22 事件の顛末

 大学の掲示板に、『文化史概論Ⅱの担当講師、変更のお知らせ』という張り紙が出たのは、ロングハート家のダンスパーティーから三日が過ぎてからだ。

 あの日のダンスパーティーは怪事件としてゴシップ記事にも掲載され、社交界でも密かに話題になっていた。けれど、おおっぴらに噂をする人は少ない。


 ロングハート伯爵や伯爵夫人の怒りを買いたくないと誰もが思っているからだろう。エミリーや他の二人も、翌日には目を覚ましたようだ。そのうち、噂も消え、いずれ誰もが忘れるだろう。

 大学で倒れていたグレネル先生は、病院で治療を受けている。幸いにして一命を取り留めたようだけれど、片腕は戻らない。


 先生は警察の取り調べも受けたようだけど、あの日のことは何も覚えていないようだった。突然、何かに襲われたと証言している。しばらくは講義を行うこともできないため、大学も休むのだろう。こちらの事件はかなり大々的に新聞に載っていて、今日もほとんどの授業が休講になっている。

 警察官も多く出入りしていて、大学の警備も強化されたようだった。

 世間的には、ロングハート家のダンスパーティーの怪事件と、大学で起きたグレネル先生の事件を結びつけて考える人はいない。もし、いたとこしても、誰も証明できないだろう。


「ロレッタ」

 クララに呼ばれて振り返る。

「クララ……この前のパーティーはごめんなさい。心配かけてしまって」

 あの日、クララはロレッタが先に帰ったと使用人から聞き、大慌てで私の後を追いかけたようだ。けれど男爵家には戻っていないし、あのディランの隠れ家を彼女は知らない。捜すこともできず、困っていただろう。


「いいのよ。それより、きいたわ。アスター卿が、わざわざあなたを迎えに来ていたのですって? あの方、ダンスパーティーはお断りになっていたのに。もうすっかり、あなたに夢中になっているってみんな噂しているわよ」

 廊下を一緒に歩きながら、クララが冷やかすように肩を寄せてくる。

 私は「えっ!」と、驚いて彼女を見た。

「本当のところは、どれくらい親展しているの? 結婚式の話も具体的にしているの?」

「まさか! 違うのよ……えっと、アスター卿は……心配症なのよ」

 他に言い訳が思いつかずに、ロレッタは苦笑する。

 目を丸くしてから、クララはおかしそうに笑い出した。


「あらまあ、それは知らなかったわ! 意外と束縛するタイプなのかしら。ちょっと面倒かもしれないわね……」

「いえ、いい人ではあるのよ……それより、エミリーたちは大丈夫なのかしら」

 階段を降りながら、話をごまかすようにきく。

「ああ、ええ。よくわからないことを言っているみたいだけど、元気なようよ」

「よくわからないこと?」

「それが……悪魔を見た、とかなんとか。呆れてしまうわね。きっと、小火騒ぎも彼女たちの仕業よ。隠れて葉巻でも吸っていたのがバレそうになったんじゃないかしら?」

 真相を知らないクララは、呆れたように肩を竦めている。

 ロレッタは「そうなのね」と、微笑むだけに留めた。


「それより、大学の講義もしばらく休みみたいだし、どこかに出かける?」

「そうしたいのだけど……あのそれが……用事があって」

「ああ……それは気が利かなくて悪かったわ。アスター卿がお迎えに来ているのね。大学が休校になるみたいだし、しばらく私も実家に戻ろうかしら……あなたが寮にいないとつまらなくて」

 警察の捜査が終わるまで安心して講義ができないため、早めの夏休暇に入ることになったようだ。寮にいる生徒たちも、帰省の準備をしている。


「あなたは、男爵家じゃなくて……やはり、アスター卿のお屋敷に?」

「もちろん、家に戻るつもりよ。あまり長くご厄介になるわけにはいかないもの」

 慌てて手を振って答える。クララは「なんだ。このまま同棲するのだと思っていたわ」と、イタズラっぽくウィンクしていた。

(そんなわけにはいかないもの……)


 顎に指を添えて、ロレッタは首を竦める。

 腕の悪魔の刻印は、いつの間にか消えていた。ディランが悪魔を退治したから呪いが溶けたのか、それとも悪魔と契約していたグレネル先生があんな風に大怪我を負ったからなのかは、ロレッタにはわからない。


 グレネル先生は、どうやら――悪魔を召喚し、依頼主の願いを叶えるということを、大学の講師という仕事の傍ら密かに行っていたようだ。それも、先生の研究資料や呪物収集の費用を集めるための資金が必要だったからだ。

 それを知ったエミリーたちが、先生に依頼を行った。


 先生はあの三人がどんなことを願っていたのかは、知らなかったようだ。おそらく、依頼主に紙に書いてもらった願いを、何かの儀式によって悪魔に伝えるという、仲介役のようなことをしていたのだろう。 


 グレネル先生は、自分が本当に悪魔を召喚しているとはまったく考えていなかった。ただ、本に書かれていた通りの儀式を、手順どおりに行っていただけ。研究の一環のつもりだったのだろう。

 先生は悪魔を見ることなんてできない。だから、先生はエミリーのお屋敷で起こった怪事件が、自分の儀式のせいだとは今も知らない。


 ディランは『下級の悪魔が、気まぐれに召喚に応じたのだろう』と、話していた。悪魔は人がこの世界への扉を開いてくれなければ、現れてはこれないものだからと。先生の儀式がその扉を開くきっかけになったのだ。

 先生に罪がないとは言えないけれど、その代償は十分に支払った。先生も、あんなことがあったのだから、もう二度と無謀な儀式を試みようとは思わないだろう。

 

 呪いも解けたため、悪魔ももう二度と現れないはずだ。

 これ以上ディランの屋敷に留まる理由がない。早く、荷物をまとめて男爵家に戻るべきだけれど――。

 ディランは困ったことに、ロレッタがずっと屋敷に留まるつもりで、部屋の模様替えまでしようとしている。その職人が、壁紙のカタログを持って屋敷にやってくるため、今日は早く戻ってほしいと頼まれていた。

 戻らなければ、迎えに来るつもりだろう。

 そうなれば、まだ目立って騒ぎになる――。

 

 もう、騒動はごめんだわと、ロレッタは密かにため息を吐いた。

 事件は解決したけれど、婚約という問題の方はまだしばらく、解決できそうになかった。

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