第十六話 聖女の仲直り

 アルミーナの部屋は私の部屋よりも華麗な装飾が施されていた。薄黄色の壁に金で文様が描かれ、彫像や陶器の壺、花々で飾られている。ベッドも天蓋付きの立派なものだ。彼女は貴族趣味に憧れていた頃があったのだ。今はもう名実共に貴族になってしまったのだから、それは憧れではなく単なる豪華趣味よね。


 お部屋の中には彼女はおらず、私はエーメリアの先導を受けて部屋を横切り、バルコニーへと向かった。


 バルコニーにテーブルセットが出してあり、そこにお茶の用意がしてあって、アルミーナが椅子に腰掛けていた。アルミーナはチラッと私を見ると、ぞんざいな口調で言った。


「座って」


 私は歩み寄って、アルミーナの対面に腰掛けた。すぐにエーメリアがお茶を入れてくれる。見るとティースタンドにはマカロンとか砂糖を沢山使ったパイとか、色とりどりのお菓子が載せられている。不思議な事にティースタンドのお皿はどれも満杯である。


 アルミーナの前にも取り皿はあるけど、何も取られていない。


 それに気が付いて、私は一気に肩の力が抜けた。私の表情が緩んだのに気が付いたのだろう。アルミーナがまだ私の方を見ないままだがフーッと息を吐いた。


「ケライネがこうした方が良いって、言ったから」


 アルミーナが言った。つまり、事前にちゃんとケライネがアルミーナと話をしてくれて、私が行くからお茶の用意をして待っているようにと事前に連絡をしていたのだろう。


「……ごめんね。アルミーナ。私……」


「別にレーナが悪いわけじゃないって。言われてみれば貴女は最初から『自分はアスタナージャ神の聖女だ』って言ってたもんね。信じなかった私達が悪いのよ」


 アルミーナが火、ウィルミーが水、シルリートが風なら、最後の一人はきっと土だろうとみんなが思い込み、私もじゃあそうなのか、と思ったのだった。


 神学の勉強をすると、神々の序列も分かってくる。火水風土の四神は、かなり高位の神様だけど、大地神のアスタナージャ様はその更に上位の、この世界をお創りになった神様だ。


 これまでアスタナージャ神の聖女はいなかったという話も聞いた。それで私もすっかり私は土の女神ビルロード様の聖女だと思い込んだのである。ビルロード神に祈ってもお力は使えたし。


 アスタナージャ神は上位神なので、実は使おうと思えば私は火の力も水の力も風の力も使えるのだ。勿論、みんなよりも小さな奇跡しか起こせないお力になるけどね。


「……貴女がアスタナージャ神の聖女なら、色々思い当たる節もあるわ。考えてみれば貴女が得意な植物を成長させる奇跡は、土の女神の奇跡にしてはおかしいもの」


 土の女神も植物の成長を助ける事が出来る。しかしそれは土を良くするという補助的なものであり、植物そのものを直接成育させるようなものではない。一方、大地の女神は生命の神であり、命そのものを操る事が出来る。植物だけでなく動物も、人間の命もだ。


「気が付かなかった私達が迂闊だったのよ……。でもね。それに気が付いてしまうと、リレーナと私達の間にも序列があるような気がしたの……」


 神々の世界ではアスタナージャ神は最上位の神様で、火の女神、水の女神、風の女神はその子神だ。明確にアスタナージャ神の方が上なのである。


 それから考えれば、聖女である私と他の三人の間にもそういうランク付けが適用になると考えてもおかしくはない。


 それで、どうやらみんなは私への接し方にちょっと悩んでしまったらしい。


「貴女はこれで皇太子妃確定だものね。聖女としても格上で、貴族としての身分でも大きな差が付いた私達は、もう貴女と友人付き合い出来ないんじゃ無いか、ってね」


「そ、そんなこと!」


 私は慌てた。


「そんなの関係無いじゃない! 神様のことや皇太子妃の事は、それとこれとは話が別じゃない!」


「別じゃないわ。貴女だって貴族教育を受けたんだから分かるでしょう?」


 貴族の世界では、序列というのは大事なものだ。皇帝陛下を頂点として、その下に皇族、更に上位貴族、下位貴族、平民という序列があり、これが守られる事によって社会の秩序が保たれているのだ。この序列が乱れると一番数の多い平民が、人数の少ない皇族や貴族の言うことを聞かなくなり、秩序は乱れ、国をバラバラにしてしまう元になるだろう。


 私が皇太子妃になっても、みんなは聖女で皇族身分だからほとんど同格なんだけど、そこに聖女としてのランク差まであるとなると、それは確かに私とみんなの間には明確な序列差が生ずると考えてもおかしくない。


 神殿だって歴史上初めてのアスタナージャ神の聖女と、これまで何人も現れている神の聖女との間に序列を付けて扱うようになってもおかしくはない。神殿だって序列社会なのだから。


