第4話 先生

 少女が目覚めて最初に見たモノは、木目のある天井だった。


「……ぁ」


 いつも着ていた服は破かれてしまった──代わりに、今は簡素で清潔な白い服を着せられているようだ。しかし、その布は決して安いモノではない。


「ここは、どこ?」


 ふと横を見れば、窓があった。

 そこからはあの街が見える。それも全体を一望できることから、どうやらこの建物は、街近くの高台にあるようだ。


「誰かのお屋敷?」


 部屋の調度品といい、純白のベットといい――橋の下でホームレスをやっていた少女には、見たことも無いようなモノばかり。


「起きたかい?」


 部屋を眺めていたら、いつの間に居たのか…部屋の住みの椅子に腰掛けている青年が居た。


「いやすまない。僕もちょっと寝ていたよ。無許可で力を使うといつもこうだ」

「ぇ?」

「気にしないでくれ。ただの独り言だ」

「はぁ」

「ここの屋敷は僕が使ってる。君以外に人は居ないから、自由に使ってくれて構わない」

「あの……」

「なんだい?」


 優しい眼。少女が感じた青年の印象だ。だが同時に――、


(冷たくて……)


「淋しいんですか?」

「――ん?」


 初対面の人間にいきなりこんな事を言えば、誰もが怪訝そうな顔をするか、怒るかだ。

 この青年は――。


「君は、そう見えるのか」


 青年はなんの感情の動きもななく淡々と――いや、しいて言うならばそれは『興味』か。


「あの…」

「なんだい?」

「お世話になりました。だけど――」

「君のそれは、警戒か?」

「え?」

「それともただの遠慮か、疑念か…」

「いえ……私はあの街で住んでる人の中の1人です」

「そうのようだね」

「貴方は……貴族か、富豪か。どちらにしろ、私がここに居る事が知れば――」

「悪い噂が広まると?」

「あ、はい……。それに、私はこの街でしか生きる術を知りません。少しでも、その……」

「この環境に慣れてしまったら、もう戻れない。そう言うんだね?」

「はい。助けてもらったのに、こんな事言う資格は無いんですけど…」


「ならその資格と権利は僕が預かろう」


「……え?」

「君の事情はよくわかった。だがしかし、僕が君の提案を受け入れる理由にはならない。もしもそれに権利だ、資格だと言うのなら……僕が預かる」

「……」

「どうかな?」

「それだと、私も貴方の提案を聞く理由にはなりませんよ?」

「……君は頭がいいね。その通りだ――と言いたいが。君と僕とでは平等では無い。だが、知らないかもしれないが、この国の法律だと、保護者の居ない子供はすべて国営孤児院に強制収容される。この街でしか生きれない言い分があるなら、今から僕が保護者になる」

「……ちょっとだけ、考えさせてください」

「そうだね」

「なんで、私にそこまでしてくれるんですか?」


 一瞬だけ、青年の眼に深い悲しみが宿る。だが、すぐにいつもの顔に戻った。


「助けたかっただけさ。それよりご飯はいるかい?」

「いえ、私はいりま――」


 きゅるるる――。


「あっ」

「君のお腹は正直者だな」

「あぅ……」


 少女は、人生で初めて――穴があったら入りたいと思った。


「いつまでも君では不都合だな……。君はあの街でどんな事をしてた?」


 療養中なので、食事はこの部屋でとる事になった。

 テーブルの上には、少し味気の薄いスープに固めのパン。チーズと野菜のサラダに紅茶がある。

 どれも戦争中でなければ有り難みも無いような物かもしれない。だが少なくとも、この街の多くの人々はこんな食事でさえ満足に出来ないのである。


「いつまでも“君”では不都合だな……。君はあの街で、どんなことをしていた?」

「薬草や、お花を売ってました……」

「そうか……じゃあ、今から君の事はハナ君と呼ぶことにするよ」

「別にいいですけど……私にも名前くらいありますよ。苗字は無いですけど……」

「苗字?」

「この国では、お金を払って初めて苗字を貰えるんです……。苗字が無いと、街でも住んでる事にはならなくて」

「詳しいね」

「母から聞いただけです」

「だが、名前に固執する事は無い」

「……?」

「名前は、個を特定する為の手段だ。個と個の間で意味が通じれば、1つの名前に固執する必要もない」

「……そういう考えって、ちょっと淋しいです」

「――そうか」


 しばらく、食器がたてる音だけが部屋に響き渡る。


「じゃあ、私はなんて呼べばいいです?」

「僕の名か……」

「ここで、どんな仕事をされてるんです?」

「端的に言えば、言葉と知識を伝える仕事かな」

「それって、先生ですか?」


 ある程度の大きさの街には大抵学校がある。国の援助や私塾などの違いはあるが、お金さえ払えば知識を学べるという所は一緒である。

 もっとも、この街では貴族の子が通う様な学校しか無い。


「私、1度でいいから通って見たかったんです。母も、幼い頃は通ってみたかったと言ってました」

「学校、か」


 何やら意味ありげに頷くが、特に感想は無いみたいだ。


「あ、そっか。先生は貴族の人の学校に勤めてるんですか?」


 それならこんな屋敷に住んでいるのも頷ける話――なのだが、


「いや、そういった仕事はしてないよ」


 首を横に振りながらも、顔の表情は変わらずだ。


「それならばハナ君」

「なんですか?」

「ここが学校の代わりというのはどうだろうか」

「学校……ですか」

「授業料はこの屋敷の家事手伝い。ハナ君が家から通いたいというなら、そうでもいい」

「でも……」

「なに、僕もまた…暇なんだよ」


「じゃあ、その……それだけお言葉に甘えます」

「あぁ、そう言ってくれると助かる」

「?」

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