと抱きしめ、ローズは小さな悲鳴を上げながら目を瞑った。


「ふわぁ~~~~~」


瞬間──、


彼女の耳に届いたのは、気の抜けたあくびの声。……店主の声でも、勿論ローズ自身のものでもない。初めて聞いた男性の声だ。


「なんやなんや~、こないな時間にさわがしいやっちゃなぁ」


ギシ、ギシと鳴る足音。ローズが恐る恐る目を開けると、二階へ続く階段から見知らぬ男がひとり、降りてくるのが見えた。


ひょろりとした背格好に細長い手足。さっぱりした顔立ちから溢れる異国情緒は、どこかミステリアスな印象を想起させる。夜空を溶かした長い頭髪は、後ろで一つに括られていて、歩く度にゆらゆらと揺れていた。


「チッ、何だよソウハ。せっかく良い『稼ぎ』が出来そうな時に」

「なんやおっちゃん、まーた女の子騙してんかいな~」

「人聞きワリぃこと言ってんじゃねえよ。この女が金が無えっつーから、仕事を紹介してやろうと思ってだな」

「なんや、そーいう事やったんかぁ~」


店主は面倒そうな口調で男と話すも、二人からは気さくな雰囲気が漂う。

店主の関心が、一気にローズから『ソウハ』という男へ変わる。隙を見計らいながら、ローズはゆっくりと店主と距離をとった。

その瞬間、『ソウハ』と目が合う。店主とはへらへらした口調で談笑してはいるが、その視線は真っ直ぐとローズを見つめていた。


──今、助けを求めるにはもうこの男しか居ない。


「た、助けて……!」


一か八か、ローズはソウハへ向かって声を上げた。


「おいッ、このアマッ……!」

「こらこらぁ、あかんで~。暴力沙汰は堪忍してや」

ローズへ向かって店主は怒号と共に片手を振り上げるも、それをソウハは片手で軽々と掴んだ。

「あかんでおっちゃん。無理矢理やらすのは、どーせ続かへんで?」

「ハァ……ったく、新参者のくせに偉そうなこと言いやがって」

「そ、そんなぁ~、ゆうて半月は此処で世話になっとるのに?仲良くしましょ言うたやないですかぁ」


掴み所のないソウハをまだ信じきれないローズは、ローズはゆっくりと二人から距離を取る。そしてローズはこの場を去ろうといそいそと身を翻した。


「も、もういいわ。他を当たります」

ローズは、ぶっきらぼうに言い放ち、床に置いていた荷物のトランクを持ち上げる。


「ちょい待ちい」


だが、ソウハの一言がローズの出発を阻んだ。


「他って、アンタ。金も無いらしいっちゅーに、行く当てなんかあるんかいな」

「ど、どちらも無いけれど!少なくとも、此処にいるよりは外の方が安全だわ」

「へぇ~、助け舟出してあげたっちゅうのに、随分な言われようやな」

「……それに関しては、感謝してるわよ」

刺々しい言い草なソウハに、ローズは言葉を詰まらせた。


「ま、別にエエけど。ただ危険だとはと思うで?特にアンタみたいな女は」

ソウハはオーバー気味に肩を竦めては脅すような口調で続ける。

「ここら辺は野犬もぎょうさんおるし、王都の東側と違て治安もよろしくないからなぁ。どっちみ襲われて死んでまうか、奴隷として売り飛ばされるかってトコやろな」

ソウハはそう言って、怯えるジェスチャーを当て付けのようにローズの前で行った。


(な、なんなのよ、この男!)

ローズは苛立ちながらソウハへ問いかけた。

「じゃあ、どうすればいいって言うのよ!……言っておくけど、さっきの話は無しだから!」

「そやなぁ……」

ソウハは顎に手を当て、如何にも考え込んでいる体で首を傾げる。


(私で何を企んでるのよ、こいつ!……ロクな事言わなかったら、ただじゃおかないわ!)


ローズが得体の知れないものを見つめるかの如く、目を眇める。瞬間、ソウハと視線が交わった。


じーっとローズを見つめるソウハ。不思議とその視線は、心の中を見透かされているような、そんな気持ちにさせられる。ローズは外套の胸元をぎゅっと握り、焦燥を誤魔化そうと顔を逸らす。


「なあ、アンタ」

「な、なに……?」

不意にソウハが語りかけ、ローズが咄嗟に身構えた。


「ちょっと、脱いでみ?」


「え……?は、はあッ~~~~ッッッ!?!?!?」


ソウハの山なりに弧を描いた瞼から、黄金色の瞳が覗く。それはまるで、足元の悪い砂利道を照らす──夜空に浮かんだ三日月のようだった。

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