歳を重ねるごとに得るもの、失うもの

自転車で転んだ。

何十年も乗っていなかったのだが、薬と不安のための過食とで驚くほど太り、ダイエットの為に自転車を購入したのだった。ママチャリでもよかったのだが、つい可愛らしさに負けてミニベロにしたのが失敗だった。車輪が小さくて乗りづらい。しかも久しぶりも久しぶりに乗ったものだから、感覚が戻らずふらふらしてしまう。

踏切で止まり、バーが上がりよいしょと漕ぎ出したところ、何故か道の端を通り、そのまま線路に突っ込み大きく横転した。何が起こったのか一瞬分からず、呆然としていたら、男性が起こしてくれ、そこでサンダルまで脱げていたことに気づき、急いで履き、とりあえず線路内から出た。買ったばかりの自転車はサドルが曲がり、これまた途方に暮れていると、助けてくださった方が直してくださった。なんて優しい方なんだ、と思いながらも、何も持たずに運転していたものだから、ひたすらお礼を言うことしかできず、恥ずかしさで顔を見ることも出来なかった。

若い頃は、何かと尖っていたというか、喧嘩腰なところがあり(それは病気のせいもあるだろうが)、人の優しさに素直になれなかったのだが、歳をとると感謝の気持ちを大切にするようになった。これが丸くなるということなのだろうか、昔は着火剤のようにすぐに熱くなっていたのだが、今は怒ることも少なくなり、ゆったりと過ごすことが出来るようになった。それはある意味では彼と出会ったからでもあるが、それだけではない、言い方を変えると怒るだけの情熱がなくなったのかもしれない。過去は様々なことで心が大きく動き、感情の起伏も激しく、泣き叫ぶことも頻繁にあった。けれども今は、泣くこともあるがそれはさめざめとしたものであり、ゆっくりと底の方から立ち直るための涙に変わってきた。

自転車に再び乗り、血まみれだったが目的地に到着して、人通りが少なくて良かったと思いつつ、あの男性がいなければと思うと本当に感謝するしかなかった。そう、昔はあまりなかった感謝する気持ちというものが、最近になって多く感じられるようになった。両親とも、会うことは苦痛を感じないこともないのだが、折に触れて何かと食料を送ってくれたり、電話で近況報告をする時には、優しい気持ちになれるようになった。

若い頃のようなほとばしる感情は今はない。それがあったからこそ今まで生きてこれたのは事実で、憎しみや悲しみのような負の感情が私を突き動かしていた。今は、温かみのある柔らかい何かが私の中に小さく、だが確かなものとしてある。

気力だとか、体力だとか、そういうものはこの歳になって失われてしまっているのは避けて通れないだろう。引きこもりである私なら尚更だ。けれど、過去にはなかった良いものが私のことを守ってくれているのがわかる。老いはつらいものだけではない。老いが導く柔い光るものも、ある。

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私が語る時にそばにあるもの たぬぴよ @tanupiyo

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