第22話 病
雪合戦や釣りの日から数日後。
少女は徐々に“感情を表に出す”という事に慣れてきた。本人に自覚などは無いが、周囲の人間は確実にそう思っている。
そうした充実している毎日を過ごしていた少女だったが、この日はいつもとは違う異変を感じていた。
まず最初に感じた異変。時計を持っても居ないのに、大体いつも同じ時間にやってくるリーダーとメガネが来ない。
「どうしたんだろ」
屋敷の前で時計を片手に待つ少女。
しばらく経っても来ないので、もしや昨日の疲れが体に残っていて、起きれないだけかもしれない。
「久しぶりに基地行ってみようかな」
青年にはもう出掛ける事は言っておいた。片手のカゴの中には、冬でも鮮やかさを見せる草花を摘んでおいたモノが入ってる。
屋上のガラス小屋に植えておいた成長の早い種類で、今日見たら小さな花を咲かせていたので、お土産代わりに持っていく事にした。
「もうすぐ来年かぁ……」
時間の概念が著しく欠如するような生活環境でも、新年が近付くと雰囲気で分かってしまう。街が独特な緊張感を醸し出すからか――。
「去年はお母さんと一緒だったけど……今年はみんな居る。先生だって居る」
中央公園の林の中を突き進むのだが、あんまり来てないので迷ってしまいそうになる。
「こっちで合ってるかな?」
迷いながらも白くなった林を進んだ。進んでから十数分くらいして、ようやく目的地についた。
「はぁ、大変だった」
「なぁぁ」
「ッ!?」
不気味な野太い声に驚いてそっちを見ると、ちょうど基地の入り口に座っていた。
「ブチ、どうしたの?」
「なぁぅ――ぁぁっ」
まるで少女を待っていたかのような返事をしたブチは、ついでに大きなあくびをした。
「どうしたの? リーダー達はまだ中?」
そう聞くと、ブチは黙って基地とは反対方向に歩き出した。そして1度だけ振り返り少女を見ると、
「……」
また歩き出した。その先は茂みなので、入ったら見つけにくくなってしまうだろう。
「ついて来いって事かな」
もしかしたら基地には2人は居らず、ブチが道案内をしてくれるのかもしれない。
猫は基本的に気紛れで自由な性格。この行動に意味など無いかもしれない。しれないが――、
「ブチだって隊員だもんね」
公園の林を抜け、街を南に進んで行く。その道のりは、つい最近にも通った覚えがある。
「もしかして、お爺ちゃんの小屋にみんな居るの?」
ブチは黙々と足を進める。街を完全に出て、さらに川にそって下っていく。
しばらく歩くと、やはり記憶に新しい小屋へとやってきた。
「あれ?」
小屋の入り口には、見覚えのある背の高い少年が立っていた。ただ、その顔には陰があった。
「あ、おはようございます……」
向こうもこちらに気付いたが、やはり昨日までの元気が無い。疲れているようにも見えるし、やつれても見える。
「今日はどうしたの?」
基地にはブチしか居ない。いつもと反応が違うメガネ。彼女の中で、異変は疑惑へと変わっていく。
「実は……」
◇ ◇ ◇
「――ッ!?」
少女は驚きのあまり、言葉を失った。
ついこの間まで元気そうだった老人が、ベッドの上で横たわっていた。規則正しく胸が上下しているので、生きてはいる。
しかしその顔はとてもではないが、生きている人の顔では無かった。素人目にも、かなり憔悴している。
「昨日、解散した後に……いつものように来てみたら、お爺さんが倒れてて……凄い熱だった。本人は『ただの風邪だから大丈夫』だって言ってたけど、いきなり血を……」
よく見ると、床には赤い染みが多くついていた。これだけでも、量が多かった事がわかる。
「いつも元気だったから、持病って訳でも無いし……でも、ただの風邪で血を吐いたりはしない、はず」
重いメガネの言葉。喋っている本人も辛そうである。
