第2話 少女の母親
母親の故郷は、今の少女のいる国から遠い遠い、海を越えた先にある。
その国の、数ある村の1つが少女の母親の故郷である。
「それじゃ、行ってきます」
村に名前は無い。
農業と畜産によって稼ぎを得る、という事だけが特色。他にこれといってなにかある訳でもないが……少なくとも村人の誰もがそれを嘆いている訳ではない。
「あら、今日はどうしたの?」
「あ、今から森の花畑まで行ってくるんです」
「アンタも好きね~。お花もいいけど、ちゃんとイイ男見つけないと……」
「でも、私そういうのは――」
「もう数年したら
昨今の戦争によって大人の男。特に若者はほとんど村に居ない。残っているのは老人か女子供だけ。
しばらく戦争が続けば、また徴兵があるかもしれない。次に連れて行かれるのは子供。そうなれば働き手がかなり減り、また戦争によって税金もあがる。この悪循環にはどの村も頭を抱えているという。
「戦争、終らないかな」
「どうかね~。結局は御上の決めることだからね。それでも早く終わるのに越した事はないんだけどね!」
豪快に笑いながらも、どこか顔には“疲れ”が見えた。
その顔を思い浮かべながら、彼女は空を仰いだ。
「オバさん……旦那さんが戦争行ってるんだよね」
空の色は平和そのもの。それなのに、大地では今日も血が流れ、屍が山となっている。
「あ! すぐに用事済まさないと」
暗くなりかけた顔を軽く叩き、自分に活をいれる。
「お花、綺麗なのが咲いてるかな」
太陽が最も高くのぼる頃、彼女は村へと帰ってきた。
「いっぱい咲いてたな。これ飾ったら綺麗かな?」
両手には摘んで来た花で溢れていた。
名も無き花……けど、力強く咲き誇る姿は見る者に力を与えてくれる。だから、彼女は花が好きなのだ。
「あれ? なんだろ」
村の集会場に使われている広場に、人だかりが出来ていた。
人だかりと言っても百にも満たない数だが、これですべてなのだ。
「あ、オバさん。何があったんです?」
見覚えのある顔を見つけたので声をかけてみる。
「さぁ……なんでも、領主様が直々に視察に来るらしいけど……」
「へぇ……」
この国では広大な国土を管理するのを、すべて貴族に任せてある。
これは領土と呼ばれ、他の国にも見られる制度だ。貴族は土地を任せられるという事が 自らのステータスになり、価値がある土地を任せられるとそれだけでかなりの地位にいるという事になる。
この国では領主となった貴族は、領土の中では王のように振る舞うことができる。税金から司法、区画整理から土地改革――そのすべてが貴族が定める。 貴族の器量で、裕福にも貧困にもなる。
だが最も危険な急所が、この制度には存在する。
領主の子飼いの兵士が書状を掲げながら叫ぶ。
「まもなく領主様がやってこられる。しばしその場で待て!」
もちろん村人達は動揺したが――皆、納得したような顔した。
「税金の事だろうねぇ」
「え?」
「先月はちょっとだけ足りなかったらしいから、それの催促か……もしかしたらまた税金があがるのかもね」
「そんな! これ以上あがったら、みんな飢えちゃうよ…」
「こんなご時世じゃしかたがないさ。けど、領主様ってあんまりいい噂聞かないし――」
「噂?」
「なんでも、いろんな村から税金をギリギリまで搾り取って、その金を国に献上してるって」
「なんで……」
「そりゃ、国に認めて貰えたら領土が増えるし地位もあがる。そうなれば贅沢な暮らしができるって訳さ……わたしもあやかりたいよ」
「……酷い。みんなが大変な目にあって稼いだお金で……」
「あくまでも噂だよ。ほら、女の子は笑ってないと!」
「は、はい」
不服そうな顔で頷いた為か、オバさんも苦笑いで返した。 しばらくして、村や畑のある風景から切り取ったように浮いている馬車がやってきた。
「それでは、今から領主様からのお言葉を伝える。心して聞くがいい」
馬車の傍らに立っている兵士が村人全員に向かって叫んだ。
領主は馬車から降りて来る気配さえない。
「あれ? 領主様が直接喋るんじゃないんだ……なんでだろ」
それならわざわざ兵士をお供にして来なくても、最初に来た兵士が言えば良いはず。
彼女と似たような事を考えたのか、周りの村人も何人か動揺している。
