第十八話 聖女たちと魔女
一体何を言い出すのかこの女は? と私は深刻に呆れたのだけど、クベンティーヌはどうやら本気だった。
「聖王国と帝国はこれまで不幸な歴史を辿ってきました」
何でも聖王国は元々は帝国に現れた一人の「魔女」が迫害を逃れ新天地で新たな国家を築いた事から始まっているのだという。それは知らなかった。それなら仲が悪いのも納得だわね。
そんな関係から始まっているものだから何度も戦争が起きて大勢の人が死んだという歴史がある。確かに不幸な歴史だと言える。
「その不幸を終わらせるためには、帝国と王国の婚姻政策が必要です」
そこで、帝国皇太子と聖王国の魔女が結婚しましょうというのだ。
いやいやいやいや。言ってる事はもっともらしいけど、色々おかしい。
何よりまず、事前に聖王国から帝国に対してそういう、政略結婚についての打診が何一つなかった。普通はあるものよね。それが結婚希望の当人がいきなり押し掛けてきて「結婚しましょう!」なんて、そんな図々しい政略結婚は聞いた事がない。
それにアーロルド様の婚約者はもう私に決まっている。その事はクベンティーヌだって知っているわけだ。それをあえて無視して「私と結婚しましょう」なんて無茶苦茶である。皇太子殿下も私も激怒して良い案件だ。帝国と聖王国の外交問題に発展してもおかしくない。
アーロルド様は困惑してお顔から社交笑顔が消えてしまっている。
「それは……、その、両国にとっては良いお話だとは思いますけど、私はもうほとんどリレーナと婚約していますし……」
「そんな事は関係ありませんわ。聖女とはいえ帝国の田舎娘と、聖王国の貴族の娘であり太陽神アルオニエス様の魔女とでは比較になりませんでしょう」
意外によく調べてるわねこの娘。私の出自を知ってるんだから。ということはかなり帝国の社交界の事情にも詳しい筈だ。
それなのにわざわざ他ならぬこの私の前で、アーロルド様に結婚話を持ち掛ける。自分の魅力に余程の自信があるのか、単なるバカなのか。……いえ、多分。
完全に嫌がらせねこれ。
クベンティーヌとてこんな無茶苦茶な話が通るとはまさか思っていないだろう。さりとて帝国としては軽視出来ぬ隣国である聖王国からの正式な提案なのだとしたら疎かに扱う事は出来ない。
断る一択だとしてもどう穏便に断るかで皇帝陛下も皇太子殿下も頭を悩ませることになるだろう。それが狙いなんじゃないかしら。それにしても乱暴な話だと思うけど。
とにかくふざけた話である。私は沸々と腹を立てた。私はアーロルド様に向けて言った。
「アーロルド様このような戯れ事に構ってはなりません」
「戯言とはなんですか! せっかく私が王国と帝国の未来にとって素晴らしい提案をしているのですよ! 関係のない者は黙っていなさい!」
即座にクベンティーヌが口を挟む。しかし私は彼女の方を見ずにあえてアーロルド様の方だけを見て言った。
「聖王国の『魔女』などと申しましても、所詮は異端の国の田舎者。皇太子妃には格が足りません。それなのに自ら妃になりたいなど、無礼にも程があります。正式に聖王国の聖王に抗議すべきです」
クベンティーヌはそれはもう怒り狂った。
「こ、この私に対する暴言! 許せません! 罰してやりますからそこに直りなさい!」
ここで私は初めてクベンティーヌを睨み付ける。
「罰するですって? 何を勘違いしているのか知らないけどね! この帝国で私を罰することが出来るのは皇帝陛下と皇太子殿下だけよ!」
私とクベンティーヌは同時に立ち上がり、睨み合う。
「たかが土の女神の聖女がこの私に楯突こうっていうの? 私は初代聖王様以来の太陽神アルオニエス様の魔女なのよ? 大女神フォルモガーナ様の息子たるアルオニエス様の!」
クベンティーヌは誇ったが、私も堂々言い返す。
「私の加護神は大地神アスタナージャ様よ! フォルモガーナ神の長女であるね!」
クベンティーヌが「え?」と呟き目を丸くする。どうも集めた情報が古かったようだ。
「アスタナージャ神の……?」
「そうよ! 貴女の加護神であるアルオニエス神の姉にあたるね! アスタナージャ神の方が上位なんじゃない?」
まぁ、神話の話だけどね。クベンティーヌは真っ赤になって反論した。
「それは弟神ですけど、ファルモガーナ神に四つの世界を均等に分けられたのですから同位の神です!」
「同位の神であればここはアスタナージャ神のお創りになった世界で、帝国の守護神はアスタナージャ神よ! ここでは大地神の聖女である私の方が上位でしょ!」