親しい人が突如、こんな事になれば……辛くなる。胸が痛む。それでも、一番苦しいのは本人だ。周りの人間にしてやれる事は――。
「あれ? リーダーは?」
どんな時でも元気だけは無くさない少年が、今はどこにも見当たらなかった。
「リーダーは、朝方までは交代で看病してたんだけど……」
確かに目の周りにが黒くなっている。昨日は一睡も出来なかったのかもしれない。
「それで今さっき、街へ医者を探しに行きました」
という事は、少女と入れ違いになってしまったようだ。恐らく、弱っていく老人に見るに見かねた少年は、急いで医者の元へ走ったのだろう。
「そっか……でもそれなら、」
「無駄じゃよ」
ベッドの上で寝ていたはずの老人は起き上がり、傍らに置いてあったコップに水差しで水を入れようとして――出来なかった。掴んだ手に力が入らないのか、持ち上げる事さえ出来ない。
「クソッ」
「私がいれます」
代わりに少女が水を入れる。
「はい……」
「すまない」
水を飲み干した老人は、淡々と喋り出した。
「儂はこの通りのジジイじゃ……元より老い先は短い。寿命が先か、病気や事故が先か……来るべき時が来た。ただそれだけじゃ」
「そんな、そんな事を言わないで下さい! それに医者が来れば――」
「この街にはまともな医者しかおらん。だから無駄じゃ」
「え?」
一瞬、聞き違えたのかと思った。今、リーダーはそのまともな医者を探して走っているのでは無いか?
「……医者もあくまで商売じゃ。慈善でやってる訳では無い」
「だからって、診察にさえ来ないって事は無いでしょ!? それにお爺さんだって、お金は少しくらいは……」
「お嬢ちゃん、悪いがそこの棚に入ってる新聞を取ってくれんか」
「は、はい」
紙を媒体して情報の伝達を行うモノとして生まれた“新聞”は、街中でよく売られている。たまに大きな事件が起きると、号外といって無料で配布も行っている。
日付からして、これは約二年前の新聞らしい。
「その記事、読めるかい?」
「えっと……『現在王国の西から南部にかけて新種の病が流行っている。元は隣国東部で発生したらしいこの病は、菌が空気を伝わり人に感染する。人から人へ感染した例は今の所無い。発症は個人差がある。初期症状は無く、ある日突然発症する事から“時限爆弾”と呼ばれる。症状は目眩、吐き気、高熱、腕の辺りに黒い斑点が浮く。さらに時間が経過すると徐々に全身に菌が回り、斑点が増え筋力が衰え、やがて動けなくなって死に至る』……これってまさか」
老人は自分の腕の辺りを見せた。そこには、かなり広範囲に黒い斑点があった。
「二年前の話じゃが、まだこの辺りでもたまにその病気で死ぬ奴がおる……幸い、儂からお前さん達に――が、はッ!」
咳とも言えないような咳だ。まるで苦しみを口から吐き出そうとしているみたいだ。
「――うつる事は無いらしい」
「そんな病気なら、尚更早く治すために医者を……二年も前なら、今では特効薬の一つくらい……」
「確かにあるにはあるが――次のページじゃ」
「これかな」
どうやら複数の新聞を合わせているらしい。次はそれから半年ほど経っている。
「『今、戦場で例の“時限爆弾”が流行っている。王国は早急に特効薬の開発を行っており、体の菌を死滅させる事の出来る菌がある植物を発見したらしい。ただ植物は希少なモノ。戦場の兵士や一部の貴族に優先して提供すると、発表があった。一般にまで薬が出回るには、しばらく時間がかかる』。次は、今から半年前……? 『二年前からその脅威を見せしめるかのような勢いで、人を死に至らした“時限爆弾”だが、民間の医者にも特効薬は出回りだした。しかし、やはり希少で値段も高額である。さらに近年の戦争により、植物が生息する地域の一部が焼き払われてしまう。我々庶民には』……」
