23 契約(完)
大学が早めの夏休暇に入ってすぐ、ディランに誘われて出かけていた。
どこに行くのかは教えてくれなかった。少し遠出をすると言われただけだ。
馬車に乗り向かったのは男爵領の近くの村だ。その場所には見覚えがあった。「着いたよ」と言われて馬車を降りたロレッタは、目の前にある小さな屋敷を見て驚き、言葉をなくす。
そこは、祖母が以前住んでいた、懐かしい屋敷だったからだ。
枯れ草が門や塀を覆っていて、屋敷の壁もすっかり蔦が覆っていた。
割れている窓が見える。廃屋になって久しいのだから、荒れているのも仕方ない。
「どうして……ここに?」
門の外に立っていたロレッタは、そばにやってきたディランに尋ねる。
エルトンは御者台から降りて、馬の手綱を木に繋いでいた。
「君に贈り物をしようと考えていたんだ。婚約指輪は……あまり気に入ってもらえなかったようだからね。かわりに、君が喜んで受け取ってくれそうなものといえば、これくらいしか思いつかなかった」
ディランはロレッタを見て、ニコッと微笑む。
まるで褒められるのを待っている犬のように無邪気な笑顔だ。
「まさか、このお婆さまの屋敷を……買ったのですか!?」
この屋敷も敷地も、祖母が亡くなってからすぐ父が人に売ってしまっていた。
「権利者を探すのに少々苦労したけど、エルトンが見つけてきてくれた。ただ……人が住んでいなかったみたいだから、手入れが必要だな」
ディランはロレッタの手を取ると、その手に鍵を渡す。門と屋敷の鍵だ。
それも錆びていた。ロレッタは「は、入ってみてもかまいませんか?」と、ディランの顔を見る。ディランは「もちろん」と、答えてくれた。
門を開き、枯れ草と枯れ葉に覆われているポーチに向かう。
ああ、全部、記憶にある通りだ――。
この屋敷にやってくるのは、祖母の葬儀の時以来だ。
蔦と蜘蛛の巣を払い、玄関の扉に鍵を差し込む。かなり強く回さなければ開かなかった。ゆっくりと開くと、ホールがあり、階段がある。
『ロレッタ、いらっしゃい!』
居間から出てくる祖母の姿と笑顔がふいに浮かんできて、目頭が熱くなる。
(ダメ、泣きそう……)
ロレッタは両手で目を押さえた。
この屋敷が大好きだった。荒れてはいるけれど、祖母の匂いがまだ残っている。
「婚約指輪の代わりに、受け取ってくれるかい?」
ディランが隣に並んできく。
「ズルいです……ディランは……」
そんなことを言われて、いいえなんて言えるはずがない。
もし、断って他の人の手に渡れば、これほど荒れている屋敷を丁寧に改修して使おうなんて思わないだろう。
取り壊され、見る影もなくなってしまう――。
「私は……悪魔だからね」
彼はイタズラっぽくそう言って、人差し指を唇に当ててウィンクしていた。
そう、これは契約――。
一度結べば、死ぬ時まで縛られることになるのだろう。
美しくて、ズルくて、謎めいた彼に。
こぼれた涙を袖で拭うと、ロレッタはディランと向き合う。
「いいわ……そのかわり、約束してください」
「いいよ。言ってごらん。なにがほしい? 君の望むものはすべて用意しよう」
そう言われて、ロレッタは首を振る。
何かがほしいわけではない。
指輪も豪華なドレスも、贅を尽くした屋敷もいらない。
「人を傷つけたりしないこと。それだけ約束してくださるなら……私はあなたの婚約者になります」
「それは、随分と難しい要求だな。だけど、君がそう言うのなら、〝人〟には危害を加えないよう、精一杯努力してみよう」
「あと……後悔しても知りませんよ。私はあまり面白くない娘と評判なんですから」
頬を赤くして小さな声で言うと、彼は笑ってロレッタの手を取る。
「君こそ、私から逃げないで――」
魔女の令嬢は悪魔の花嫁となる 春森千依 @harumori_chie
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