第13話 氷の花


(あれ?)

 

 最初に感じたのは違和感だった。

 自分は確か銃で打たれ……。


(あれ、それからどうなったんだろ)


 目の前は真っ暗でなにも見えない。体も妙に軽く感じる。

 まるで、体という鎖から解き放たれたように。


(死んじゃった、のかな)


 死。


 その意味は知ってる。どのような状態なのかも知ってる。

 しかし、死を迎えた者の感覚は知らなかった。


(なら、これがそうなの?)


 そう思うと、なんだか楽になった気がする。

 ただ1人の家族だった母親は死んだ。ここまで野たれ死ななかったのは、その母親のおかげでもある。

 生きる事が母親の願いで、自分の願いでは無い。


(ううん、違う)


 彼。先生と呼んでいる青年と出会ってからは、生きる事は私の願いとなった。

 同時に、生きる事を感じさせてくれた先生に対して、“なにかしたい”と思いもした。


(できたかな……)


 自信は無いけど、少なくとも彼の命は救ったと思う。


(先生、なにしてるかな)


 それだけが、少し――気掛かり。


 カチッ


(あれ?)


 カチッ、カチッ――


(時計の、音?)


 まるで感触の無かった体が、突然重たくなった。


(なに?)


 違和感が無くなり、まるで自分の中の歯車が噛み合ったような……。


『君の力を――すまない』


 誰か私の近くで喋っている。

 聞き慣れた、とても優しい声。


(先生?)


『君も認めたというんだね――あぁ、わかってる』


(なんの話を……?)


 そう思ったら、だんだんと意識が無くなっていくのがわかった。

 いや、それはむしろ意識が元の場所へ帰っているというべきか。


『永久に――別れだ』


『君はずっと、その姿のまま彼女を――見守ってくれ』


『そろそろ彼女も覚醒する。あぁ。さようならだ。いつか会える、運命の日まで』


◇ ◇ ◇



 そして、少女が最初に感じたのは……先生の暖かな温もり。優しく、どこか寂しい匂い。

 少女の胸元で変わらぬ時を刻む存在が、あの時刻を告げた。


「良かった……」


 そう言いながら、彼女を優しく抱き締める青年。

 傍らには一丁の拳銃が転がっている――それだけだ。

 しかしそれに彼女は気がつく事はなかった。


「先生……あれ? 私、撃たれませんでしたっけ?」


 胸元に感じた感触、両足に熱した鉄が刺さったような痛み。それらのすべてが――消失していた。


「間一髪で当たってなかったよ。ただ強くぶつかったりしてるから、当分の間は安静だ」


「……」


 全部、気のせいだったのか。それとも疲労からくる幻覚か、夢か。それを確かめる術は、彼女にはない。


「あれ?」


 彼女はひとつ、気付いた。


「ここはどこです?」


 意識を失うまで外だったはずだが、いつの間にか屋内――洞窟のような、かなり開けた場所に居た。


「ここに、見せたい物があるんだよ」

「……?」


 洞窟が三角錐のような形をしており、天井と壁の間に穴が空き、そこから太陽の光が差し込んでいる。体感の気温は外よりも低く、空気は静かに流れている。


「この洞窟がなにか……」

「始まった」


 少女には、最初なんの事だか分からなかった。

 だが、それも一瞬だ。


「花……?」


 差し込んでいた光の地点。氷点下にある土の上で、本来なら咲くどころか育つことなく枯れるであろう花が、その花びらを誇らしげに咲かせていた。


「ガラスみたい…」

「硝氷花だよ」

「え?」

「この花の名前さ。氷点下の気温の中で育つ、世界でも珍しい花なんだ」

「こんな所に…」

「太陽の光に当たり続けても枯れてしまう。でも、当たらなければ育たないし……花も咲かない。そういった気難しい特性のせいで、なかなか現物は見つからないみたいだよ」

「先生は、ここで見つけたんですね」

「あぁ。去年の話だよ……今日はすまなかった」

「なんで、です?」

「僕の失敗のせいで、君は命の危険にさらされた――本当にすまない。僕は、」

「良いんです」

「……?」

「先生はちゃんと、私を助けてくれた。それだけで、良いんです」

「……」

「それでも先生の気が済まないんだったら……今日のご飯、先生のが食べたいです」

「あぁ」

「本当に綺麗な花です。こんな寒い所で、生きてる。とても素晴らしい事だと思います」

「僕もそう思うよ」



 しばらく花を眺めていたが、日が暮れる前に二人は下山した。少女は、青年の背中の温もりを感じながら――青年は、確かな生命を感じながら。

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