「もう分かったじゃろ。儂にはそんな金は無い。いや、あったとしてもこの街にどれだけの薬があるか――戦場では今でもこの病にかかる事もある。優先的に戦場へ行き、さらに貴族など権力がある者の場所へ行き……そんな所じゃ」
絶望的だった。新聞に書かれていた記事が本当なら、その植物すらも戦争のせいで少なくなった。そのせいで薬が減ってしまい……この街には無いかもしれない。
「だけど、それでも諦めたくありません! ボクも探してきます……すいませんが、お爺さんをよろしくお願いします」
「うん……」
少女にはただ頷く事しか出来なかった。あまりにも無力な自分が、ただ腹立たしい。
◇ ◇ ◇
「なんでだよ!」
やっと見つけた5人目の医者に追い出されてしまった。ここだけでは無い。今までの医者も、似たような理由だった。
「畜生が!」
みんな最初からリーダーを追い出そうとはしていない。何故か、老人の症状を話した時点で態度を変える。
「こうなったら……」
正面から行って追い出されるくらいなら――今追い出された建物を睨みつける。
「か、金なら無いぞ!」
「強盗じゃねぇ!!」
雨どいから2階の窓から侵入いう荒技に成功したリーダーは、先程追い出された医者に問い詰めていた。
「なんで、どこもかしこも追い出そうとするんだよ!! こっちは人の命が掛かってるんだぞ!? 医者じゃねーのかよ!」
自分より背の高い、髪に白髪が混じる初老の医者にくってかかるリーダー。
「──そこまで言うのなら、説明してやろう……お前の爺さん、急に熱を出して倒れて、腕に黒い痣のようなモノが浮き出ていたんだったな」
「そうだよ。だから医者に診てもらおうとして――」
医者は首を振った。
「それは“時限爆弾”と恐れられている、菌性感染型症候群という病気だ。ここ数年、この国や隣国で死者が大量に出てる。治すには、特別な植物を必要とする特効薬がいる」
リーダーに椅子に座るように促す。しかしリーダーは拒んだ。
「じゃあ、その特効薬ってやつをくれよ。それとも高いのか?」
「値段も問題だが、まずここには他人に売れる薬が無い」
「……どういう意味だよ」
「ほとんど戦争で病にかかった兵士に使うので徴収され、病にかかった時の為に領主に徴収され……街の医者全員が貴族などのお得意様の分しか確保出来ない。お得意様に何かあったら、信用は無くなるからな」
「……それが理由かよ」
「あぁ」
「お前の信用程度の理由で、ジジイを見殺しにするのかよ」
「……そうだ」
「てめぇら腐ってやがる。そんな事で目の前で死にかけてる奴を殺せっていうのかよ!?」
「では、逆に聞くが……」
それなりに落ち着いた物腰だった医者は立ち上がり、リーダーの前までやってきた。
「どこの馬の骨かも分からない爺さん1人助けた。それは良かった。しかし金は持ってない。使った薬のおかげで、得意様である権力のある富豪が病にかかった。でも薬は無い。私は信用どころか、その責任で死刑にされるだろう。そうなれば、今年で五5になる娘と、妻はどうすればいい。命を救った爺さんが私の代わりに家族を養うか? 代わりに責任をとってくれるのか? どうなんだ!?」
「くッ……」
「お前の事情はよく分かった。だが私の事情も分かっただろ? それでもお前は、無理にでも奪うか……そうなれば私は、すぐに通報させて貰う」
何も言い返せない自分。いつもの調子なら、なんとかなると思った。絶対助けられる――そう信じていた。思い込んできた。
「畜生畜生畜生畜生畜生……ちくしょおぉぉ!!」
近くにあった机に渾身の蹴りを入れてから、窓から飛び出したのだった。
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