第十五話 聖女の仲違い
神殿の庭園。多分、何万人という人々に囲まれ(大神殿の建物の屋根に上ってまで見物している人がいたからね)、注目されて、私は流石にちょっと緊張した。
「では、リレーナ様。お願い致します」
大神官が私を促し、私は進み出た。土の女神様の教団は大きな声で声援を送ってくれている。他の教団の信徒もじっと私を見守っていたわね。それは他の神様を推しているとはいえ、聖女は聖女だ。口汚く罵るような事はしなかった。
しかし、一人、この人だけは私をしきりにディスった。転倒してドレスが泥で汚れてしまったのに、帰らないのは私を罵りたいからだろう。いっそあっぱれな執念である。
「あれほどのお力を前にして、一体何を披露する気なのかしらね! いっそ諦めて帰った方が良いのでは?」
皇妃様は侍女に泥汚れを拭かせながら声高に言った。
「最近はパーティばかりに出て信仰心も薄いそうではありませんか。それで聖女と言えるのかしらね? やはり他の聖女様のように敬虔な方の方が聖女に相応しいと思うのですよ」
私以外のみんなだって最初は敬虔とは言い難い聖女でしたよ。でも奇跡を使い、神様の存在を身近に感じることで、段々と信仰を深くしていったのだ。もちろん私もね。
「まぁ、古の土の女神様の聖女は一瞬でお城を建てたそうですよ。それくらいしてくれないと皇太子妃にはさせられないですわよね!」
私の聞いた話では、一瞬で城壁を建設したという話だったからかなり話を盛っているわよね皇妃様。とにかくどうにか私の奇跡を過小に評価し、私は皇太子妃に相応しくないという結論に持っていきたいのだろう。
私はチラッとアーロルド様を見る。彼に心配を掛けていないかどうか気になったのだ。
しかし、アーロルド様は余裕の表情だった。ワクワクと笑っている。私は少し驚いた。すっかり私を信じ込んでいる、そういう表情に見えたわね。そういえば彼は私が何をしでかしても驚かないのよね。「リレーナなら当然だ」って言うのよ。
ガルヤードは「殿下は、リレーナ様の信者ですから」なんて笑っていたわよね。信頼を通り越して私を信仰しているのだそうだ。まぁ、聖女は神様とほぼ同一の存在と見做されるから、信仰されてもおかしくないんだけどね。でも、彼の信仰はそういうのとは違う気がする。
でもまぁ、未来の婚約者に信仰されたら、応えるのが聖女の務めだろう。あの煩い姑を決定的に黙らせるチャンスでもある。
私は本気を出す事にした。
私は庭園の真ん中に進み出ると、目の前の芝生の広がっている辺りを指差した。
「ここを森に変えます」
はい? というように人々が首を傾げた。私の言葉の意味が分からなかったのに違いない。大丈夫。直ぐに分かるから。
私は両手を天に、神々の方向に突き上げた。
「いと麗しき大いなる女神アスタナージャよ! そのお力を我に示したまえ! 我は聖女リレーナなり!」
私はアスタナージャ神に祈った。この頃になると私はもう、自分に加護を下さったのは、本当はアスタナージャ神であった事に気が付いていた。それでも普段はビルロード神に祈っていたのは、他のみんなと揃えるためである。
だけど今回はアスタナージャ神に祈った。でないと他のみんなに勝てないと思ったからね。本気で、真剣に祈った。
祈りが天のアスタナージャ神に届くと、天から赤い光が降ってくる。赤はアスタナージャ神の象徴色だ。この光が他の人たちに見えているのかは分からない。
すると私の挙げた手の上に金色の光が生まれた。成人したばかりの時は本当に小さな光だったそれは、今では頭の大きさくらいになっている。私はその光を少し離れた地面に送り出した。
光が地面に吸い込まれると同時に変化が起こった。
ポコポコと草の芽が生え始め、広がり、そして伸び始めたのだ。おおお、と見守る人々の間から歓声が上がる。
「何ですか! 雑草が生えたからどうだというのですか! こんな程度の奇跡では……」
なんて皇妃様が叫んでいたけど、私は構わず祈りを強めながら手をバッと上に上げる。
途端、草の芽が急激に膨れ上がり、太くなり、木になり、一気に天に向かって伸び始める。もっと! もっと! 私は何度も万歳をするように手を振り上げ、祈りを捧げる。木はあっという間に私の身長を超え、離宮の屋根の高さに達し、更に複雑に絡み合いながら伸び続ける。
