第7話 ピクニック



 そんなとある日のことであった。


「え、いいんですか?」

「あぁ。その時計、しばらくハナ君に預けようかと思う。最近、よく気にかけてるしね」


 その日から、少女は頻繁に時計を眺めるようになった。だから原動力のネジを巻くのも彼女の役目になってきている。

 しかしこれは世間の情報に疎い彼女でも分かるくらい、高価な品だ。それこそ貴族や富豪にしか持てないような……。

 ただ青年はそんな彼女の考えを見越したかのように、言葉を続けた。


「もしかしたら、その時計と波長みたいなのが合うのかな」

「無意識に接して居るのに、妙に気が合ったりする時によく表わす言葉だよ」

「……」


 不思議そうに時計を眺める少女――そして唐突に青年は、


「今日の授業は、外でやろうかな」

「はい?」


 ◇ ◇ ◇


 こうして、2人は外でピクニックをする事となった。

 もちろん、それがただのピクニックに終わるはずが無いことは、言うまでも無い。


「先生」

「なんだい、ハナ君」

 

 現在、彼らは屋敷のある山を登っている。

 この街自体は平地にあり、都市方面は広く緩やかな丘程度の平野が広がっている。対して、港町方面は小さな山と山の間を縫うように道があり、街の裏手には大きな山と森がある。

 この辺りはどちらかと言えば大陸の南部にあるので、雪もさほど積らない。それでも山を登るのは多少キツくなるのは当然だろう。


「この山で、どんな授業をするんですか?」

「そうだね……一言で言えば“自然観察”かな」

「?」

「時計で言えば“2”が指す頃には着きたい」

「はぁ」


 青年はいつも街を歩くようなフード付きのコートを着ている。少女も似たような格好だが、下には色々と防寒している――青年は、いつもと変わらない格好だ。


「寒く、ないんですか?」

「花売り君よりは体が丈夫なんだよ」

 

 また荷物も軽装だ。皮のリュックには火をおこすマッチに固形燃料、金属のカップが2つ、水の入った水筒、、簡単な弁当、地図――これだけだ。人があまり足を踏み入れないような山を登るのに、日帰りとはいえこれだけ……それが多少なりとも少女を不安にさせた。


「大丈夫だよ。そこまで険しい山でもないし、一本道だから迷う心配も少ない」


 いつもと変わらない言葉。あまり感情を含んでない、聞く人によれば突き放したようにも聞こえる。

 だが――。


(先生……もしかして、楽しんでる?)


 今までの授業や生活においても、青年はあまり自ら進んで行動を起こさない。強制も滅多にしないこの青年が、こうやって準備までして行動するのは初めてではないか…。

 真実はどうあれ少女は、


「一緒に楽しもうかな」

 

 心を軽くし、彼女もこの状況を楽しむ事にした。

 

 道中は目立った変化はなかった。あったとすれば、それは青年とハナの心境だろうか。

 そう、2人は心から今日この日という出来事を楽しもうとしている。



 ――が、事故や事件という出来事は、あらゆる死角をついて迫って来る。彼女にも、それが近付いていった…。



 先に“それ”に気付いたのは青年だった。

 朝早くに出た甲斐があり、すでに山の中腹辺りに差し掛かった所――しかし、突然生まれた気配に、青年は足を止めた。


「ッいた」


 ちょうど真後ろを着いて歩いていたハナは、いきなりの停止に間に合わず、青年の背中に鼻をぶつける。

 

「どうし――」

「静かに」


 周りに雪が積った森があり、申し訳程度に道がある。その道を歩いてきた訳だが、


「数は……3つか」

 

 少女が「何がです」と聞き返そうとした――その瞬間、


「伏せろ!!」

「ッ!?」


 青年はハナの頭を無理矢理下げさせた。

 ハナは頭の上を“何か大きな物体”が通り過ぎたのを感じる。

 そして、その正体はすぐ判明した。

 

「るぅぅッッ」

「あ、犬!?」

 

 背中は黒く、腹は茶色い少し大きな体。目付きはするどく、こちらに敵意があるのは誰の目にも明らかだ。

 最初の攻撃を躱した獲物に対し、油断なく距離をとっている。


「なんで、こんな所に野生の……あッ」

「るぅぅぅッ」

 

 さらに、もう1匹。唸り声をあげながら、木々に隠れつつ姿を見せた。


(挟まれた……)


 突然襲ってきた犬は、道を塞ぐように……しかし、すぐに飛び掛かれる間合いを維持しながらこちらを見ている。

 彼女は、思わず青年のコートを握った。

 

「先生……」

「ハナ君。こいつらは野生じゃないよ」

「え?」

「元々、犬は統率のとれた獣だけど……どうにも人間臭さがある」

「それって、どういう…」

 

 それに答えるように、犬の後ろに人影が現れた。


 人影はもちろん人で、ガタいのいい男だ。まるで品物を見定めるかのような目つきで、その口を開いた。


「2人か…」


 見た目は30代半ば。浅黒い肌、短く刈り込んだ髪、頬などに傷跡が目立つ。そして服装は、薄汚れているツナギのような服。二の腕にあたる場所には、王冠が椅子に座っているかのようなエンブレムがついている。

 つまりこの人物は、


(軍の兵士か。しかも……隣国の)


 現在、この国は世界的な戦争を行う多数の国のひとつ。自国でも燐国との国境では、かなり大規模な戦いが行われている。

 今だに国の内部までは戦火が届いてないのは不幸中の幸い――だったのだが、


(明らかに入り込んでいる。それとも逃亡者か?)


 戦争を行うのが人である限り、そこには様々な感情と思惑、事情などが交錯する。

 戦場が怖くなった者、指揮官が殺され戦場で散り散りになった部隊、敵領地で致命傷を負った者など……しかし、青年は、すぐにその可能性を消した。


(もしそうでも、“軍用犬”を連れて待ち伏せる意味が無い)

 

 軍用犬とはその名の通り戦場で兵士と共に戦う、一種の“兵器”だ。特別な訓練により獣本来の凶暴さと攻撃性を持ちつつ、人の命令には絶対服従の理性。それらの統率には犬笛という特別な道具を使う。まさに戦いが生み出した成果――とでも言うべきか。


 目の前に現れたこの男は“何も持ってない”事から、どこか近くに犬笛を持った仲間が居る。

 

「お前らに質問をする。イエスか、ノーで答えろ」

「……」

「お前らは、そこの街の人間だな?」

「イエス」

「我らの事は知っていたか?」

「ノー」

「お前らは軍の関係者だろ」

「ノー」

「わざわざ冬の、しかも雪が積る山に登るのが趣味とでも? 怪しい、怪しすぎるな」

 

 男はニヤニヤ笑いながらも――その顔を見た少女は握る手をさらに強める――眼が少しも笑ってない。

 そう、例えまだ年端のいかない少女であろうと、彼らは容赦しない。

 純真な身体を男達が貪り弄び、心を徹底的に砕かれ――やはり最後は殺されるか、少女が自害してしまうかで終わりを告げる。


「では、詳しい事は我らの拠点で聞くか……」


 男は逃げ場が無い獲物を捕らえるべく、腰に携帯してあった縄を取り出した。

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