本当は帝国の守護神はファルモガーナ神なんだけどね。そんな事は馬鹿正直に言う事はない。
クベンティーヌはぐぬぬぬっと沈黙した。ふん、口喧嘩でこの私に勝てると思うなよ! 私は更に追撃を掛ける。
「そもそも、そのような国家間の婚姻については、まずはそういう打診の使節が来て話をするべきではありませんか。いきなり当人が当人に申し入れを行うなど非常識です。何かを企んでいるとしか思えません」
と私は正論をぶつける。クベンティーヌはフンっと鼻で笑った。
「そんな事をしたら、私が相手を気にいるとは限らないではありませんか。私は気に入らない相手と結婚などしたくありません」
その言い方に、私はちょっと引っ掛かりを覚えた。ちょっと真剣さというか実感が籠っていたからだ。
「……貴女、もしかして、聖王国で意に沿わぬ縁談が進んでいるんじゃないの?」
クベンティーヌの顔が引き攣った。
「例えば、肥え太った十歳くらい年上の聖職者と結婚しなきゃならないとか。その縁談を反故にするには帝国でどうにか皇族と結婚しなきゃならないとか」
「ど、どうして分かるのよ! 調べたの?」
語る落ちるという奴だ。まぁ、それほど珍しい話ではないからね。
私だって私の意思など関係なく、皇太子殿下に嫁入りしろと帝都まで連れて来られたのだ。幸いアーロルド様は素敵な人だったけど、それはそれ、これはこれだ。
「それは大変気の毒だとは思うけど、アーロルド様は譲ってあげません。他を当たりなさい」
「あんたなんかに聞いてないわよ! ね、アーロルド様! こんな無礼な女とは別れて、私と一緒になりましょうよ!」
しかしアーロルド様は首を横にブンブンと振った。
「私の妃はリレーナだ。もう決めたのだ」
さすがはアーロルド様である。この件に間しては母親の意見をも突っぱね続けたのだ。クベンティーヌあたりが何をしようとブレる事はあり得ない。
そしてそういう事情なら、クベンティーヌが聖王国としてアーロルド様とクベンティーヌの結婚を企んでいる可能性は低い。それどころか他の使節の者たちにも極秘で動いていると思われる。
それなら言下に拒絶しても問題ないだろう。アーロルド様が拒否し、事実上の婚約者である私が拒否したら、クベンティーヌにはどうしようもない。
クベンティーヌは怒り狂って私を睨んだけど、私だって怒っている。聖女と魔女が怒りを込めて睨み合う。
「いい加減にしろ、皆様ドン引きしているではないか」
ウィルミーが歩いてきて、私の頭をポンと叩いた。
「正使殿も。それくらいにした方が良くはないか? ほら、聖王国の他の方々も驚いているぞ? いいのか?」
クベンティーヌはハッとしたように、顔をおすまし顔に整えた。身分的に正使を任されているとはいえ、彼女は一行の最年少に間違いない。おそらくお目付け役のような存在がいるのだろう。
クベンティーヌは凄い目で私とウィルミーを睨んでいたけど、不意に表情を緩めてこう言った。
「ねぇ、一つ勝負をしませんか?」
「勝負?」
ウィルミーが首を傾げると、クベンティーヌは大きく頷いた。
「そうです、勝負です。『魔女』と『聖女』のどちらが奇跡の力が強いか、勝負を致しましょう」
……私とウィルミーは顔を見合わせる。言っている意味は分かるけど……。
「なぜ、そんな事を我々がしなければならぬのだ?」
ウィルミーが言った。私も同感だ。それは、私たちもこの間に奇跡比べをやったばかりだ。しかしあれはやらないといけない事情があったからで、本来神の奇跡は比較するようなものではない。
するとクベンティーヌは表情を歪めて私たちを嘲った。
「怖いのですか?」
く、この女! 私は瞬時に頭に血が登ってしまう。
「怖いのですか。そうでしょうね! この帝国の地で帝国の聖女が王国の魔女に負けたら恥ずかしいですものね!」
そう言われてそういう見方もあるなと気が付く。確かに、帝国で崇められる聖女が、帝国では否定的な(最近はそうでもない筈だけど)魔女に奇跡のお力が負けたら、それは恥ずかしい。恥ずかしいどころか聖王国に帝国が負けたという事になりかねず、大問題にもなるだろう。
むぅ、これはまずいかも。
「勝負を逃げられたのは残念ですけど、怖いのでは仕方がありませんわ。せいぜい滞在中や帰国してから『帝国の聖女は臆して勝負を逃げた』と言いふらす事にいたしましょう」
クベンティーヌはそう言っておほおほほっと笑った。確かに、それは困る。
クベンティーヌは帝国にしばらく滞在する予定だ。その間中、多くの貴族に社交に招かれるだろう。そこで彼女が「聖女達は私との勝負を逃げた」と言いふらしたとすればどうなるか。
