第21話 お風呂


「これはまた、賑やかだったんだね」

「は、はい」


 青年が玄関に来ると、ちょうど三人が帰ってきた頃だった。

 体中を泥で汚し、ちょっと申し訳無さそうに俯く少女と――同じように汚れた二人の少年がいる。


「ちょっと釜を貸してくれよ」


 自慢げに釣った魚の入ったバケツを掲げるリーダー。両手に持っており、青年が覗き込むと……思わず魚と目が合う。


「……うん、別に構いはしないが、調理の仕方は知って――」

「知ってるに決まってるだろ!? なんたって生まれ故郷じゃみんな毎日魚を捌いて食ってるんだぜ」

「そうなのか?」

「おう」


 後ろを見ると、苦い顔をしたメガネが顔を横に振っている。


「いいコンビだな」


 1人納得したように頷く青年に、リーダーは眉を寄せる。


「なんだよ」

「いや。それより、釜に火は入れておくから――その汚れはどうにかしないとな」

「別にいいよ。オレは気にしない」


 事も無げに言う。それはさすがにメガネがたしなめる。


「リーダー、一応借りる手前……あまりそういう事は言わない方がいいですよ。それに、こんな屋敷に泥まみれで入って汚して掃除までさせられたら――」

「あぁ、分かったからどんどん近のはやめてくれ!」

「花売り君」

「はい!」

「一階の奥の部屋。準備だけはしてあるから、君達で先に使ってくれ」

「あ……はい。それじゃあ、みんなこっち来て」


 手招きをしながら屋敷の奥へ行く少女。


「道具と魚は僕が預かるから、行っておいで」

「さっきからなんの話をされてるんです?」

「お風呂だよ」



 間。



『お風呂!?』



 風呂。

 一般には、浴槽と言われる人が入れるほどの大きさの容器に、お湯を入れたモノを言う。

 しかしその種類は豊富で、浴槽自体を釜のように直接沸かす方式から、お湯ではなく蒸気を部屋に充満させる蒸し風呂という変わり種まである。

 この国では貴族や富豪、一般庶民に至るまで、あまり風呂には入らない。体を拭いたりもするが、それでも毎日のようにやる人は少ない。

 理由としては水だ。この街は地下水を引く川があるからまだ良いが、大抵は井戸水か雨水。

 それも小さな町なら共同。そんな環境で、大量の水を使う風呂に入る人は居ない。いや、そもそも風呂が無い。

 それでも入りたい人は、公共の共同風呂――とある国では銭湯と呼ばれる――を利用している。かなり小さい浴槽ではあるが。よって、裕福では無かった元庶民や孤児が驚いたのは無理な話では無い。


