第32話 エンディングは終わりではない

「ここは……どこ?」


 彼女が目を覚まし、橋から外へ出たらこうなっていた。

 辺りの家のほとんどが燃えていて、強烈な熱気が彼女を襲う。


「なにがあったの……」


 今まさに、街の東側付近が戦争となっている事など、彼女には知る由もない。

 変わりに、ときおり聞こえる爆音と叫び声だけが――不安と焦燥を生む。


「とにかく、先生の所に――ッ!」


 なにかにつまずき、派手に地面と抱き付いてしまった。


「痛い……一体何が―――ひゃッ!」


 顔の皮膚の半分が火傷でただれている人間が倒れていた。体中から血を垂れ流し、傷口から熱が入り込み内部からも焼いている。

 よく見れば――辺りにある黒い炭のようなモノから、まだ形が残ってるモノまで――それらすべてが、人だったモノだ。

 そう認識した途端、臭いに気付いた。人の肉が焼けた臭い――たまらず吐いた。


「ぁ、ぅぅ…ッ」


 腹の中のモノをすべて出しても、この気分の悪さは当分続く。


「えぅッ――はぁ、はぁ…」


 だんだんと炎は勢いを増して来ている。少女はゆっくりと、確実に歩き出した。

 あの青年の居る“学校”へと。


◇ ◇ ◇



 はぁ……はぁ……。


 これだけ少女が自分の体を重く感じたのは、小さい頃に湖に落ちた――内陸だったので泳いだ経験は無かった――時以来だ。


 はぁ、ぅ……うぁッ……。


 戻しそうになるのを堪える。

 今自分が走ってるのか、その場で立ち止まっているのかも分からない。

 気持ちだけが……急いでる。まだ屋敷にもたどり着いていない。

 どこから響く爆発音、すべてが燃える中、少女はただ一人のことを想っていた。


「先生、先生ぇ」


 実はというと、彼の素姓は何一つ分からないまま。小さい頃、どこの国に居たか、なんでこの街の屋敷を買ったか。

 代わりに表面上の事はいろいろと知る機会があったので、よく知っている。肉も野菜も好き、だけど鶏だけはダメらしい。卵はいいのに不思議だ。童話が好きで、部屋に何冊もある。体を動かすのは好きじゃない――と、たくさんの事を知った。


「先生……」


 またその名を呼ぶ。別に意味があって呼んでいる訳じゃない――ただ、呼びたい。

 彼女にとって運が良かったのは、既に敵は王国軍を迎え撃つ為に屋敷とは反対に集結してるからである。障害はただ、燃え盛る炎と焼ける人間だったモノだけだ。

 そうこうしてる内に、ようやく彼女は屋敷の前にたどり着く。


「着いた」


 見上げた空は、真っ黒に曇っていた。また雪が降るのだろうか……。


「行かないと……」


 こんな状況でなにをしようと言うんだろうか。彼女にも分からない。

 けど、今先生に会わなければいけないと……この時、彼女は思った。 遠くではまだ激しい音が聞こえる。

 爆音と共に建物は吹き飛び、空が赤く染まったかと思ったら火が降っている。あの度に人が死んでいるのだろう。


「先生……」


 見つけた。

 部屋には居なかったので、屋上にあがったら――案の定、青年はそこに……、


「ッ!?」


 足下に細かい透明な破片がたくさん落ちていたのに気付いた。目で追うと、それはあのガラス小屋だったモノだというのが分かる。もう骨組だけが建っていて、花のつぼみは冬の外気に晒されている。