「アスタナージャ神よ! そのお力を我を通してお示しください!」
私が叫ぶと木々は爆発的に吹き上がり、木々はいつの間にかまとまって大樹になり、大きく枝を広げて繁りに繁った。
その高さは見るまに帝国で一番高い大神殿の鐘楼の高さをはるかに超えた。太さは百人が手を繋いでも囲みきれないほどの太さになり、表面を蔓草や苔が覆い、虫や鳥までもがどこからともなくやってきて飛び回った。
私が息切れを起こして祈りを止めた時には、大神殿の庭園を半分埋め尽くすような、大神殿を覆い隠してしまうような巨大樹が聳え立っていたのだった。その頂点は雲にも届き、その影は帝都の半分を覆ったという。
流石に集中し過ぎて私は頭痛に見舞われた。久しぶりに本気を出したのだ。でも、以前は寝込んだのだけど今回は頭痛で済んだのだから私も成長しているようね。
私は何故か声一つ聞こえなくなってしまった観衆に向き直ると、頭痛を堪えながら大きな声で言った。
「どうですか! これで何か文句はありますか!」
……返事はない。訝しんでよく見ると、観衆は一人残らず、皇帝陛下も皇妃様も含めて、大きく口を開けて呆然としているようだった。
「す、凄い!」
最初に声を上げたのはアーロルド殿下だった。私の方に走り寄り、私の右手を両手でギュッと握ると振り返って、まだ動けないでいる人々に向けて叫んだ。
「見たであろう! 聖女リレーナのお力を! リレーナこそ最高の聖女だ! 皇太子妃に相応しい!」
そして感極まって私を抱きしめる。少し背の伸びた殿下は私と身長が同じくらいになっている。
「リレーナこそ我が妃だ!」
アーロルド様の叫びに、ようやく観衆の中にざわめきが戻った。そしてそれは次第に大きくなり、やがてその中から意味を持った言葉が聞こえ始める、
「だ、大地の女神だ! 大地の女神の聖女だ!」「土の女神様じゃない! 生命を産み育てるあのお力は大地の女神の奇跡だ!」「アスタナージャ神の聖女など聞いた事がないぞ!」
そして信者達、特に神官は全員が跪き、私に祈りを捧げ始める。火も水も風も土も関係ない。アスタナージャ神は四女神の母神である。上位の神なのだ。
「大地の女神アスタナージャ神よ! その聖女であるリレーナ様!」
「聖女リレーナ様!」
「リレーナ様こそ皇太子妃に相応しい!」
「帝国万歳! 次期皇妃リレーナ万歳!」
そんな声が起こり始め、繋がり、より大きな歓声となった。
「帝国に栄光あれ! 皇太子アーロルド様、聖女にして皇太子妃リレーナ様万歳!」
大神殿を震わせるような大群衆からの大歓声に、私とアーロルド様は手を挙げて応えたのだった。
◇◇◇
神殿の前に生えてしまった巨大樹は、その気になればアスタナージャ神のお力で元に戻すことは出来たのだけど、神殿の神官達が「神の奇跡の証拠だ」と言うのでそのままにした。後に帝都の象徴と言われる「リレーナの大樹」である。
流石の皇妃様もこの大樹を見て肝を潰し、心を折られたらしく、その後は私の悪口を声高に言いたてる事は無くなったそうである。
まぁ、皇妃様としても私の帝室入りが確実なのであれば、私との関係を悪化させたままにするのは得策ではないとも考えたのだろう。その後は表面的には笑ってご挨拶をするくらいの関係にはなったわよ。
これで私が皇太子妃になるための、ありとあらゆる問題は全て片付いたと言って良かった。来年の殿下の成人と同時はともかく、ほど近い内に私はアーロルド様と結婚する事になるだろう。
私はホッとしたいところだったのだけど、残念ながらそうはならなかった。
この奇跡比べの日以降、アルミーナ、ウィルミー。シルリートの様子がおかしくなってしまったからである。
私たちは共同生活を送る離宮で、よほどの事がない限り朝食は共にする決まりだった。昼や夜はお茶会や夜会の予定もあるし、神殿に行くこともあるから無理だとしても、朝食は一緒に。これが、共同生活を始めて一年半の間、ずっと続けてきた習慣だった。
ところが奇跡比べ以降、私が食堂に出向ても、みんなが出て来なくなったのである。
どうやら自室に運ばせてそれぞれで摂っているものらしい。私は一人寂しく広い食堂で食事をしなければならなかった。
その他にも明らかにみんなが私を避けていると思われる事があった。