「長かったなぁ」

「え? そんなに廊下ってありましたっけ」

「なんでもねーよ」


 この屋敷にも風呂はある。一階の奥に位置する浴室は、十日に一度くらいの頻度で使われている。


「服はそこのカゴに入れてね。私は着替えとってくるから」

「おぅ」

「はい、すいません。そこまでして貰って」


 手早く服を脱いだ二人は、浴室の戸を開ける。


『おぉ~』


 そして同時に感嘆の声をあげた。広さは青年の自室の半分以下。具体例をあげれば六畳半ほど。

 部屋は石をメインに使っており、その隅にレンガを積んだだけの囲いがある。風呂としては地味だが、それでも子供が2、3人入るには充分すぎる。


「すげぇ、これが風呂か?」

「昔は何回か共同風呂行きましたけど。それよりも、こんな施設が屋敷にあるなんて……やっぱり相当な権力を持っているんでしょうか」

「さぁな、あんま興味ねーよ」


 そう言うと、チラッとメガネの方を見て、


「オレが一番だな」

「はい?」

「一番のり!」


 助走無しで跳躍したリーダーは浴槽の中へとダイブした。大量の水しぶきと、溢れたお湯が部屋中に捲き散る。


「わっぷ!」

「おぉぉ、すっげぇ気持ちいいなぁ」


 さすがに泳げるスペースは無いので、両手両足をいっぱいに広げる。


「全く、リーダーは無茶ばっかですよね」


 後に続いてメガネも入る。久々のお湯の心地よさに思わず震える。


「ふぁ……お風呂ってこんなに良かったんですねぇ。おっと、眼鏡外しとこ」

「おいおい。メガネが眼鏡外したら、なんて呼べば良いんだよ」


 顔を洗いながら浴槽の端に座るメガネ。


「そんな事言ったら、寝る時もメガネ外してますよ」

「おいおい、メガネは眼鏡があるからこそアイ、アイ……」

「アイデンティティですか?」

「それそれ。それが保たれるんだよ」

「ヒドい言われようだ……」


 そんな会話を続けていたら、戸の向こうから声がした。


『2人とも、着替えはここに置いておくから』


 少しか細い声からして、声の主は少女であろう。


「おぅ、ありがとうな……よし、メガネ。今から競争しようぜ」

「競争?」


 特徴の八重歯を輝かせながら、リーダーはお湯を指差す。


「一番長く潜ってられたら、一番大きい魚が食える!」

「負けたら?」

「一番小さな魚ひとつだけ」

「それは嫌ですね」

「じゃあ今からスタートな。はいッ」

「ッ!」


 二人ともほぼ同時に湯の中に潜った。

 そのせいで“3人目”の入浴者に気がつかなかったのだ。


「お風呂も久しぶりだな……」


 もちろんの事ながら、3人目とはハナの事である。

 今日の雪合戦や釣りでかなり汚してしまった服を脱いだその姿は、埃や泥で薄汚れはいる。

 しかし、少女本来の白い肌と華奢な体がとても美しい。見る者が見れば、彼女に性的な興奮を抱くのも分かるかもしれない。

 だが、それ以上に気になるのは──体の至る場所に刻まれた苦痛の思い出。


「痣は治ったけど、あまり傷無くなって無いな」


 腕や背中、腹などには切れたような傷。皮膚が大きく剥がれた痕もある。それらは段々と消えてはいくが、まだ完全には癒えていない。

 まるで、少女の心のようだ。


「……お風呂入ろうかな」


 と、ここで始めて少女は気付いた。先に入っていたはずの少年等が居ない事に。


「どこ行ったんだろ……」


 左右を探しながら浴槽に近づく。と、


 ざばァァァッ──!


「きゃっ」

「ぶっはぁぁ」

「げほッ」


 いきなりの巨大な湯柱に驚いた少女は尻餅をついてしまった。

 湯柱が収まると、そこには二人の少年が出現した。


「リーダァァ……足をくすぐるのは反則でしょ!」

「戦いとは、いつも非常なもんだ」

「何頷いてるんですか」

「お前だって脇つねってきたし」

「リーダーが足くすぐってきたから、苦しくて掴んじゃっただけです……?」


 と、ここで一つの違和感。同じ空間に二人以外の何かが居るような──、


「痛い……いきなり飛び出したてきたら、危ないよ」


 浴槽の外、しかし浴室の内。二人にとっては何故か、生まれてきた姿──噛み砕いて言えば“裸”。ここは浴室であるからして、当たり前の話だが──の少女がそこには居た。もちろん身を隠すタオルなど存在しない。


『……』


 メガネはその姿に固まり、リーダーもまたメガネの視線の先を追って固まった。


「どうしたの?」


 少女は自分自身では自覚しては居ないが、それなりに美しい部類に入る。貴族の娘のような格好をしても、なんら違和感は無いだろう。

 ちなみに──地方や宗教などによって違いはあるが──一般的な異性の貞操観念や羞恥などに関しては、少なくとも共に裸でいる事が当たり前という考えはしない。


『うわぁぁ!?』


 二人共、似たような動きで驚き、似たようなタイミングで足を滑らせて転んだ。


「?」


 喜劇めいた二人の行動に首を傾げながら、風呂へ入る少女。

 物心ついた頃から、異性という存在をあまり自分の中で区別してなかった。未だに少女は、そういった異性に対する意識がハッキリとしていない。心の成長がまだ追いついていないのだ。