これは聖女の権威、ひいては神殿、そして私の場合婚約者予定のアーロルド様の名誉にまで傷が付いてしまう。
神の奇跡を比較するなんて不遜である、という理屈は、この間私たちの間で大勢の見物人の前でやってしまったのだから通るまい。
うぬぬぬぬ。今度は私が唸る番だった。こうなれば仕方がない……。
「あんまり調子に乗らないでよね」
と突然アルミーナの声が割り込んできた。なぜかクベンティーヌの背後に立っている、クベンティーヌは驚いて振り向こうとし、なぜか「ひっ!」と言って動かなくなった。
見ると、アルミーナがさりげなくクベンティーヌの顔の横に伸ばした手の上に、小さなカエルが一匹乗っていたのだった。クベンティーヌはそれを見て硬直している。
「あんまり調子に乗ってると、これをあんたの背中に潜り込ませるわよ」
……アルミーナ得意のイタズラで、私もよくやられたものだった。
「まぁ、良いのではない? 聖王国の魔女が挑んでくるなら、応じるのも聖女の矜持でしょう?」
シルリートもやってきて言った。そしてクベンティーヌに向けて微笑みつつ、サラッと言った。
「で、交換条件は?」
「はい? 交換……、なんですの?」
「交換条件ですよ。そちらから勝負を挑んでくるのです。勝つにしろ負けるにせよ対価は頂きますよ」
「な、こちらが勝った時までなぜ対価を払わなければならないのよ!」
「当たり前ではないですか。それが取り引きというものです。貴女は対価もなしに聖女に奇跡を使わせようと言うのですか? それはずいぶん都合が良過ぎるように思えますけど?」
流石は商人の娘である。シルリートは「勝負したければ見返りを払え」とクベンティーヌをグイグイ追い込んだ。
「わ、分かったわよ! 払えば良いのでしょう?」
「うふふ、では勝負の見返りとして、クベンティーヌ様には神殿で礼拝して頂きます」
クベンティーヌは驚いたような顔をした。
「なんだ、それだけで良いの?」
「ええ、よろしゅうございます。それさえ約束して頂ければ、私たちは勝負に応じましょう」
シルリートはニコニコしながら言って、クベンティーヌは釈然としないような表情でこれに同意した。
……良いのかしら。聖王国の魔女が帝国の神殿で礼拝するなんて。クベンティーヌは気が付いていないと思うけど、これは帝国の神殿を聖王国の魔女が認めるという意味になってしまうでしょうね。
「そ、その代わり、勝った時は私も見返りをもらうわよ!」
クベンティーヌは気を取り直したように叫んだ。シルリートはニコニコしながら頷く。
「もちろんでございます。勝った時は
お互いに『何でも一つ相手に言う事をきかせる権利』を得る事にいたしましょう」
シルリートの言葉に私は仰天する。ちょっと! そんな事を言ったら!
「言ったわね! なら私はそこの女に『アーロルド様を譲れ』と命ずるわよ!」
「よろしいのではございませんか? こちらの要求は……、勝った時のお楽しみという事にいたしましょうか」
ちょっと、シルリート! 勝手な事を!
私は抗議の意を込めてシルリートを見たのだけど、シルリートは何だか満足そうな笑顔を浮かべて私の口を封じた。
「では、そうですね。明日にでも行いましょう。『私たち』とクベンティーヌ様の勝負は」
……え?
「え?」
クベンティーヌが惚けたような顔をする。
「ちょっと、ちょっと待ちなさい! 『私たち』ってどういう意味なの?」
「その通りの意味ですよ。私たち四聖女と貴女の対決ですよ」
シルリートはしれっと言った。
「正確には大地の女神の聖女リレーナと、その眷属たる火、水、風の神の聖女たる私たちですね。眷属なのですから親神に加勢するのは当然でしょう?」
「ひ、卑怯な!」
「私は一言もリレーナだけが勝負するなんて言っていませんよ。それならなんで私が交渉するのか? という話になりますわよね?」
シルリートはニコニコと笑っている。さすがは交易商人の娘である。交渉力は私たちの中で一番ね。
「そ、そんな話ならこんな勝負はなしよ! 無効よ!」
「ならその旨、言いふらさないといけませんわね。聖王国の魔女は帝国の聖女を恐れて逃げたと」
「!……!」
クベンティーヌは愕然としてしまったが、こうなればもう後の祭りである。
結局、シルリートに言いくるめられて、私たち四人対クベンティーヌの奇跡比べが行われる事が決定したのだった。
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