離宮から出掛ける時間は社交や儀式のタイミングによるけど、似たような時間になることが多い。それなのに何日も誰とも玄関で行き会わないのである。異常な事だと言えた。
みんなに避けられている。それに気が付いた私はショックを受けた。
なにしろ、帝都に出てからこっち、みんなでずっと仲良く暮らしてきたのである。同じ聖女として、同じ田舎出身の少女として、助け合い、慰め合い、励まし合って過ごしてきたかけがえのない親友たちなのである。
そのみんなに避けられるなんて。信じられないような思いだった。
理由はあの奇跡比べだろう。私はちょっとやり過ぎたのだ。
みんなの奇跡は凄かったから、私はどうしてもあれを上回ろうと全力を出したのだった。どうやらそれがみんなには気に入らなかったのではないかと思われる。
でも、あれは、あの時は負けるわけにはいかなかったし、それに誰がどう見ても私の奇跡が一番凄いと全ての人に(特に皇妃様に)分からせねばならなかった。仕方がなかったのだ。
私は悩んでしまった。皇太子妃に決定しても、もしもこれっきり聖女のみんなと仲違いしたままでは意味がないではないか。アーロルド様と、聖女のみんなで帝国の未来を創る。それが私の目標なのだ。そのために私は頑張ってきたのだ。
私は三人にお手紙を書いて話をしたいと申し出た。しかし、三人とも、今は都合が悪いとか、ちょっと時間がないとか煮え切らない返事が返ってくるばかり。
私は悩み、悲しみ、凹んだ。社交界での暗躍なら何をすればいいか簡単に思い付くのに、友達の心を取り戻すにはどうすれば良いのか全然分からない。
しまいには私はケライネに泣き付いた。子供のようにケライネにしがみついてオイオイと泣いてしまったのだ。ケライネも困っただろうけどね。
「落ち着いて下さい。リレーナ様。皆様はリレーナ様を嫌いになった訳ではないと思いますよ」
「でも、みんな、会ってくれないの。会ってくれないと誤解も解けないのに!」
「リレーナ様。私が思いますに、皆様はリレーナ様のお力にびっくりしたんだと思いますよ?」
びっくりした? どうして? 私には全然意味が分からなかったのだけど、ケライネは当たり前ですよ、と言った。
「あんな凄いお力をお見せして、しかも加護神はこれまで言われていた土の女神様ではなく、大地の女神様だったではありませんか。私でも戸惑いましたもの。聖女の皆様だって驚くに決まっています」
聖女だけに神々のお力に詳しいみんなには私の起こした奇跡がどれほど凄いものか、ケライネよりもよく分かっただろうと言う。
「それで、驚いてしまって、リレーナ様にどう接していいか分からなくなったのだと思いますよ」
「で、でも、私は私だし! 私は変わらないのに!」
ケライネは、また泣いてしまった私をギュッと抱きしめると、私の頭を優しく撫でながら言った。
「大丈夫ですよ。皆様はそこらの姉妹よりも仲良くお過ごしだってではありませんか。心を込めてお話をすれば、きっと大丈夫です」
ケライネに慰められ、私は少し落ち着いた。とにかく、話をしなければ、誤解を解かなければ始まらない。みんなに会うには……。手紙もだめだったし……。私は考えた。
しかしいい考えは少しも思いつかない。……ええい! こうなったら当たって砕けろよ!
私は決心した。そして、身支度を整えて覚悟を決めて部屋を出たのだった。
隣り合っているアルミーナのお部屋へと向かったのである。隣なんだから本当にすぐ近く、僅かに三十歩ほどしか離れていない。
しかしその三十歩が物凄く遠くに思えた。もしも会うことを断られたらと思うと、足がすくんでしまう。
貴族的には約束もなしに他人の部屋を訪問するなんて無作法で許されない事だ。しかし、私もアルミーナも教育が行われる前は気軽にお互いの部屋を行き来したものだったのだ。彼女なんかノックもなかなか覚えなかったくらい。もう既に懐かしい。
大丈夫。きっと大丈夫。私は自分を励ましながら進み、アルミーナの部屋のドアをノックした。在室は確認してある。ドアが開いてアルミーナの侍女エーメリアが顔を覗かせる。
……入室の許可はあっさり下りた。私は安堵で腰から崩れ落ちかけた。
しかし、本番はこれからだ。私は怖気付く心を叱咤して、アルミーナのお部屋の中に足を踏み入れたのだった。
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