ごきげんよう元旦那様。僭越ながら貴方のお国、買収させていただきますわ!〜負け組皇女の一発逆転ビジネス記〜

バナナパンケーキ

第1話 離婚成立

「──では、こちらを以て皇太子エドワード・ルーベルト殿下、その妻ローズ妃の離縁の成立と致します」

厳かな雰囲気の中、立会人の男が告げる。


神話の一部を切り取った絵画が施された天井。吊されたシャンデリアから反射した光は、壁紙を彩った金細工の紋様を煌めかせている。部屋の中央には大理石で仕立てられた特注のテーブル。それを挟むように置かれた真紅のソファは肌触りのよいベルベット生地で作られている。


客人用の応接室ですら、大広間と変わらぬ絢爛さ。大陸イチの軍事力と資金力を誇るルベリア帝国の王宮にはふさわしい佇まいだ。


「もう君とは他人だ。今すぐにとは言わんが、用意が出来たら早急に城から去れ」

背もたれに身を預けながら、眉間に皺を寄せた男が吐き捨てた。


纏う黒の軍服。一見、他の軍師と変わらぬ制服だが、黄金色で彩られた刺繍に、功績を称える数々の勲章が有象無象と一線を隠すように胸元で輝いている。

衣服に反して、闇夜に浮かぶ満月のようなブロンドの髪は乱れることなく整えられていた。前髪を上げているからか、キリッと鋭い碧色の双眸が普段に増してよく見える。その眼光はまるで氷のように冷たい。

……少なくとも、今し方まで妻だった女に向けるような眼差しではなかった。


「……言われなくても、分かってるわ」 

エドワードの冷徹な視線の先にいる元妻──ローズは、彼を見る訳でもなく目を伏せながら呟いた。


(……これも用済みね)

 

物憂げに揺れる彼女の瞳が、自身の手元を映した。

左指に嵌まった、ゴールドのリング。小さいながらも曇りのない12面のダイヤモンドが乗った特注品。二年前、エドワードとの結婚の際に彼から送られた──契約の証。 


「……話は以上だ」 

暫しの沈黙の後、響く低音でエドワードが口を開いた。


ローズへ目を向けることなく、ただ扉を一点に見つめながらエドワードは扉の前へ歩くと、ぼそりと「せいぜい達者でな」と吐き捨てその場を去った。

 

エドワードに続き立会人である彼の部下も部屋から立ち去ると、残されたのは、ローズと──テーブルに置かれた一枚の紙切れ。書面の下部には、自分とエドワードの自筆の署名が書かれている。


言わずもがな、この紙に書かれた内容は、エドワードとの離縁についてだ。


静まった室内。静寂の隙間から、窓の外から聞こえる小鳥のさえずりが一層響く。


「あ~、もうッ……!せいっせいしたわッ!!」


瞬間、ローズが吐き出すように叫んだ。もし、皇太子妃だったならば、少しでも騒いだ途端、何事かと何処からとも無く侍女たちが飛んで来るだろうが、もうローズにその肩書きは無い。

静まった室内。ローズの様子を気にする者は現れない。先ほどから窓際の木々で羽根を休める小鳥たちも、先ほどまで響かせていた歌声を止め、代わりに飛び立つ羽ばたきを鳴らしどこかへ消えていった。

 

 ***


七つの国々で模られたトルマンド大陸。確かな武力と豊かな資源を有するルベリア帝国は、大陸の中央に君臨する一大国家である。

周りを山で囲まれており敵襲にも強く、ルベリア陸軍部隊は大陸最強とも呼ばれるほどの力を持つこの国だが、これほどまでの権力を有するようになったのはここ数十年。エドワードの父、皇帝エドモンドが国のトップに鎮座した頃からだ。決断力とカリスマ性を持った皇帝は、自ら軍の指揮を執り、帝国の存在を確かなものにした。エドワードは皇太子にして陸軍第一部隊の将校を務め、数々の功績をおさめた。


一方、エドワードの妻ローズ・ルーベルト──旧姓ローズ・クォータルは、かつて国境付近に存在した小さな国の王族として生まれた。

王族、と言っても名ばかりのような小さな国で、素朴な自然に囲まれた穏やかな小国。煌びやかな生活ではなかったものの、祖国の暮らしにローズは何不自由なく満足していた。だが、五年前、他国からの侵略により国家が崩壊。せめて国民の安全をば、と国王であるローズの父が頼ったのがルベリア帝国であった。領土を帝国に明け渡す事を条件に、人質としてローズと皇太子を婚約させた。……いわゆる政略結婚である。


「あ~あ。明日からどうしようかしら」

部屋に残されたローズは、一人になった室内で天井を仰いだ。

所々に施された華美な装飾は、ずうっと見てると目が痛い。ローズは目を眇め、左手を翳す。シャンデリアの光が薬指のダイヤモンドに、ゆらゆらと揺れる。


エドワードも同型のリングを持っているはずだ。だが、結婚してから五年間、ローズは彼の薬指にそれが嵌められているのを一度も見たことがなかった。

 

「もう祖国も無くなったことですし、さしずめ面倒な人質は必要なくなった、といった所でしょうね。そう考えると、五年……結構持った方かしら」

ローズは自虐の微笑を独りでに漏らす。

  

唯一あった皇太子妃の肩書きも、一国の皇女である過去も、全て無くなった。


「もう、考えるのは止めよ、ローズ!」

言い聞かせるようにローズは頬をパチン、と両手で叩き叫んだ。両頬のジンジンとした痛みが熱を帯びる。ローズの中で血が巡る。

「たかが離婚じゃない。何、死んだわけじゃない」

 

ローズは勢いよく左手のリングを外した。手の平で、冷たく光る結婚指輪は、今の彼女には最早無用の存在だった。


ローズはどかどかと足音を鳴らし、部屋の大窓を勢いよく開いた。瞬間、初夏を思わせる青々した草木の匂いと共に、涼やかな風がローズの栗色の長髪を靡かせる。


「ッ、離婚なんて、クソ喰らえだわッ!!」


ローズは、窓の外に向かって精一杯声を上げた。晴れ渡った空の下、ローズの眼下に広がるのは活気溢れる城下町。


ローズは片腕を思い切り振りかぶった。そして、天に向かってこぶしを振り下ろす。

宙を舞ったのは、ゴールドに光る結婚指輪。

弧を描いて投げられたそれは、キラリと陽光を反射させ、何処へ消えて落ちてしまった。


「……私は私、『ローズ』として、この世界で生き抜いてみせる!」


肩書きも、居場所もない。この世界に生きる一人の女性、『ローズ』として。


彼女の決意の咆哮は、広大なルベリア帝国へと轟いた。

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