「なんで、こんな……」

「先の攻撃のせいだよ」


 先生は、街が無くなっていく様をじっとみつめていた。


「屋敷の近くにも攻撃があって……かなり強い衝撃だったよ。ガラスはみんな割れてしまった。元々、そんなに強い材質じゃなかったしね」

「そんな――」

「ハナ君」

「はい……」

「アレをどう思うかい?」


 アレとは、真っ赤な炎に包まれた街か。はたまた襲って来た存在か……。


「両方だよ」


 また心を見透かしたかのような事を言う青年。


「凄く、嫌です」

「そうか…」


 こちらに振り返ったその顔は――ハナが、あの時感じた寂しい顔。


「人は人を食い物にし、支配し束縛する事で快感を得る」


 彼が言葉を紡いでいく。


「街を襲うのは人、殺すのも殺されるのも人。焼けようが、切り刻もうが人であり、違いなど無い」


 そこで青年は、ハナの方へと向き直る。


「僕は人が嫌いだ――君はどう思う」

「……」


 こんな状況で、こんな質問をされてどんな意味があるのだろう。

 しかしそんな事、彼女は考えもしなかった。


「私は……私はそれでも、人を嫌いにはなれません」

「なんでだい?」

「――花、なんだと思うんです」


 もう三日もすれば、開花していたであろう花に触れる……とても、とても冷たかった。


「つぼみは、夜だとつぼみのままです」

「……」

「人もまた、つぼみなんです。外は、戦争っていう闇に覆われて……そう、夜なんですよ」

「夜、か…」

「はい。だけど、夜はいずれ朝になるように……人の心のつぼみも、花が咲くと思います」

「そうか……それが君の答えなのか」

「いいえ」

「ん?」


 初めてかもしれない。先生が意外そうな顔をしている。


「咲いた花は綺麗だとは限らない。戦争は――夜ではありません」

「そうだね。君が言った事は、すべて理想に過ぎない」

「なら――」


 私は先生に向き直り、言葉を続けた。


「理想が現実になるように、花を咲かせてやるのも、人の役目だと思います」

「それを君がやるとでも?」

「……私と、私の考えを分かってくれる人達と」

「なるほど……」


 先生は、薄く……とても薄く微笑んだ。

 苦笑でも、嘲笑でも無い──出来の良い我が子を見るかのような自愛の顔だ。

 少女の記憶する限り、そのような顔は見たことが無かった。


「なら、僕も君の答えに従うよ」


 少女には彼の言っている意味が分からない。


「この世から夜が消えて、朝が来る世界。僕が君に贈る、卒業の証だ」

「先生……?」

「もうハナ君は、孤独に負けない方法を知っている。今言った通り、君は君の道を進む。君の力で、つぼみを花にしてくれ」

「先生ッ!」


 先生の体から少しずつ、光が洩れ出した。淡い山吹色の輝き。優しく、どこか寂しい気持ちになる。


「さぁ、審判の時だ!」


 片手を振るうと、光の粉が花のつぼみに触れる――そして、次々に花が開いていく。

 幻想的な風景。常識の外にある現実。


「我の触れ、聞き、知ったすべてを引き換えに――世界の闇を終わらす」


 聞いた事もないような、高らかで綺麗な声。


「ダメだよ、先生……」


 彼女は泣いた。

 泣く事も忘れていたはずの彼女の瞳からが、大粒の涙が流れ落ちる。


「――僕は彼に殴られてしまうな」


 今度は苦笑した。

 そっと、先生は少女の頭を撫で、少女の唇に軽く触れる程度に――自分のそれを重ねた。


「本には、好きな相手と別れにするものだと書いてあった」

「……そう、なんですか?」

「嘘だ」


 指先が少女の額に触れたかと思うと──少女の身体から全ての力が抜けた。

 まるで、突然消失してしまったかのように。


「聞け、万物の道標よ!」


 彼は、強い光に変わっていく。どうする事も出来ない。ただ、意識を失う前に――空が山吹色の輝きに満ちたのだけが、少女と青年の最後の思い出だ。



 その日  世界のすべてが  光に包まれ


 ありとあらゆる戦争が――終わった。



 次に少女が目覚めたのは、綺麗な花が咲き乱れる――楽園のような場所だった。

 

「楽園の、名前――」


 眺めた先にあるはずの炎の海は消え去り、街は完全な破壊を免れ、戦争をやっていた軍隊も消えた。



 1人の、青年と共に……。

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