「ウィルミーとシルリートとも話し合って、貴女と同居するのも止めた方が良いんじゃないか、って話もしたのよ」


 私だけ特別な離宮を用意してもらう。もしくは主宮殿に部屋を用意させる。そういう風に私を特別扱いすることによって私を皇太子殿下の婚約者として、アスタナージャ神の聖女として特別な存在としての権威付けをする。世の中の権威は上位の者を特別扱いにすることで生まれるのだ。


 私はショックで言葉が出なくなってしまう。理屈としては分からないではないものの、帝都に着てからみんなで仲良くこの離宮で過ごしてきたのに、私だけをこの離宮から出す計画をみんなが相談していたなんて。


 アルミーナは私の事をチラッと見て、肩をすくめる。


「でも、結局、そんな事をするのは止めよう、って事になったのよ。そんな事したらレーナが泣いちゃうからってね」


 冗談だったのだろうけど、私は本当に泣いてしまいそうになる。


 私は帝都に来てからみんなが来るまで、半月ばかり一人で帝宮に放置された。退屈で、凄くつまらなくて、帝都に来てしまった事を何度も後悔したものだった。


 しかし、みんなと一緒にこの離宮に住むようになってからはまったく退屈しなくなった。みんなで食事をして、お茶をして、庭園を走り回って遊んで、教育を受けて。毎日がとても楽しかった。


 これまで私は故郷では、家の農作業の手伝いが忙しくてそれほど友達と遊び回る暇は無かった。成人に近くなれば嫁入りのために覚えなきゃいけない事も増えたしね。


 それが、帝都に来て、みんなに会って、私は思いきり遊び回る事が出来た。心が解放された。そんな気分だったのだ。


 一生、こんな風に過ごせれば良い。それくらいに思っていた。それは、私もみんなも結婚してどうしたってこの離宮を出なきゃいけない日が来るのだろうけど、でも一日でも長く。皇太子殿下と結婚するその直前まではここでみんなと楽しく暮らしたい。それが私の願いだった。


「私は、みんなと一緒にいたい」


「そうね。結局ね、私達もやっぱりレーナと一緒にいたい。だから、そうしようっていうことになったのよ」


 そしてアルミーナは今日初めて私の事をしっかりと見た。金色の瞳が少し潤んでいる。


「ごめんねレーナ」


「ううん! そんな事! 私も……」


 言葉が出なくなる。私はナプキンで溢れる涙をを押さえてむせび泣いた。アルミーナは立ち上がって私の所に来ると、私の頭を抱き寄せてくれた。以前、彼女が故郷が恋しくて泣いた時に、私が彼女にしてあげたように。


 私は彼女に謝り、彼女も私に謝った。お互い何をどうして謝っているのかなど分からなかったわね。謝って、感謝して、私達は和解したのだった。


 翌日、今度は四人集まってお茶会を開催した。


 ウィルミーもシルリートも私に謝ってくれたけど、その謝り方はやはりアルミーナとはちょっと違った。素直ではなかった。


「気が付かない私も悪かったが、君も迂闊なのではないか? 自分の加護神に気が付かないなど聖女失格だろう?」


「私は最初からアスタナージャ神の聖女だって自己紹介したじゃない」


「そんな昔の事は忘れたな」


 ウィルミーはニヤッと笑った。


「私は都合の悪いことは直ぐ忘れる質なのだ。だから君が私より上位の神の聖女だとか、皇太子妃だなんてことは都合良く忘れるからな」


 シルリートは私を何食わぬ顔で見ながら言った。


「そもそも、風の女神様は大地の女神様の娘だって言ったって、だから大地の女神様の方が偉いって訳じゃないわよね」


 優雅にコーヒーカップを持ち上げつつ目を細める。


「だって親より出世するなんてよくある話でしょう? 私達だって親よりも身分が高いのだし」


「そうだな。必ずしも親を尊敬して、親の言うとおりにしなければいけないという話でもあるまい」


 そう言うウィルミーは、本当は誰よりも漁師であり危険な海に家族のために毎日乗り出す父親を尊敬しているのを、私は知っているけどね。


 ウィルミーもシルリートも、アルミーナも憎まれ口を叩きながら私に謝ってくれた。そして変わらぬ友情を誓ってくれた。


「そうね。皇太子妃になったら他に友達が作れなくなっちゃうものね。仕方がないから私達が友達でいて上げるわ」


「そうだな。君は相手を屈服させるのは上手いが、友達の作り方は下手だからな」


「レーナには商売の才能はなさそうね」


 私はしきりに目尻に浮かぶ涙を誤魔化しながら、何とか笑顔を作っていた。本当に、みんなに会えて良かった。


「そうね。私にそんな口のききかたして許されるのは、もうこの世に貴女たちだけよ。何しろ私は皇太子妃、大地の女神の聖女なんだからね!」


  ◇◇◇


 すっかりみんなと仲直りした私は絶好調だった。


 大地の女神の聖女として、皇太子殿下の婚約者に確定した者として、私はもう何処へ行っても崇められる、賞賛される、畏れられる存在になった。


 ウィルミー曰く「君はナチュラルに偉そうだからな」という事だったけど、確かに私は貴族らしく丁寧に振る舞うのは苦手だけど、上位の存在として高圧的に、偉そうに振る舞うのは苦にならないようだ。今や皇妃様も遠慮するような存在になった私は主宮殿を歩いていても最上位の振る舞いが許されるようになったからね。