「この度、長らく続く戦争の影響により領土を管理、維持する為の力が不足し、このままでは戦争がこの国で起きた時に対応が難しくなる。また本国も似たような状況からの税が増え、今のままでは自滅さえしてしまう危険がある。ついては税金と人員の追加を決定した」
さきほどより動揺はあまり無かった。みんな覚悟していた事ではある。
しかし、この後の発言は、皆の予想に反し、動揺が広がった。
「なお、この村では税金の追加のみ行うが……領主様の提示する条件を満たせば税金の追加は無い!」
本来ならば願ってもないことだ。戦争のおかげで労働力が激減している村にとって、税金は最も頭の痛い問題。
「まず、これから起る事は――」
そう言いながら兵士は、手近に居た老人の肩を掴み、無理矢理に地に伏せた。
「ふぁ!?」
突然の兵士の行動に誰もが唖然とし、なにも出来なかった。
「他言無用だ。もしも喋ればどうなるか……試してみるか?」
鞘から抜いたナイフを首筋にあてる。後はちょっと力を加えるだけで、血が噴き出すだろう。
「や、やめ……」
「この中で若い女をここに並べろ。1人残らず、全員だ」
殺気の籠った声で静かに命令する。
なかなか自主的に動かなかった者は、待機していた兵士数人が無理に広場の方へと引きずり出す。
「痛いッ!」
「
こうして十数人の若い女性が広場に並ばされた。
「よし」
拘束していた老人を解放した兵士は、馬車の扉をノックした。
「領主様、準備は整いました」
「うむ……」
馬車から降りてきたのは、恰幅のいい小柄な男。お世辞にも美形とはいえない顔をしている。動物に例えるなら、牛とイノシシを足したような感じだ。さらに服は、馬車同様派手。身に付けている宝石の値段は、この村が数年は何もしなくていいくらいだ。
領主は、並べられた女達を見渡し──1人の娘。つまり、彼女を指差した。
「はっ」
兵士達は有無を言わせず勢いで少女を取り押さえる。
「や……」
そのまま領主の乗る馬車の中へ押し込んだ。
「いた。なにがどうなって――ッ!?」
普通、馬車には人が乗る為の座席がある。しかし彼女の目の前には、白いシーツに覆われたベッドがあった。
「な、なんなんですか!」
「嫌なら泣き叫べばいい。儂はそれでも構わんが……」
「何を言って…」
少しずつ迫って来る領主。後ろへとさがる
「お前が泣くと、村人の首がひとつ飛ぶ。お前が抵抗すれば、お前の首が無くなる。騒がず、ただ儂の言う通りにすれば……そうだな。金一封でもやるか」
迷いの無い、本気の目。それも濁り腐った欲の色をしている。
「儂はお前さんのような」
少女のあごを持ち上げ、頬を。唇を。首筋を。少し膨らんだ胸を撫でまわす。
「ひぃ」
嫌悪感から少女は悲鳴をあげた。
それを見て、領主はさらに触れる。その度に反応する彼女を見て、楽しんでいるのだ。
「くくく……生娘が好きなんだよ」
「あ、あぁ――きゃあ!?」
領主はやけに手慣れた手付きで彼女を組み伏せ、手錠をかけた。
「この方がそそるのでな……さて、そろそろ楽しませてもらおうか」
「嫌…」
「さぁ――」
この世で最も歪んだ笑顔を見た瞬間――少女は叫んでいた。
「いやぁぁぁぁぁぁッ!!」
◇ ◇ ◇
数時間後、村人に対して領主は満足げな顔でこう言い残した。
「約束通り、この村の税金は今のままにする。ただ、滞ったりすれば――儂が直々に制裁を加える。ゆめゆめ忘れぬようにな」
誰もが怒りと戸惑いを感じながらも、誰もがなにもできずにいた。
その日、村から4人の女性と、1人の男が消えた。
1人は事が終わった後に自ら命を絶ち、2人は領主に連れていかれ、男は領主に異義を唱えた為に死んだ。
そして――腹に新たな命を宿した少女が1人。村から忽然と姿を消した。
彼女はそれから産まれるまで町工場や掃除婦、住み込みで働きながらお金を稼いだ。
子供が産まれてからもしばらくは色んな町や街、国を転々とした。安らいで暮らせる場所を探して――。
そして、つい八か月ほど前にこの街へとやってきた。
ここで彼女は念願だった花屋がしたいと、今のような路上で売るという形で始まった。
暮らしは決して楽では無かった。裕福を夢見るしかない環境。
でも、そこには幸せがある。たった1人の子供との――小さな幸せ。
幸せが終わったのは半年前。
彼女が、少女の母親が死んだ日だ。
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