 逆にリーダーとメガネは一般的な観念を持っている。環境の為か、そういった二人の心は早めに成長している。俗にマセてる、とも言う。


「なぁメガネ」

「なんですか」

「女って、あんまし関わったの少ないけどよ……あんな風か?」

「普通の年頃の女性は一緒に風呂どころか、服も脱がないでしょう」

「だよなぁ」

「彼女はあんまりそういうの、気にしないタチなのでしょうか」

「……見たか?」

「眼鏡無いからハッキリじゃないけど、それなりにーーって、何言わせるんですか!!」


 単純な誘導尋問に引っかかったメガネは顔を真っ赤にして怒った。


「さっきから隅で何してるの?」

「ちょっと男同士の秘密会議だ」


 さすがに張本人の目の前では『お前の裸について話してた』なんて事は言わないリーダー。


「変なの……」


 それからしばらく時が流れる。出来るだけ少女の方を見ないように浸かる二人と、天井を見上げてボーっとする少女。

 しかし、その状況と風呂に長らく浸かるという事に、一名。耐切れなかった者がいた。


「すいません。ちょっとのぼせたみたいなんで、先にあがります」

「うん。着替えはカゴに入れてる」

「すいません」


 丁寧にお辞儀をしながら、出来るだけ少女に正面を見せないように出て行く。


 風呂には二人だけが残った。

 ふと、思い出したように少女が呟く。


「……今日、楽しかった」

「へ?」

「私、お母さんと少ししか遊んだこと無くて、今日みたいなの……楽しかった」

「毎日あーいうのしてないけどな。オレ達はみんなでやって、みんな楽しくやれる居場所を作るのが仕事だ」

「居場所?」

「そうだなぁ……みんな飯が食えて、みんな毎日笑ったり出来る所。昔はな、オレもそんな場所があるんじゃないかって思ってたんだけど……見つからなかった。それ所か軍に捕まってしまうしな」


 結論長い間、一人で旅をしてきたのだろう。東方からこの国に来るだけで、かなりの月日が掛かっている。


「だからオレ様隊作って、そういう場所も作って、みんなそこで仲良く暮らせたら、な」


 大人が聞けば、子供の滑稽な妄想だと笑うだろう。現実にそんな場所を作るのは無理だと否定をする。


「今は無理でも、いつかやれたらなって思う」

「凄いな、リーダー」

「お前だって出来る」

「無理……だよ」

「誰にだって変えれる力はある。オレに出来る事は、お前やメガネだってやれる」

「そうかな?」

「あぁ──ッ!?」


 いつの間にか、少女はリーダーの近くまで寄っていた。


「な、なんだよ」

「リーダーも、いっぱい傷があるよね」

「あ? あぁ、あるけどさ」

「みんな同じように生きて、同じように辛いんだよね」

「……」

「なんだか、ちょっとだけ思った。私も、何か頑張れるかなって」

「おぅ、それは良かったな」

「うん。リーダー、ありがとう」


 あまりハッキリと感情を出せない少女の、精一杯の感謝の気持ち。それを表そうとする少女は、リーダーの目にどう写ったか。


「あ、あぁ……それじゃオレもそろそろ出る!!」


 慌てたように浴室から出て行くリーダーの背中を見ながら、少女はまた首を傾げた。


「?」



 風呂から出たその後は、実に楽しい一時ひとときだった。


 何故かあまり顔を合わせようとしない2人に疑問を抱きつつ、青年と2人の少年と一緒にテーブルにつく。

 初めて食べる2人っきり以外の食事。丁寧に作られた焼き魚はかなり美味しかった。少女も、リーダーも、メガネも……心から楽しい時を過ごした。


 しかし、楽しい時は尊く貴重であるが故、価値のあるモノである。

 誰もが次の日、あんな事になるなんて思いもしなかった。

 それはリーダーとメガネにとって、1番辛い出来事である。

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