 皇太子殿下は満足そうだったわね。彼もドンドン成長して、表情からも子供っぽさがなくなっていって、私の横にいても「弟」から婚約者という感じになってきた。


 ただ、中身はあんまり変わっていなくて、私に会いに離宮に来ると私と外で遊びたがったわね。まぁ、他では相変わらず過保護に育てられているから、私といるときくらい羽目を外したいんだろうと思うのよ。


 庭園を走り回ったり、花壇をほじくって泥だらけになったり、池にボートを出してみたりね。私はそろそろ十六歳だけど、アーロルド様は考えてみたらまだ十三歳。ギリギリ成人前なのだ。まだ結婚とか考える前に遊びたいわよね。


 一方私は十六歳なのだけど、アルミーナに「いつまでも子供ねぇ」と言われるくらい、どうも精神的な成長が見られないらしい。殿下と一緒に外を走り回ってるんだからそうかもしれないわね。相変わらず恋愛とかそういう事はよく分からないしね。


 そんな風に順調に暮らしていたある日、皇太子殿下が遊びに来た時にそう言えば、という感じで言ったのだった。


「今度、隣国の聖王国の使者が来るらしい」


 聖王国? 私は首を傾げたんだけど、教育を受けたんだから勿論、聖王国が何かは知っていたわよ。


 聖王国は帝国の東のお隣の国だ。帝国はもの凄く巨大な王国だけど、この世界に唯一の国という訳ではない。特に東にある聖王国は大きな国で、シルリートの実家がこの聖王国との交易を生業にしていたのよね。


 聖王国でも神様は信じられているんだけど、彼の国では大女神ファルモガーナ神はともかくとして、特に太陽の神アルオニエス様を信仰してそれを国の拠り所にしていると聞いた。


 アルオニエス様は大地の女神がお創りになったこの世界とは、近接しているけど違う世界である「太陽の世界」をお創りになった神様である。


 なんだけど、聖王国では「この世界の神様はアルオニエス様である」という事になっているらしい。聖女である私としては「え?」って思うような話なんだけどね。だって私がこの世界で大きなお力をお借り出来るのは、この世界の神様がアスタナージャ神である証拠だと思えるので。


 なので同じ神々を信じている筈なのに、帝国と聖王国では信仰に食い違いがあり、争いがあるのだ。まぁ、国が違うので、お互いがお互いの国に関係無く存在していれば何の問題もないのだけど、国同士の関係はそう簡単にはいかない。


 帝国と聖王国は頻繁に争いを起こし、戦争までする間柄なのだ。なのでお互いの神殿が「あちらは異教徒だ!」と主張しているのである。


 そんな聖王国から使者が来るのだという。アーロルド様は皇太子としてこれに対応しなければならず、気が重いと嘆いていた。何しろ、敵対に近い国の使節なのだ。疎かには扱えないし、下手な対応をすると戦争になってしまう。


 大変ですね。私は他人事のように思っていたのだけど、後日私は、他の三聖女と共に主宮殿に招かれ、皇帝陛下に聖王国の使節の対応をお願いされた。


「聖王国から『是非聖女達とお会いしたい』という要請があったのだ」


 との事だった。それは異教徒の筈の我が帝国に、四人も聖女が出たとなれば気になるわよね。


 断わる理由もないので私達は了承した。


「まぁ、皇太子妃であり大地の女神の聖女であるレーナが対応すればいいだろう」


「頑張ってね」


 ウィルミーもアルミーナも完全に他人事のような顔をして私に丸投げしていた。確かにこういう時に矢面に立って働いてこそのお偉い立場なのだから仕方がないけどね。ただ、シルリートだけは実家が交易で関わる聖王国の事だったから興味津々で、自分も接待の場に出て話を聞きたいとやる気満々だった。


 私達は皇太子殿下や警備を担当するガルヤード。対応を担当する大臣のブルックナー伯爵と協議をして、当日に備えた。


 そして当日。主宮殿の大謁見室で私は盛々に正装して皇太子殿下の横に立ち、聖王国の使者を出迎えたのだけど、それがまさかあんな大事件になってしまうなんて思ってもいなかったのよね。

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